笑也・右近「松竹大歌舞伎」を熱く語る!

この秋、全国21都市を巡る「松竹大歌舞伎」として 春秋座に猿翁一門の大歌舞伎がやってきます。 6、7月に行われた猿翁、猿之助、中車、團子の 襲名興行の合間を縫って、 「松竹大歌舞伎」にかける思いについて お話いただきました。

第二幕 師匠・猿之助改め猿翁と

―今回演じる役ですが、思い出や思い入れなどがありますか?
右近
私は11歳の頃に入門させていただきました。 その時、既に師匠の猿翁は、 「猿之助歌舞伎」を立ち上げられていまして、 その中で数々の修行、研鑚の場を賜ってきたわけです。 猿之助歌舞伎というのは 古典の復活、通し狂言とかいろいろするわけですけれども 古典をリニューアルするといいますか、 いわゆる型破りなお芝居だったわけです。 型破りな中で私は数々の研鑚をさせていただいたり、 修行をさせていただいたんですけれども。 25歳ぐらいになりましてですね、 何かこの…漢字でも草書とか行書を 感覚だけで書いていたんですけれども、 楷書で書けと言われた時に書けない自分 というのがおりまして。 それはなぜかと考えましたところ、 やはり型物はやっていない、古典作品を演じていない、 いわゆる型破りなところで育ってしまって 感覚だけでそれにくっ付いてきたけれども、 実は型というものを自分の中では習得できていないんだな ということに気が付いたのです。 それで29歳の頃から8年間、 国立劇場で「市川右近の会」という 自主公演をさせていただいたんです。
 
その中で師匠共々ですね、 毎年演目選定をしていたんですけれども 当初は私が大阪出身ということもありまして、 第1回目は「夏祭浪花鑑」、 第3回目は「油地獄」をやらせていただき その後、勘平を関西の型でやらせていただいたり、 いがみの権太を関西の型でやらせていただいたりと 関西物が多かったんです。 ですが、師匠共々何かその、 「あなたのカラーは何なんだろうね」 というようなところで模索する中、 この『熊谷陣屋』に挑戦してみてはどうかというのが 7回目だったんです。 関西物をやることによって、 師匠猿之助にそっくりだった僕が 関西の血なのか、師匠には似なくて 自分自身というものがそこに出て来る。 そうしますと今度は、 「もっと何かあなたに合ったカラーは何なのだろうね」 というところで『熊谷陣屋』をやってみたらどうだと お勧めいただき、この古典作品に挑ませていただいたんです。 そうするとまた何か僕の、 師匠にはない僕の色みたいなものを 師匠が感じてくださったのか、 この年の最後になりましたけれども 8回目で『俊寛』をやらせていただくことになりました。 案外、こういう…何と言うんでしょう 「辛抱立役的なところが、あなた割と良いのかも知れないね」 というようなところでですね、 市川右近のカラーみたいなもの、 師匠猿翁のカラーとはまた違うところで出て来たという 経験をさせていただいたお芝居だったんです。 ですから今回この様にして地方公演ではありますけれども、 本公演として『熊谷陣屋』を 再度勉強させていただくということは、 また何か自分の中で新たな発見があるのではないかな という、そういうドキドキワクワク感があります。
―実際に演じてみて実感はいかがですか?
右近
なかなか実感といっても難しく、 今の世の中でいいますと中々こういう… 自分の子どもの首を切って差し出すなんていう… そういうことはないわけであって、 大変理不尽な物語ではあるんですけれども。 いろいろ考えて役を捉えますと、 やはり主従の愛ですとか、 あるいは夫婦愛ですとか親子愛ですとか、 そういういろいろな愛が交錯して このドラマは出来上がっていると思いますので。 その愛のあり方というのは、 恐らく普遍的に現代にも合い通じるものがあると思うので、 そういう物語として描いた時に 古典浄瑠璃の『熊谷陣屋』というものにも 少し何か現代の息吹が吹き込めるのではないかなと 感じております。 以前、2日間4公演やらせていただいて、 何かそういうものを感じながら演じてきました。 従来ですと熊谷次郎直実が最後、ひとりで旅立って行く。 花道を一人で引っ込んで行くんですけれども 師匠のなさった型は 相模――自分の女房と一緒に髪を切りまして 二人で連れ立って、杖を携えて引っ込むという。 非常に夫婦愛の物語になっておりますので 何か僕の中でも愛情劇として捉えることが 出来たのかなと思います。

「ど不器用流」の底力

笑也
私の場合は、どうしても師匠からいただいた 「ど不器流」というですね、 家元の称号がございまして。 非常に不器用でございますから 「とにかくあなたは数をやりなさい」という。数をこなせと。 そのうちに分かるのではないかと。 スーパー歌舞伎でかなり相手役をやらせていただきまして、 『三国志』の時に漸く師匠が 「あなたの台詞が僕の胸に届くようになったよ」と、 お褒めの言葉を初めていただきまして。 その時に、上手くなるということが 「どういうことかなんとなく分かったんですよ」と フッと話しましたら 「それはどういうこと」と聞かれたので 「自分の台詞で相手の方の台詞が出てくるというのが 上手い役者ですよね」って言ったら、 瞬間に師匠から「おせえんだよ」って言われまして、 それぐらいの「ど不器流」なものですから 本当に申し訳なくて。未だに。
©松竹
 
ですから古典というものに対して、 まだ身体と気持ちのバランスが、多分こう… 整ってない部分があるんだなと思います。 見るとわかるんですよ。 先代の(十七代目中村)勘三郎さんの熊谷なんか もの凄く、とても気持ちがグーッと出ていて、 ああこんな面白い芝居なんだって再発見しましたけれども。 (六代目)中村歌右衛門大師匠の目のギュッという この動きとか、ああこれがまさに歌舞伎といえども ホームドラマなんだなとか、 そこの部分の動きと気持ちのバランスの整った状態が 非常に歌舞伎なんだろうなという。 漠然とはわかるんですけれども、 そこに向けて自分も努力して頑張っていきたいと思います。 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるでございます。

次回、最終回はこれからの澤瀉屋について、 また澤瀉屋ならではの『熊谷陣屋』の演出についてお話いただきます。 お楽しみに