オペラ 「月の影」―源氏物語―作曲家・尾上和彦さんに伺いました
紫式部によって平安中期に書かれた「源氏物語」は、
世界最古ともいわれる長編小説。
『仏陀』『藤戸』『法然・親鸞』など古典作品の
オペラ化を数多く手がけてきた
作曲家の尾上和彦さんが
『源氏物語』をオペラ化するまでと
ご自身が作曲家になるまでについて伺いました。
聞き手・構成 舞台芸術研究センター
「月の影」HPはこちら

其の二 日本最年少の作曲家になるまで

―今回の出演者は京都出身の方が多いですが、やはり京都で音楽を学ぶ事が出来る京都市立芸術大学と京都市立京都堀川音楽高等学校の影響は大きいですね。

そうですね。

―東京など大都市には音楽科を持つ高校はありますが、地方には少ないですよね。尾上さんも堀川音楽高校ご出身ですよね。

あはは。当時音楽科を持つ高校は東京近辺では 東京藝術大学付属と桐朋とあと2、3校、 関西では堀川の音楽コースとあと大阪音大の付属高校があったかな? 随分昔の話です。

僕は出身が奈良で、大阪の中学校に行ったのですが、 その中学校に堀川高校の一期を卒業した先生がいらして 「音楽の勉強ができる堀川高校っていうのがあるわよ」 とおっしゃる。 「じゃあ一度、受けに行きますか」って。 ひやかしですよ、もちろん。

「でも、あなたバッハかベートーヴェンの 何かソナタは弾けるの?」って。 そこでベートーヴェンのソナタを弾くんだ ということを知りました。不思議ですねえ。 そんな状態だったんです。

中学校に入学して一年生の時に クラリネットを持たされたのですが、 隣で打楽器がポンポンポンポンやるので集中できなくて、 もういいやって今度はトランペットをやったり。 そうして結局、全部の楽器を触っていったんですね。 そうしたら一年生の三学期には何もやるものがないんです。 だったら指揮をやれと。 で、一年生の三学期には吹奏楽コンクールの指揮をしました。 勝手なことばっかりしていたんです(笑)。

だから僕は思い出作りのために受験したというか、 受験前にはピアノも何も習っていないの。 ソルフェージュという言葉さえ知らないから、 試験の科目が分からないんです。

だから合格発表は見に行かなかったの。 だって受かるはずがないじゃないですか。 受験者はそれぞれコンクールで賞を取ったりとかね、 そんな連中ばかりだから。

それで兄貴が「それはいかんなあ」って言うので 合否を電話で聞いたら「電話ではお答えできません!!!」 ガチャン! って電話を切られて(笑)。 仕方がないから兄貴が「見に行ってきてやるよ」って 行ったら「おい!通っているぜ!」って(笑)。

―(笑)入ってから大変ですよね。

大変ですよ。だってみんな上手いんですから。 ヴァイオリンの中村英昭っていうのが上手くてね。 卒業して東京藝大からマンハッタンへ行って、 今、エリザベート音大の学長をしていますけれど、 彼を含めてクラスに男7人しかいないのに、 ごっついのばかりでね(笑)。

だから今考えると、学校が拾ってくれたんです。 専攻の教師が作曲家で音楽課程科の主任だったんですが、 大酒飲みで変わっていてね。 その先生が何でか僕を拾ったんでしょう。 しかし、とにかく短期間でレベルを上げなければいけない。 入ってすぐ中間テストでバッハを 弾かなくてはならなかったんです。 練習するのですが、なんてややこしい曲を書くんだと もたもたやっていたら、同級生でピアノ科の和田君が 「これは、こうだよ、ああだよ」って教えてくれて それで初めてバッハのインベンション3声を弾いたんです。 試験の時は和田君ら男達が心配だから見に来て 僕がパッーと弾いて教室から出てきたら 「なんやー!心配してたんやで。 パラパラって弾いてしまうやないか」って。 本当にありがたかったですね。

そのころ本田先生というソルフェージュの先生がいらして この方がいらしたから世界の堀川高校になったのですが そのソルフェージュが徹底していて良かったんです。

それと主任教師が売れっ子の作曲家で NHKの連続ドラマを2本、 関西テレビ開局記念の1年間ドラマを1本 1週間に3本連続ものを持っているんです。 その先生に2年生の時かな、 「君、少しやってみるか?」と言われて 先生の楽譜を写譜する仕事をするようになったんです。

昔はオーケストラが演奏できるように パート譜を手書きで写譜したんですね。 そうすると放送局からお金をもらえるんですよ。

そのうち先生のお手伝いが本当に忙しくなってきて 夜楽譜を書いて、朝学校に行っても 昼から帰らなくてはいけなくなって ついに授業単位が足りず3年生になれなくなってしまった。 でも、僕にしてみたら毎週先生が書いて、 私が浄書して出した楽譜を使ってNHK大阪放送交響楽団が 目の前ですぐ演奏するわけでしょ? それも週2回。すごいやりがいがあったわけなんです。 こうやって様々な経験や訓練を現場で 徹底してやらせてもらいました。

結局もう一回2年生をやることになるのですが 授業に出られないのは同じ。 そのうちに劇団から舞台音楽の委嘱が始まったんです。 関西芸術座の『働き蜂』に書いたら大当たりをして 労演で全国公演するようになった。 そんなことで17、18歳の時は東京芸術座、 19歳の時には前進座の大舞台『屈原』を書きました。

16歳の時から現場で叩き込まれて17、18歳の3年間は、 ますます学校に行くことができなくなりました。 これはダメだと思って、ある日、試験に何も書かずに 白紙で提出して辞めることになりました。

うちの母親が呼び出されたのですが、 母親がまたおかしな人で 「うちのはみんなそんなんなんです。 辞めさせてやってください。放っておいてやってください」って言う。

そんなわけで17~27歳までの10年間、 東京の芝居、新劇の舞台や記録映画が多かったのですが、 週2回東京通いもあり、それを書きまくっていました。 そんな状態だったので、高校中退で、 日本で一番若い作曲家として 長い間日本の音楽年鑑に載っていたんですよ。

そんな尾上和彦さん作曲のオペラ「月の影―源氏物語―」は 面白い内容いなりそうです。お見逃しなく!

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