『石のような水』について語る(1)
『石のような水』演出 松本雄吉
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『石のような水』企画立案 森山直人

『石のような水』プロローグイベントを 10月19日より1週間、 元・立誠小学校 特設シアターで開催。 タルコフスキーの映画作品『ストーカー』『惑星ソラリス』、 維新派・松本雄吉氏の『蜃気楼劇場』舞台映像、 松田正隆氏の出演のテレビドキュメンタリー『CAMOCEЛ(サマショール) ―長崎そしてチェルノブイリ』の上演に加え リーディングやトークイベントなどを行い、盛況を得ました。 今回は『石のような水』のいくつかシーンリーディング後 演出家・松本雄吉さんに本作品の魅力や舞台美術の見どころを中心に、 演劇批評家・森山直人と作品についてトークの摸様をご紹介します。

枝葉、枝葉で空間や時間を紡いでいく

森山
松本さんが松田さんと前に仕事をされたのは、3年ぐらい前でしたか。 大阪の精華小劇場プロデュース公演として 松本さんと松田さんがタックを組んだのが最初ですよね。 その時からすると2回目なのですが。 (リーディングを拝見して)僕は随分、 今までの作品と違う印象を受けたのですが、 今回、松田さんの戯曲を受け取った時の印象はいかがでしたか?
松本
最初にドサーと来たわけですよ。会話ばかり。 正直、もらって1週間ぐらいは表紙を開けてなかったんですよ。 というのは、松田さんの文章を読むのはすごく体力がいるんですよね。 よいしょ! って、決めてかからないと負けそうな戯曲というか。 ストーリーがあってどんどん読み切れると言う感じではなくて、 「ええ」「あぁ」「その」「う」というような意味以前の 特にひらがなが多くて。 その辺の雰囲気を理解するのは、身体的に読み取っていかないと 値打ちが無い本というか。 背後の息遣いが聞こえてくるような読み方、 受け取り方をしていかないと意味がないなということを すごく分っていまして。 よく言うじゃないですか。小説は寝っ転がって読めるけれど、 詩は正座して読まなくてはいけないって。 ちょっとそういった感じの本なんですよね。 とはいえ、テレビ観ながら読みましたけれどね(笑)。
森山
え、そうなんですか(笑)。
松本
ほら、山中くんの観なアカンから。 (朝の連ドラ『ごちそうさん』に出演中)
森山
松田さんの本って、読むのに時間かかるんですか?
松本
何が基準になるか分からないから読み飛ばしようがない。 飛び石の飛ぶ石が無いんですね。 実は第一稿の次に上がったのが、今リーディングで読んだものなんですが、 みんなで読み合わせをしたら2時間35分もかかったんですよ。 ハイスピードで読んでもこれだけかかるから、 30分は削らなくてはいけないだろうということで 僕も松田君も努力をしたのですが、 台本の性格上、これはストーリーが どうのこうのという感じじゃないんですね。 分かりやすく言うと、幹があって枝があってっていう感じ。 幹を大事にするんやったら、枝は取っていったらいい。 でも、松田君はどうも枝葉が大事なような…。 枝葉、枝葉で空間や時間を紡いでいくというか、 そういう脚本なんですよね。 太~いストーリーがあって、次は何々のシーンって 区切るように観るのではなくて、 ぼ~っと、枝葉の葉っぱから葉っぱに 風が移っていく様子を見ていくような。 より真剣にこちらが感度を開いて読んでかからんと、 という側面がありますね。
森山
よく、枝葉を観ながら幹を想像するっていいますが それでいうと読む時とか、場所で印象が違うとか。
松本
そうですね。それは特に。 松田君のは文学じゃないと思うんですよ。 広く言えば文学かもしれないのですが、やはり脚本なんですよね。 ということは俳優の肉声を通して聞く言葉だと思いますから、 森山さんがいうような良い状態で読むというのと 俳優の肉声を通して聞くのを頭の中で混ぜて、 幹を見ていく作業というのですかね。 その見えてくる幹が日によって変わってくるというか。 この幹は、あの辺まで続くのかとか シーンを3つぐらい通り越して、次の次のシーンぐらいで、 ぐっとまた幹が出てきたぞ、とか。 そういう印象が俳優の読み合わせを聞いていると見えてきましたね。
森山
稽古初日を半分ぐらい見せてもらっただけで 先ほど、リーディングを見て、今日は全然、印象が違いましたね。
松本
そうですか。
森山
それは、ちょっとした声のトーンが変わっただけでも、 舞台のあり方が違ってくる、そういう面白い作品ですね。 でもまだ始まったばかりだから、 どんどん変わっていくでしょうけれど。 でも、ある意味、役者さんは神経を使って大変だろうなって。
松本
まず、向いている俳優がいるかっていう。 こういう息づかいが大事な本で、 その中で、どういう息づかいを発してやったらいいのか。 そんなにこれができる俳優って、 あんまりザラにはいないと感じていますね。
森山
リーディングを聞いていて思ったんですが 集中力のあり方が際どくて、バランスを取りながらやらないと…
松本
いや、難しいと思いますよ。 これは、みんなに聞いてみないと分からないのですが 相手のセリフをちゃんと聞いているのか、 そこそこに聞いてやっているのか。 まともに聞いている人はいないんじゃないかなあ。どうなのかなあ。

松田正隆の「まなざし」

森山
この企画は、タルコフスキーをモチーフにしているんですけれど、 今回に限らず、松田さんの本の中で タルコフスキーを感じたことってありますか?
松本
松田君の台本は、それほど視覚性は出てこないんですよね。 どちらかというと会話のやりとりだから、 タルコフスキーの映像美は、あったとしても 松田君の台本の中に潜んでいますよね。 台本上には出ていない。
森山
タルコフスキーのヴィジュアルはすごいですよね。
松本
だた、前にやらせてもらった『イキシマ』もそうですが、 「まなざし」。まなざしの問題ですね。 それは人対物だったり、人対人であったり。 人が物をどう見るか。人が人をどう見るか。 その見た後の自分が、そのまなざしを自分でどう解釈して、 どう対応していくか。 恐らくタルコフスキーもそういうところがあると思うんですよね。 だからもう、なんでもいいんです。 洗濯バサミでもペットボトルでもいいんです。 それをどう見ているか、どう解釈するか。 事の大小ではなくて。 そういう意味では文章でやっていてもそういう目線って 結構、美術作家っぽいですね。
森山
美術作家っぽい。そうですか。
松本
風景をどう見るかとか、オブジェをどう見るかとか。 デッサンって、そうですからね。 いかに近く描くのか、本質から言ったら描かなくてもいい。 で、描いた自分はどう変わったのか。その後、どうなるのか。 そういうことの応答、返答、往還を ずーっとやっているような感じの作家だと思います。
森山
デッサンという言葉、そうだなと思いますね。 よく「スケッチ劇」という言い方がありますよね。 岸田國士の「スケッチ」。
松本
ああ。
森山
でも、松田さんの芝居って、スケッチ劇っていうか… 戯曲では、日常生活で使っている言葉は出てきますが、 あまりスケッチっていう感じはしないなあって。 そういう意味では「デッサン」っていう気がしますね。
松本
そうですねぇ。デッサンかなあ。 自分の見方が悪かったから一回、消そうとか。 デッサンって鉛筆ですよね。チョークとか。 秋子のセリフにもありますよね。 交通事故に合って死体らしきものを見て、 それを見て自分が感じて、いいものか。 見て、何か自分のものにするっていうことは、 良くないのじゃないかっていう。 写真とか撮ってはダメなんだと。 外部のものは外部のものとして 自分の内部に上手く取り込んだり、利用するなってことを 彼女のセリフにあります。 あれは松田戯曲の本質的なテーマじゃないですかね。
森山
デッサンってタッチの強弱みたいなものがある気がしていて、 デッサンをしたことがないから、 やっている人を見ての想像なんですけれども 描きながら対象を触っているじゃないですか。 触っている時の強弱みたいなのが強く触るのか、弱く触るのか。 そういうバランスを松田さんの言葉に感じるんです。
松本
なるほどねー。
森山
言葉で触って。その触り方が一定ではなくて、 強く触ったり、弱く触ったり。 触り方の強弱のバランスを見ている感じがします。
松本
そうそう、今回も出ているんですけれど、 給水塔フェチなんです。あの人(笑)。 お好きなんです。あのフォルムが好きなんでしょうね。 彼の表現でいうと野球バットに乗せている優勝ボールみたいな。 どうもあの格好が好きみたい。丸いものが三角の脚に乗っているのが。 恐らく松田くんは不器用だと思うんだよね。造形はできない。 素直にね、三角形に円が乗っている。 乗っていることに素直に感動しているという。 外国に行っても、まず給水塔を見付けるんですって。
森山
松田さんに給水塔について語ってもらう時間を作りましょう。
松本
ええ。やりましょう(笑)
松本
ただね、面白いことを聞きましたよ。 ホテルに入ってカーテンを開けたら向こうに給水塔が見えた。 その見えた時が一番、いいんだって。 それを「あ、給水塔」と頭の中で思うじゃないですか。 思ったら、その感動がガラガラガラッと崩れるんですって。
森山
あー。
松本
それがね、まなざしの序章というか、ふわっとする感じで見る。 恐らく「給水塔」という言葉になる以前に感動して、 「あぁいいなあ」って思ったりする。 僕らはもう回路がすでにできてしまっているから、 目で見た喜びを言葉化しますよね。 「あれは給水塔だ。あそこは団地だ」とか、パパパッと思うじゃないですか。 「第一給水塔感動」っていうんですかね。 そういうのを大事にしたいんだと。 今回もそういう部分をちょっと感じますね。
森山
段階があると思いますが、ある意味で演出家って、 給水塔というのを意識して、どこに置くか、どう演出するか というのを芸術的に考えているところが仕事かなと思うのですが、 その意味では松田さんの戯曲は演出家からは 割と対局にあるような気がしますが、どうでしょう。
松本
まあ、そうでしょうね。そうですね。 その辺の仕掛けを俳優と相談しながら、やっていこうと思っています。 だからあんまり枝葉をどんどんボンドで固めて 幹にするようなことはしないようにしようと。
森山
なるほど。
松本
枝葉がちゃんと活きていて、 枝葉だからあんまり言葉にならないようなこともありますが、 それをできるだけ上手く、あまり固体化されないようにね。 そういう意味ではタイトルも結構、そうなんですよね。 『石のような水』って。 途中で「人間の体はほとんど水でできている」とか 「記憶が水を石にする」とか。 そういったセリフがパッパッと出てくる。 タルコフスキーに近いからそういうのかな。 水のイメージから石のイメージへ。 僕は元々、美術をやっていたのでね、分かるんですよ。 水と石の感じってわかるんです。 石膏はね、粉に水を入れたら水のようになる。 僕ら、それだけで感動するんです。化学変化。元に戻らないですよね。 土は水を入れて固くなっても乾燥したら元になる。 石膏はあと戻りしないという面白さがある。 粉にはならないんですよね。
森山
また別の化学変化を起こさない限りは。
松本
そうなんです。恐らく松田君はぼんやりと、ぼんやりとじゃないのかな。 確信犯として俳優論を語っているようなところはあります。 『石のような水』というのはある意味、映画論でもあるし、 俳優論でもありますね。
森山
そうですね。演技とはなにか、というところがありますよね。
松本
あのセリフ気になるよね(俳優に向いて)。 演技なんていうものは、ありえない。マネじゃないんだ。 中に水を入れて、その人にやらせているんだ。 というような書き方なんだね。
森山
そうですね。
松本
すごく素敵な表現で、ああいうように 俳優論、演技論を語るのが面白いなと。
森山
そうですね。そういう意味では、セリフとして聞くだけでなく、 機会があったら読み物としたら違った面が見られるかもしれませんね。

役者の息づかい

松本
これは俳優さんたちに稽古場で言っているのですが、 この台本の「活字がお客さんに届く」ということ。
森山
活字が届く?
松本
文字が届く。
森山
文字が届く?
松本
意外とね、映画や芝居を観に行って シナリオで観た時の方がいい場合が多いんですよ。 原作の方がね。一番、俳優が邪魔しているのかもしれない。 だから舞台化するというのは、どういうことなのか、 考える必要があると思います。 紙に書かれたものは、それ自身、ある種、完成品なのに それに肉付けをするということは、 どういう作業をしたらいいのだろう、とね。 それだから、俳優という立体物が 活字に対して自己主張する意味があるのか、と。 まずは言葉は悪いけれど活字の奴隷になってほしいなと。 お客さんに活字を届ける役になってほしいなと思います。
森山
それは、つまり活字が読みたいという感覚になる時があって。 それは何でなんだろうと思っていたんだけれど、 俳優がやった時の方が、急にセリフが入ってこなくなったりする時があるし。 でも、入ってきた時っていうのは、確かに意味として伝わってくるけれど、 活字が伝わるというのは、またそこにもう一つ違う場合があるなあ。 その辺が面白いなあ。
松本
昨日、映画の『ストーカー』を観ていて、印象的なシーンがあったんです。 ゾーンの中のすごくきれいな水の流れを 長いスパンで、ずっとカメラが俯瞰で移動しているシーン。 ほとんど水の底は茶色っぽいヘドロで、 その中に時計の残骸とか辞書とかいろいろなものが埋まっているんですよね。 あんな感じがいいんじゃないかなあって。俳優の体というのが。 ただ、あれはヘドロだから、ぐわーってかきまぜたら 底の何もかも見えなくなるじゃないですか。 でもしばらくすると沈澱して、また底が見えてくる。 その感じ。俳優は静かに上に流れている水のようなものとして、 存在が見えるというのでしょうか。 『ストーカー』を観ていて、あのような感覚が、 俳優はこれだよな、と思ったんですよね。
森山
そうですよね。俳優ってそうだなって感じしますよね。 突然、良くなる時ってあるじゃないですか。 全然、何やっているのか分からないって感じだったのが、 スッと、見えたりして、あれは上手く…
松本
俳優さんって不思議なもんでね。突然変わるんですよね。 水が澄むんでしょうね。 ある程度濁る時も必要でしょうけど、 濁った時に澄み方が楽しみというか。 それが出てくるのが楽しみですよね。それは共演者もそうでしょうね。 観ていて、あぁ澄んできたなあ。とか。今回はそういうものだと思います。 やり方によってはま逆になっちゃうところがあるからね。
森山
全体的に割と「音」が重要な役割を果たしている感じがあるのですが、 この作品の「音」というは松本さんにとって、どういうイメージですか?
松本
一つには音ドラマであるということですね。 実は前の『イキシマ』というのは「ブレスアイランド=息の島」なんです。 呼吸の島。それが全く意味が分からなくて、どういうことなんだ?と 松田さんに聞いたら、演劇は最終的には、会話劇だと。 声を出して成立するものだと。 これ、今、松田君の代弁をしているんだけれども、 声というのは、まず息だと。漏れている息というか。 それに、ちょっと何かが絡まって、声になる。 さらにそれに意味が入ると言葉になる。という三段階だと。 さっきの給水塔の話じゃないけれど、セリフよりも前に息なんですよね。 最初に漏れ出る。それでハッと思ったの。 そういえば、みんな息づかいって言うよなって。 あの人の息づかいが好きだとかいうじゃないですか。 それって日本人のすごい感性で、 あの人、すごく良いこというとか、賢いとかじゃなくて。 息づかいってもっと深いよね。
森山
もっと多様ですしね。
松本
絵でいうと水彩画のタッチのようなものなのか、水墨画に近いのか…。 そういった感じの息の延長としての声というね。 だから結構、セリフに散りばめられている感じがしますね。 結果的に12名の出演者がいるのですが、 12名の出演者の息づかいの芝居だと思っています。 ちゃんと12名。11+1ではアカンし。 それぞれ12名の息づかいがあって、 まずはそれで言葉の意味とかは次なんだなと。 その間に、いい声とかサウンドとかが入ってくるのかなあっていう。 そういう意味では、音響の荒木くんが 維新派みたいなワイヤレスでやりたいねって。 吸う音とか拾いたいって。それだけじゃなくて、 ソファの呼吸音とか歩く時の靴の呼吸音とか、 まずそれをベースにして意味としてのセリフがある。 そんなんやりたいって。でも大変だよ、と言ってありますけれど(笑) ただ会場がそれほど大劇場じゃなくて 客席から俳優の息づかいが聞こえる距離なので、 それを増幅させるようなことはやっても意味があることだと思います。 やれる範囲でやりたいなと思います。
森山
今回は、春秋座の大きさはそのままで、 舞台と客席との距離感を縮めるような操作をしようと思っていて、 それは見てのお楽しみなんですが。
松本
どこまでできるか。維新派はバカだからやたらと広いところで、 広い劇場で、わーっとやっていましたけれど、 亡くなられた太田省吾さん(1939 - 2007年 劇作家、演出家)に言わせると 演劇には至近距離があるといっていましたね。 今しゃべっている位置だと僕の息づかいは聞こえますよね。 でも、これが講堂だと無理。演劇は講堂では無理だ。 ましてや300人、400人入る劇場もダメだと言っていました。 本当にそういう意味では、俳優の息づかいですよ。 セリフじゃなくて。息づかいって本当に難しいですよね。 太田省吾さんの沈黙劇というのは知られていますが、 例えば『水の駅』という芝居は、真ん中に水があって全部、沈黙なんですよ。 だから俳優の息づかいが全部見えちゃうという芝居で、 あれはあれですごいなと思うのですが。 そうそう、今日、発見したんですが、 何か書かれていないセリフを息づかいで相手役に伝える。 それに対する答えは、書かれたセリフで言うんですけれど、 それを入れると言葉の意味が全然、変わってくる。 そういうところが一杯あるなって。
森山
私も今日は途中からしゃべっている人ではなくて、 聞いている人の顔を見ていたんですが、その方が面白いなって。 聞き方の息づかいがよくて面白いですね。 普通はしゃべっている人に注目させるような作り方が多いですが、 聞いている人の顔を見ると、急に違うことが見え時がある。
松本
イタリアの現代美術作家でね、息を作品にしている人がいるんです。 息をフッと吐いたやつをフリーズドライで固めて彫刻作品にしているんです。 息づかいの立体化ですよね。 だからね、春秋座でクーラーガンガンに入れてね。 気温を5度ぐらいにして、息が白くなるぐらい、あれがいいんですよね。 まさに息づかい。一遍やってみたいですね。 特にこういうのは寒い劇場でやった方がいいんじゃないですかね。 息のありようがある程度見える。 いつでも息なんかできるわいっ! っていう沖縄ではダメですね(笑)。 タルコフスキーなんかそうですね。やっぱり寒いところの芸術ですよね。

最後に作品について

松本
今回はね、カッコイイの作ります。 メッチャかっこいいです。俳優陣、男前が多いでしょ? 松田君が、今回はメロドラマを書きますって言ってたんだけれど 本当にメロドラマ書いてきたので笑えますけれどね。 何回やっても楽しみですね。 でも言っても、言葉で伝えたのと観るものは、違うからねえ。 絶対、裏切るから。
森山
では、ぜひぜひ心地よく裏切られに来てください
松本
よろしくお願いします。

松本雄吉プロフィール

維新派主宰。1974年以降の全ての作品で脚本・演出・構成を手がける。1991年東京・汐留コンテナヤードでの巨大野外公演「少年街」より、独自のスタ イル「ヂャンヂャン☆オペラ」を確立。野外にこだわり、観客とともに旅する「漂流」シリーズを企画。奈良・室生、岡山の離島・犬島などで公演を行う。代表 作に野球グラウンドを全面使用した「さかしま」、離島の銅精錬所跡地内に劇場を建てた「カンカラ」、琵琶湖上に作った<びわ湖水上舞台>が大きな話題と なった「呼吸機械」など。2002年朝日舞台芸術賞、05年読売演劇大賞優秀演出家賞、09年朝日舞台芸術賞・アーティスト賞、芸術選奨文部科学大臣賞、 11年紫綬褒章受章。