はじめに

恒例となりました春秋座での能狂言も、今年度は、観阿弥生誕六百八十年、世阿弥生誕六百五十年記念ということもあって、三回も公演を持つこととなりました。

今回は、能も狂言もポピュラーな演目を選びました。能は観世銕之丞師のシテで『船弁慶』を、狂言は野村萬斎さんを中心にした『棒縛』ですが、『船弁慶』の間(アイ)の船頭を野村万作師がなさるのも、狂言の劇的「語り」の例として貴重です。『船弁慶』は、前段と後段でシテの演じる人物が変わる形の能で、前段は、平家滅亡後に、兄の頼朝から追われる身となった義経が、愛人の静と別れる情景で、シテは傷心の静を演じます。やがて大物(だいもつ)の浦から船出して北陸道へと逃れようとする海上の義経一行を突然の嵐が襲い――この海上の逃避行が間(アイ)の語りの見せ所です――、その中から、壇ノ浦に沈んだ平家一門の怨霊が現れ、なかでも平中(へいちゅう)納言(なごん)知盛の亡霊が、長刀を振るって義経一行の船に迫ります。義経が立ち向かおうとするのを弁慶が押し留めて、法力で怨霊を退散させます。シテが、前段では恋人と別れる哀傷の美女を演じ、後段では勇壮かつ怨念の塊である悲劇的武士を演じるという、能の演劇的な局面をよく見せてくれる作品です。

後世の作品への影響も強い作品で、たとえば文楽人形浄瑠璃の『義経千本桜』の「渡海屋(とかいや)の段」は、能の詞章や演出を、ほとんどそのまま嵌め込んで使っていますし、それはこの作品の歌舞伎ヴァージョンでも変わりません。更に、明治以後の「松羽目物」(能狂言の歌舞伎化)でも、『船弁慶』は人気曲の一つでしょう。こういう、言わばポピュラーな作品も、歌舞伎との対比を知るためにも、見ておく必要があると思います。

狂言『棒縛』もポピュラーな作品で、留守中に酒蔵の酒を飲まれないようにと、召使の太郎冠者と次郎冠者を縛って出かけた主人の裏をかいて、酒蔵に入りこみ、酒を飲んで泥酔した召使二人が、主人の悪口を散々に言い合っているところに帰ってきた主人を、逆になぶって逃げて行くという、「価値の転倒」の喜劇です。

渡邊守章(演出家、京都造形芸術大学舞台芸術研究センター所長・教授)