未来のダンスのためのスカラシップ
ダンスゼミ&ラボ VOL.3/3
think, think, think! and dance, dance, dance!!!

講師プロフィール

ヤニス・マンダフニス, ファブリス・マズリア、マイ・ツァリーの3人からなる“MAMAZA”は、視覚的なイメージと物理的な感覚(むしろ、物理的なイメージと視覚的な感覚というべきかもしれない)の関係性に問いを発する舞台空間を立ち上げる。あらゆるクリエイティブなプロセスにおいて意見を共有することが重要であるという考えのもと、コレクティブな制作スタイルを展開。コレクティブな方法論は、妥協ではなく、作品の本質的な要素を深化させることができるからだ。したがって、カンパニー全員が作品に責任を担い、ダンサーとコレオグラファーの素質が融合するパフォーマーによって演じられる。各作品の主題にみあった制作プロセスを選び、作品を通して、みる者が「みる」ことと「考える」ことを同時に行う積極的な鑑賞者として参加するように促す。2005年にフォーサイス・カンパニーで出会った3人は、ヤニスとファブリスによる『P.A.D.』 (2007)やマイによる『Y』(2008)に代表されるお互いの作品をみて、ダンスとは何かを問う基本的な姿勢やパフォーマンスの演劇性について考える方向性に通じるものがあると感じ、2009年に『Z.E.R.O.』で初めてのコラボレーションを果たす。以降、舞台作品をはじめインスタレーション作品やサイトスペシフィックな作品を手がけ、国際舞台で発表している。2011年deSingel シアター(アントワープ)のアソシエート・アーティスト。2012〜2014年にはムーソントゥルム(フランクフルト)のレジデント・カンパニー(Bundes Kultur Stiftung Germany - Doppel Pass助成プログラム)。2012年に制作した『Pausing』 は、Modul-Dance 2012 およびReso - Réseau Danse Suisse
に出品された。“mamaza”は、3人のインディペンデントなアーティストによるコレクティブ・グループ。グループでの活動の他、それぞれが独自のアーティスト活動を展開している。
今回は、ヤニス・マンダフニスに代わり、ロベルタ・モスカが講師として参加します。


Photo by Dominik Mentzos

1972年ジュネーブ生まれ。ジュネーブのダンス学校を経て、アテネ国立学校、ルードラ・ベジャール・ローザンヌバレエ学校にてダンスを学ぶ。ハリス・マンダフニス・ダンス・カンパニー(アテネ)、ネザーランド・ダンス・シアター(オランダ)に在籍した後、1997年にウィリアム・フォーサイス率いるフランフルトバレエ団に入団。2005年以降は、フォーサイス・カンパニーで活躍している。『The magic of understanding』(ムーソントゥルム / 1998)『My left pussy foot』(TAT劇場 / 1999)、ソロ作品『Vu dici』(TAT劇場 / 2000)、ギルバート・マッツリアとロベルタ・モスカとの共作『Marche au millieu』(le Manege dOnex Geneva / 2001)、さらには『Home』(Forum Meyrin Geneva / 2003)をはじめとする数多くの作品を制作。『remote versions』(2003)および『Double B(l)ind』(2004)は、アグネス・チェクランとジョーン・マーティンとのコラボレーション作品としてウィリアム・フォーサイスが制作、ボッケンハイム・デポ(フランクフルト)で上演された。監督ルッツ・グレゴールと短編ダンス映画『meat me』を制作。作品の映像は、長編映画『Frankfurt dance cuts』(独仏共同出資のテレビ局アルテにて2005年3月13日放映)にも使用されている。2007年、アテネ・フェスティバルのディレクター ヨルゴス・ラコスの働きかけでヤニス・マンダフニスと『P.A.D.』を共同制作。同年12月にはフォーサイス・カンパニーのメンバー6人と『HUE』を制作、フランクフルトのボッケンハイム・デポで発表した。その後、同作のソロ版として『HUE score -6』(2010)を制作、ゲーテ・インスティテュート/ドイツ文化センター(日本)で発表した。2009年にはヤニス・マンダフニス、マイ・ツァリーと“mamaza”を結成し、『ZERO』(2009)『Cover Up』(2011)を生み出す。これらの作品は、Festival Automne en Normandie、ムーソントゥルム(フランクフルト)、PACT(エッセン)、Kunstenfestivaldesarts、Les Rencontres Chorraphiques Internationales de Seine-Saint-Denisをはじめとする様々な劇場やダンスフェスティバルとの共同製作である。ファブリスはまた、プロおよびアマチュアダンサーだけでなく、美大の学生に向けた即興のワークショップを世界各国で指導している。さらには、2015年9月にフォーサイス・カンパニーの新たな芸術監督としてヤコポ・ゴダニが就任するにあたり、ウィリアム・フォーサイスの在任最後となるカンパニー作品をてがける。

1984年イスラエルに生まれる。2001年にテル・アヴィヴで開催された国内のダンス振付ビエンナーレ「Shades in Dance 2001」で最初の振付作品を創作。2002年から、オランダのロッテルダム・ダンス・アカデミーで学ぶ。2005年にウィリアム・フォーサイスの作品『3 Atmospheric Studies』でアシスタントを務める。2007年には、モンペリエ(フランス)で、マティルド・モニエとグザヴィエ・ル・ロワが率いるex.e.r.ceのメンバーとなる。2009年、ファブリス・マズリア、ヤニス・マンダフニスと共に、MAMAZAを結成、『ZERO』 (2009), 『Cover Up』 (2011) 、『The Nikel Project – songs&poems』 (2012)らを共同で制作。『Pausing』 (2012)は、イオアニス・マンダフォニスとの共同作品で、これらはヨーロッパの劇場やフェスティバルとの共同制作として、各地で上演されている。MAMAZAとしては、2011~2012年は deSingel Antwerpのアソシエートアーティスト、2012~2014年はフランクフルトのムーゾントゥルムのレジデンスアーティスト(連邦文化基金によるDoppel Passプログラム)。これと並行して、自身の振付を行うとともに、学生やプロのダンサーを対象にコンテンポラリーダンスや理論を教えている。

イタリアのビエッラ生まれ。
スカラ座バレエ学校(ミラノ)およびジョン・クランコ・バレエスクール(シュトゥットガルト)で学んだ後、ウィーン国立歌劇場、ライプツィヒ歌劇場、 アテール・バレエ、 フランクフルト・バレエ団、フォーサイス・カンパニーに所属。現在はフリーランスのダンサー / 振付家 / 俳優として、数多くのアーティストと共演している。2014年にはローラン・シェトラン、MAMAZA、マリネラ・セナトーレらとコラボレーションしている。

文化学院文学科で演劇/ジャーナリズムを専攻。美術誌「art vision」、エンターテインメント情報誌「apo」、演劇誌「演劇ぶっく」、戯曲誌「せりふの時代」の編集を経て、パフォーミングアーツマガジン「Bacchus」を編集発行。雑誌の特集企画・インタビュー取材・舞台評論を数多く手がけ、2012年より「国際演劇年鑑」(ITI/UNESCO日本センター)の「コンテンポラリーダンスと舞踏」の項を毎年執筆。その他、IT分野でコンテンツマーケティングの仕事にも携わっている。主な編著に『空飛ぶ雲の上団五郎一座「アチャラカ再誕生』(2002)、「現代ドイツのパフォーミングアーツ」(2006)等。

東京外国語大学でアラビア語を専攻し、在学中にシリアに留学。シリアに住むパレスチナ難民の家庭に下宿し、パレスチナ問題に関心を持つようになる。一橋大学言語社会研究科博士課程単位習得退学。2003年から2年間イスラエル/パレスチナに滞在し、現地のアーティストや俳優らと交流をもったさいにパレスチナ人ラッパーの存在を知る。帰国後、国際交流基金の中東担当専門員やアラビア語講師を経て、現在は大学で中東事情などを教える。また、この数年パレスチナのアーティストやダンサーへのインタビューを集中的に行なっている。映画「自由と壁とヒップホップ」の字幕監修を担当し、日本での配給実現までのコーディネートを行なった。

1956 年京都生まれ。京都大学文学部哲学科(美学専攻)、同大学院修了。
甲南大学、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)を経て、現在京都大学大学院文学研究科教授。専門は美学芸術学、情報文化論。
著書に『情報と生命~脳・コンピューター・宇宙』(新曜社、1993年)、『〈思想〉の現在形-複雑系・電脳空間・アフォーダンス』(講談社、1997年)など。
京都芸術センター発行の批評雑誌『Diatxt.』(ダイアテキスト)1~8号までの編集長を務める。また、「SKIN-DIVE」展(1999)、「京都ビエンナーレ2003」、「大垣ビエンナーレ2006」などの展覧会企画にも携わっている。文化庁世界メディア芸術コンベンションの座長を3年間務めた。第一回・第二回ダンスゼミ&ラボ講師。

1978年京都府生まれ。2003年京都市立芸術大学大学院修士課程彫刻専攻修了。
2009年、横浜美術館( 神奈川) にて最年少で個展『金氏徹平展:溶け出す都市、空白の森』開催。
既成の日用品などを解体した後、素材は本来の機能から切り離され、溶け合うように別のモノと結合、石膏や樹脂などを用いて有機的な形態へと再構成するコラージュ手法が代表的。2014年KYOTO EXPERIMENT公式プログラムに参加。
また、『家電のように解り合えない』(2011年/作・演出:岡田利規)、ARICA『しあわせな日々』(2013年あいちトリエンナーレ初演)では、舞台美術を手がけた。http://www.teppeikaneuji.com

京都大学在学中の1997年より演劇活動を開始。2003年、橋本制作事務所設立。現代演劇、コンテンポラリー・ダンスのカンパニーマネジメントや、京都芸術センター事業「演劇計画」などの企画を手掛ける。2010年より国際舞台芸術祭「KYOTO EXPERIMENT」を設立、プログラムディレクターをつとめる。2013年より舞台芸術制作者オープンネットワーク(ON-PAM)理事長。2014年1月よりロームシアター京都プログラムディレクター。

1968年生まれ。演劇批評家。京都造形芸術大学芸術学部舞台芸術学科教授、同大学舞台芸術研究センター主任研究員、及び機関誌『舞台芸術』編集委員。KYOTOEXPERIMENT(京都国際舞台芸術祭)実行委員長。主な著書に『舞台芸術への招待』(共著、放送大学教育振興会)等。主な論文に、「「記憶」と「感覚」――ユン・ハンソル『ステップメモリーズ』の衝撃」(『F/T12 DOCUMENTS』)、「〈ドキュメンタリー〉が切り開く舞台」(『舞台芸術』9号)他多数。

明治大學演劇学科在学中、笠井叡に師事。独立後ソロダンスを中心に独自のダンスの世界を展開し、日本のコンテンポラリーダンスのさきがけとなる。国内外の公演多数。ダンスカンパニー枇杷系主宰。世界各地で公演、ワークショップ活動をおこなう。2000年-2009年京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科(2007年より舞台芸術学科)にてダンスの授業を持ち、次世代のダンサー、コレオグラファー育成する。著書に『速度ノ花』五柳書院。