「移民」を作中に描くということは、移住先と移住元の二つの文化の関係性を描くということに繋がる。素材として現地の歴史や人物を取り込むことになるが、その取り込み方に応じて「搾取」となる場合がある。それはどのような場合になり、どのような場合にならないのだろうか。
ダンサー・役者である石原菜々子は2011年から2017年まで維新派の劇団員として舞台に携わり様々な移民にまなざしを向けてきたが、その過程で先述の両場合を実感した。本研究の問いは、まずその実感から生じている。
例えば、『アマハラ』は日本統治時代に南西諸島に渡っていった日本人を描いた作品だが、その作品を台湾で上演するとなった際には様々な議論が創作過程で交わされ、自身もどう表現すべきかで葛藤した。最終的に作品として台湾で上演された時、その上演の形が本当に正しかったのだろうか、という疑問が、未だに石原の中には残っている。植民地支配や移民の状況を頭で理解はしていても、その問題と向き合うための身体的実感を、持っていなかったのではないだろうか。
本研究では、その問いを維新派の諸作品に描かれた「移民」の描かれ方を素材に考え、搾取とならない表現の在り方を「俳優の身体性」という視点から検証し、考察することを目的としている。
研究メンバー:
石原菜々子(俳優・ダンサー)
岡田蕗子(大阪大学大学院演劇学研究室助教)
研究会講師:
富田大介(追手門学院大学社会学部准教授/美学・舞踊学)
立川晋輔(映像ディレクター)
塚原悠也(contact Gonzo)
撮影協力:
坂井遥香
主催 | 京都造形芸術大学〈舞台芸術作品の創造・受容のための領域横断的・実践的研究拠点〉リサーチ支援型公募Ⅲ |
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