宝田明さんに伺う『ファンタスティックス』への想い
- ミュージカル大国アメリカにおいてロングセラーを記録している
『ファンタスティックス』。日本では1967年に東宝が芸術座で初演、
1971年にはアトリエ41がエル・ガヨ役の宝田さんを中心に
渋谷の小劇場ジャンジャンで上演し、
以来16年間このプロダクションで上演されてきました。
その後20年の沈黙を経て、
今年、宝田さん自身が新しく『ファンタスティックス』を
プロデュースすることになりました。
上演を決意されたのは、どのようなきっかけだったのですか?
- 宝田
- 昔、僕らの『ファンタスティクス』を見てくれていた
オールドファンたちが
「宝田さんの『ファンタスティックス』を
もう一度見てみたい」
と、頻りと言ってくださるんですね。
私も初演から16年間演じたり、演出したりして
全国あちらこちらへ行きましたから、
この作品は自分の役だけではなくて
他の出演者の台詞も歌もハモるところも
全部、体に入っている。
僕も年を重ねてきましたけれども、
そんなことから、もう一度やってみようか
という気になりましてね。
どうせやるなら、欲張りなんですが、
プロデューサーとして
制作も演出も、出演もやってみようと。
「宝田さん、ちょっとやりすぎだよ。疲れるだろう」と
言われるんですけれどもね(笑)。
でも僕は人生、いつも二者択一で、
絶対イージーな道を選択しないつもりなんです。
いつでもハードな方を選ぶ。
制作面でも演出面でも、
まだまだ勉強することが沢山ありますから。
そういうことを身に着けないといけないですからね。
ですから3つの役をお引き受けし、
まずはアメリカとの厳しい上演権交渉を
約1年間かけて取ることからスタートしました。
- 宝田
- 出演者の皆さんも魅力的な方ばかりですね。
このお話はなんといっても少年と少女のお話ですからね。
を固める父親役などは、達者な人たちばかりで
ガッチリ固めてね。
少し平均年齢は高くなりますけれどね、
とはいえ高くした原因は僕なので(笑)。
しっかりしたものを作ってみたいなと思いました。
今のお客さんは感受性も強いですし
厳しい目を持っているので、
盆栽を作るみたいに、細かい葉っぱや枝を切り落として
良いところ良いところをスクスク残して、
枝っぷりの良い盆栽を作ってみようと思っているんです。
父親役の沢木順さんも青山明さんも、
ヘンリー役の光枝明彦さんも
元劇団四季で活躍していた人たちばかり。
そんな彼らも役者になる前の若い時に
私の『ファンタスティックス』を見てくれていまして
彼らからも「宝田さん、あれやりませんか」
「やってくださいよー 私たちも父親役に」って
言ってくれてね。
そういう風にだんだんみんなの声、
オールドファン、ベテラン俳優からの声が
積み上がっていったんです。
だからポツ!と決めたんではなく、
じわじわじわじわとね。機が熟した感じですね。
『ファンタスティックス』稽古風景
私自身は若いときから演じ続けた16年間、
それから20年ぐらい間が開いた後にやるわけですが、
その間に年を重ねて色々な人生経験をしてきました。
年齢がなせる技ではありますが、
本の読み方や人物のあり方というのも
自分なりに勉強をして、
さらに味わいや深みが出ているのではないかなと思います。
その辺も楽しみにしていただきたいですね。
それぞれの役の魅力
- 宝田
- エル・ガヨという役は作品の語り部であり、
ドラマを遂行していく重要な役どころなのですが、
私がこの仕事を始めてやりましたのは
今から41年も前。1971年のことでした。
NYで見たこの小さな作品が忘れられなくて
日本でもぜひ上演したいと
渋谷の小さな劇場、ジャンジャンで
上演をさせていただいて、
16年あちらこちらで上演してきました。
小さな作品ではありますが、
お客様に与えるもの、ストーリーや音楽は
大きなミュージカルを
遥かに凌駕(りょうが)するほどの
インパクトがあると思います。
アメリカで52年間も上演が続いたというのも
物語の純粋性や、音楽性も豊かであることに
原因があると思うのです。
過去、何人かの出演者と競演してまいりましたが、
この度はロックバンドSOPHIAの
ボーカルである松岡充君に
マット役で出演してもらいます。
彼とは2007年にグランドミュージカル
『タイタニック』(初演)で共演したのですが、
2009年に再演がありまして、
その時に「『ファンタスティックス』という
ミュージカルがあるんだけれど
マットという役で君、出てくれないかな」
と声をかけましてね。
それで上演が決まった時にいち早く彼に声をかけました。
それから可憐な少女ルイザ役には宝塚の名花で、
退団されてからも
あちらこちらで活躍をされている
綾乃さんにご出演をいただいていております。
- それぞれの役について、どのような想いがありますか?
- 松岡
- 僕がせっかくやらせてもらえるのだから、
僕でしかできないマットを
創り上げたいなと思っています。
男の子なら誰でも一度は経験するであろう悩み
夢と現実、恋や愛、自分以外の誰かを想うことで
人生を切り開いていく方法論を
見つけていくところまで
表現できたら嬉しいですね。
- 綾乃
- お恥ずかしながら私、
お話をいただいた時まで
この作品を見たことがなかったんですね。
- 松岡
- 僕もないんですよ。
- 綾乃
- でも、色々な方に「次は何やるの?」
と聞かれた時に「『ファンタスティックス』を
させていただくんです」。と答えると、
「いい作品やるね~」とミュージカル好きな方に
すごく言っていただいて。
あ、みなさんすごく好きな作品なんだ!
と、ここから学び始めました。
ルイザという役は夢見がちな幼い少女が、
色々な実体験を通じて
自分にとって大切な物は何かを知っていく…
という誰にとっても普遍的なテーマを持つ役です。
私、実はお仕事が決まってから今年の6月に
NYにファンタスティックスを観にいったんです。
その時に言葉は分からないのですが、
メロディの美しさとか、
一言、一言の細かなことは分からなくても
伝わってくることに感動しました。
それを日本で演じられることができて
すごく光栄に思っているんです。
京都の思い出
- みなさん京都の思い出ってありますか?
- 宝田
- 一番最初に京都に行ったのは修学旅行でなんです。
- 綾乃
- 私もです! 私も!!
- 松岡
- 宝田さんもそうなんですか?
- 宝田
- 僕だってそうですよー。
- 綾乃
- 最初は映画とかの撮影じゃなくて、ですか?
- 松岡
- 戦時中とかですよね(笑)
- 宝田
- 後で稽古に入ったらやっつけてやる!!!(笑)
僕は子供の頃、外地・満州におりましたからね、
京都や宮城(きゅうじょう)など日本の名所は
ニュース映画や映画中に出てくる様子で見て
「うわ~これが、祖国!」「京都か宮城か!!」って偲んでいました。
それで京都へ行けたのは修学旅行。
今でも京都へ行くと、
あの鴨川の旅館の4階で枕投げしたり、
布団蒸しして騒いだなとか、
京極のあの映画館に飛び込んで観たなとか。
飲み屋のお姉さんに
「ちょいと学生さんは入りなさいよ」
なんて誘われて、ふらふら入ったとかね。
大映や東映は京都に撮影所が
ありましたけれど
東宝は京都に撮影所が無かったんですよ。
宝塚の大劇場があるところ、
劇場のすぐ側に宝塚撮影所というのがありました。
そこで黒沢さんの作品やら
有名なのはうんと撮りました。
なので僕ら東京の人間は京都へ行かないで
宝塚止まりなんです。それで撮影終わったら
車でバーっと三宮行ったり、京都へ行ったりしてね。
だから京都の上ル、下ルとかいうのは
いまだに分かりませんね。
でも美味しいところは結構知っていますよ。
食の都ですな。京都は。
昔は祇園の花見小路あたりで
錦之助(中村 錦之助)やら
勝新(勝 新太郎)なんかとお茶屋さんで
飲み歩いておりました。
当時の舞妓や若い芸妓さんが
今は一本(一人前)になって、
お店も持ってママなんかになっておりまして
そういう店を今は訪ねていたったりしますね。
そんなことぐらいですね、京都の思い出は。
- 松岡
- いっぱいありますよ(笑)
- 宝田
- その点、松岡君は関西出身ですから詳しいですね。
- 松岡
- SOPHIAの全国ツアーでは何度も行ってます。
昔から京都という街が好きだったんですが、
ついこの間も行って来ました。
オススメのアイスクリーム屋さんがあるんです。
- 綾乃
- 私も宝塚に12年暮らしていましたので、
阪急電車を使ってみんなで
観光や遊びに行っていましたね。
あとお買い物とか嵐山へ行って保津川下りをしたりとか、
清水寺へ行ったり色々な所へ行きました。
- 宝田
- 京都といえば私、去年、おととしでしたか
『葉っぱのフレディ』で
春秋座におじゃまいたしましたね。
この作品はご家族揃ってご覧いただける作品です。
ちょうど年頃のお子さんをお持ちの親御さんや
おばあちゃま、おじいちゃまもご一緒に、
揃って観に来ていただけたらなと思っております。
- 『ファンタスティックス』は
かつての切ない少年・少女の気持ちや
両親の気持ちに想いを馳せたり
子供達の気持を想いやりながら…ど、
様々な登場人物や設定に自分自身を当てはめて観ることができるミュージカルです。
ミュージカル大ファンから、初めて観る方、
小さなお子さんからシニアの方まで
みんなが楽しめる作品です。
ぜひ、お誘い合わせの上、お越ください。