桂米團治さんインタビュー 若旦那に訊く 春秋座と「おぺらくご」

上方落語の魅力とオペラが融合した 桂米團治による「おぺらくご」。 この秋、待望の春秋座公演が開催されます。 今回は歌舞伎舞台である当劇場を使っての公演で いつもとは違った雰囲気になりそうです。 どんな内容になるのか、 今の想いをお話いただきました。

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米團治さんは、春秋座を設計監修した 三代目市川猿之助(現・猿翁)丈が、 昭和62年に南座で行った 『南座スペシャル猿之助のすべて』に 小米朝当時、司会として、ご出演されたそうですね。

はい。お客さんを舞台に上げて インタビューをしたり、猿之助さんと対談したりしましてね。 演目はそれぞれの名場面集で、 スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』、 オペラ『コックドール』をやって、 最後が宙乗りの『義経千本桜』。 これがまた新演出だったんですよね。 それで舞台転換が大変だから、 私が狂言回しのようにつないで、最後に 「お客様、ただ今より猿之助丈、 狐忠信、宙乗りまで新演出にて行います。 すみから、すみまでズズズィーと乞い願い、 (チョン) 申し上げたてまつります~」

【六方】
手足の動きを誇張して歩いたり走ったりする様子を象徴的に表現した演出。花道を通って引っ込む時に演じられる。
と言って、市川右近さんに教えてもらった所作で、 六方を踏みながら花道を入ったんですよ。 拍手喝采を受け、いい気分になってるところへ 番頭さんが走ってきはりまして 「えらい事しはりましたね!」って。 「えっ、何か?」って言ったら 「すみから、すみまでっていうのはね、 座長しか使っちゃいけない言葉なんですよっ!」って(笑)

春秋座でできること

その頃、三代目猿之助さんと 色々なことをお話させていただきましてね。 そんな思いがあるから 今回は普通の落語会と違って、 「春秋座でやるんだ!」という特別な感慨があります。 ですから、一部では普通の落語をするのではなく、 三代目猿之助さんとのエピソードも交えて 高座を勤めようと思っています。 春秋座は歌舞伎にピッタリの劇場で これだけ広くて、回り舞台や迫りがあって、 宙乗りもできる劇場だということを お客さんに知っていただいた上で、落語をしたい。

【揚幕】
花道の突き当たりの小部屋(鳥屋)の入り口にかかっている幕。

ですから花道の揚幕から登場してね。 落語も歌舞伎の音楽を拝借している芸なので、 古典芸能の伝統の重さ、良さというものも お客様に伝えることができれば、うれしいです。 これは1部と2部通じての大きなテーマですね。 その上で、春秋座の雰囲気に 一番ふさわしい落語をやりたいと思っております。

落語で聴けば、解説書は不要!

日本の歌舞伎は、 西洋では例えばオペラに当たります。 洋の東西は違いますが、 どちらも沢山の人たちにより 永い年月をかけて様式美化されてきました。 様式美は、やはり美しいです。 でも、唯一の難点はストーリーが分かりにくい。 特にオペラは解説書を見なければ、なかなか分からない。 「そんな時に落語があれば、解説書なしに楽しめます!」 というのが、根底の私の思いなのです。 『リゴレット』や『アイーダ』とか、 『西部の娘』だとか『トスカ』だとか、 もう登場人物の関係がややこしくて、 なかなか頭に入らないですよね。 どのオペラもそうなんですよね。 僕、今、55歳なんですけれども 初めてオペラを観たのは27歳の頃です。 それまでモーツァルトの音楽が好きで、 コンサートとかには行っていたんですけれど、 オペラは観たことがなかった。 「モーツァルト、好きや好きやと言いながら、 一回もオペラを観たことがないわ」と思って、 今回の演目にもなっている『フィガロの結婚』を観たんです。 観たけれど一体、何を言っているのか、よく分からない。 「え? 今、何を歌ってたの?」って。 面白いところは、面白いんだけれど、 全体のストーリーを掴めないまま帰ったんです。 それで帰ってから、パンフレットを読み返したり、 音楽書を見ていくうちに、「こんな話やったんだ!」って分かった。 つまり早よ言うたら、男と女の戯言で 伯爵がスザンナを狙って・・・。 それに、この話とこの話がくっついているんやなって。 その、もつれた糸をほどくように 解説書で勉強していくと 「あぁ~、そういうことか」って分かってくる。

でも、「登場人物は…あぁ~まだややこしいな~」って。 それでさらに整理していくと、 自分の頭の中であらすじというか、骨子ができたんですよ。 「一言で言うたら、こういう話なんやねんな。 じゃあ、これと、これと、これが 横にちょっと付いているようなもんやな」って……。 だから、オペラを勉強していって 自分が分かりやすいように噛み砕いていったら、 それが落語になっちゃったと。 自分で納得して話すと、 お客さんにも「そういう話やったんか」と分かってもらえます。 だったら、「音楽家の人達と、よく分かるオペラをやりましょう」 ということになったわけ。

落語には、歌舞伎や浄瑠璃を題材に作られたものもありますよね。

はい。芝居から落語になったものに 『文七元結(ぶんしち もっとい)』などがあります。  それとは別のジャンルで 落語の中で歌舞伎通が歌舞伎の真似をする 「芝居噺」というジャンルがあります。

ということは、歌舞伎や浄瑠璃を落語にするのと 同じような発想で「おぺらくご」を?

そういうことです。 そういう発想でやったんです。 歌舞伎の『人情噺文七元結』を落語にすると 時代背景も江戸時代のまま、 登場人物もそのままでやっても違和感ないですね。 ところがオペラや外国の話を落語にしたら 違和感があるかと思いきや、 これが不思議と通ってしまうんですよ。 『フィガロの結婚』でもね、 フィガロ、スザンナ、アルマヴィーヴァという役名で話すと、 お客さんは最初、ぷっと笑うけれど、 それでも一度、納得できたら、 ずーっと話が進んでいくんですよ。 日本語の、しかも関西弁でもいけるんです。 これが落語の強みですね。 落語は、お客さんの頭の中に映像を描いてもらうんですね。 だから演者が下手だったら頭の中に映像を作れない。 でも演者が普通にやっていけば、 お客さんは、すーっと映像を作っていけるんですよ。 だから (女の声で) フィガロ、フィガロ (男の声で) どないしたんや スザンナ

 

これで、もう成立してしまうんですよ。 そこから始められるんです。 それが落語の強みですね。

落語にとって型破りとは

先代の芸術監督 市川猿翁さんはもともと型があって、 それを超えて作ったものを「型破り」と言っておられました。 「おぺらくご」も「型破り」なものと思えますが いかがですか?

はい。先代の猿之助さんの言葉でよくありましたよね。 でもね、僕は「型破り」ということさえも、あまり意識してないんです。 おぺらくごは、実は「型破り」でも何でもないんだよ。 普通なんだよ。と思っているんです。

つまり、落語の世界においては普通と。

落語ってね、本当にどんなものとも交われると思っているんです。 立川志の輔さんはコーラス隊を使って 落語会をやってみたりするし、 今の文枝会長(上方落語協会会長・桂文枝)は、 現代の話を創作落語として、どんどん作っておられる。 桂春蝶君は、特攻隊の話をしたり、 和歌山県沖で座礁した トルコのエルトゥールル号遭難事件の話をして、 昔の事件を一瞬に綴って、一つの感動編を作るとかですね。 これ、すべて型破りではないんですよ。 すべて落語なんですね。 柳家花緑君は、洋服を着て椅子に座ってやっていましたけれど、 あれも彼の頭の中では、型破りなんてことじゃない。 「普通だよ、兄さん。洋服着て落語をしゃべっているだけだよ」 って言うんですね(笑)。 いずれも噺家にとって、型破りじゃない気がする。

歌舞伎はやはり様式美です。 ひとつの型があり、そうではないところを 猿翁さんが、あのようにやられた。だから、 型破りなのかもしれませんが、 落語はみんな、そんなに型を破っていないよ。 普通だよ、みたいな(笑)。 みんな、こう、無意識に上下(かみしも)…首振って 話をしますよね。 それが落語の原点なのですから。