毎年、恒例であり人気の公演です。 今年は京都芸術劇場創立十五周年の節目の年でもあり、 「春秋座-能と狂言」も更なる実験を目指して 「歌舞伎劇場における能の《道成寺》」をご観いただきます。
紀州道成寺の釣鐘を巡る伝説は、中世以来あったようですが、舞台表現としては、16世紀初頭の能作者・小次郎信光の作とされる『鐘巻(かねまき)』が最も古いものと考えられています。
あらすじとしては、絶えていた釣鐘を再建する「鐘供養」の場に、美しい「白拍子」の姿で「裏切られた女」(前シテ)が現れ、舞を舞い、嫉妬の怨念によって釣鐘を落とす前場、寺の長老による「語り」を挟んで、僧侶たちの祈りによって引き上げられた鐘の中から「蛇体」の「鬼女」(後シテ)が現れ、僧と闘い、最後は僧に調伏されて、日高川に飛び込んで消えるというお話です。
「恋の怨念」の物語を舞台に掛けた作品として、物語レヴェルでの力に加えて、いやそれ以上に、舞台の演出において、特に演者、つまりシテと小鼓の「乱拍子」と呼ばれる極度に切り詰められた《舞》と、それに続く「急の舞」から、舞台中央に釣られた鐘が落下し、そこへシテが飛び込む「鐘入り」へと、他の能には見られない強度に貫かれています。
ワキである僧の、「呪われた釣鐘」に関わる「語り」も、「乱拍子」の間、微動だにせず控えている集中の強度とともに、この能の重要な見所です。
鐘が引き上げられて、「蛇体」の姿を表した「後シテ」と僧たちの呪術的な戦いも、能の「鬼女物」の精髄を体験させてくれます。
この能の、ほとんど主人公と言ってもよい「釣鐘」は、舞台が始まる前に、狂言方によって運び込まれ、舞台天井の中央に設置された「滑車」に、綱によって吊るされるのですが、こういう至難の「作業」までも見せてしまうところが、この曲の一つの魅力でもあります。
主な出演者 観世銕之丞 宝生欣哉 野村萬斎 片山九郎右衛門
狂言『鐘の音(ね)』は、野村万作師が得意とされる曲で、息子の元服祝いに、「黄金(こがね)を熨斗(のし)付けにした刀」を作ってやろうと思った主人に、鎌倉へ行って「金(かね)の値(ね)」を聞いて来いと命じられた太郎冠者が、それを「鐘(かね)の音(ね)」と取り違えて、寺々の「鐘の音」を聞いて歩く話で、釣鐘を打って出る「音」を、太郎冠者自身が自分の声で表現し、かつ聞くという、声の芸と聴く芸とを、一人で表現する「超絶技法」であり、『道成寺』の「呪われた鐘」の物語の前に、釣鐘の音の世界を舞台に拡げて下さるものと思います。
出演者 野村万作 石田幸雄