渡邊守章 (芸術学部客員教授、演出家)

 ≪大学≫と≪劇場≫、あるいは≪研究≫と≪舞台創造≫――この二つは、どの文化においても、必ずしも相互浸透あるいは協働関係にあるとは限らない。しかし、たとえば十七世紀に起源をもつヨーロッパ近代国家においては、絶対王政にいよる国民文化の振興政策の内部で、≪舞台芸術≫が常に重要な地位を占めていたことから、少なくとも劇作家や劇場経営は≪公式の文化≫の地位を占めていたし、カトリック教会等の宗教界との関係で、役者の地位がいかがわしいものとされていたとはいえ、≪舞台芸術≫という文化的な作業そのものは、同時代を代表すべき創造行為として高く評価されてきた。
 ところが日本では、江戸時代の歌舞伎が、「制外人」として都市の周縁に囲い込まれていた記憶は、明治維新に始まる「近代化」の国家的レヴェルにおける遂行にもかかわらず、その偏ったプロセスの「澱(おり)」のようにして残っている。
 従って、明治政府以来の「近代化」を、≪知≫の領域において担うべき大学においても、≪舞台芸術≫は、教育にせよ研究にせよ、特殊な例外を除けば、執拗に排除されてきた。西洋音楽を教える大学の一部を除けば、日本の大学に、講堂はあっても、≪劇場≫はない。
 その意味では、京都造形芸術大学に本格的な≪劇場≫が、しかも歌舞伎劇場『春秋座』と前衛的な演劇作業の場である「ブラック・ボックス」『studio21』が併設され、単に授業の場として使われるだけではなく、年間を通しての≪プロの舞台芸術≫の創造の場となっていることは、日本の大学における画期的な≪仕組み≫として、いくら強調してもし過ぎることはない。
 個人的には、二つの大学をすでに定年退職した身ではあったが、それらの大学で教育・研究と平行して、大学外の劇場における舞台芸術の実践を続けてきた者としては、人生の黄昏に出会った奇跡的な≪創造の場≫である『京都芸術劇場』は、大袈裟に言えば、人生をやり直すような、予想もしなかった≪実践的創造の場≫なのであった。