松竹大歌舞伎 市川亀治郎改め四代目市川猿之助 九代目市川中車襲名披露

出演者紹介

市川猿之助 いちかわ・えんのすけ

四代目 澤瀉屋

昭和50年11月26日生まれ。市川段四郎の長男。58年歌舞伎座『御目見得太功記』の禿(かむろ)たよりで二代目市川亀治郎を名のり初舞台。平成24年6・7月新橋演舞場『義経千本桜―川連法眼館の場』の忠信実は源九郎狐、『ヤマトタケル』のヤマトタケルなどで四代目市川猿之助を襲名。

市川中車 いちかわ・ちゅうしゃ

九代目 澤瀉屋

昭和40年12月7日生まれ。市川猿翁の長男。平成24年6・7月新橋演舞場『小栗栖の長兵衛』の百姓長兵衛、『ヤマトタケル』の帝、『将軍江戸を去る』の山岡鉄太郎で九代目市川中車を襲名し初舞台。

市川右近 いちかわ・うこん

初代 澤瀉屋

昭和38年11月26日生まれ。飛鳥流家元・飛鳥峯王の長男。47年6月南座『天一坊』の一子・忠右衛門で本名で初舞台。50年市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり市川右近を名のる。

市川笑也 いちかわ・えみや

二代目 澤瀉屋

昭和34年4月14日生まれ。55年3月国立劇場第五期歌舞伎俳優研修修了。4月国立劇場(小)『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』の中間で初舞台。56年2月市川猿之助(現・猿翁)に入門し、二代目市川笑也を名のる。平成2年2月猿之助の部屋子となる。

市川猿弥 いちかわ・えんや

二代目 澤瀉屋

昭和42年8月15日生まれ。50年1月歌舞伎座『寺子屋』の寺子で子役で初舞台。53年5月に市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり、南座『加賀見山再岩藤』の志賀市ほかで二代目市川猿弥を名のる。

市川笑三郎 いちかわ・えみさぶろう

三代目 澤瀉屋

昭和45年5月6日生まれ。61年4月市川猿之助(現・猿翁)に入門し、5月中日劇場『ヤマトタケル』の従者ほかで三代目市川笑三郎を名のり初舞台。平成6年3月猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。

市川春猿 いちかわ・しゅんえん

二代目 澤瀉屋

昭和45年11月29日生まれ。63年3月国立劇場第九期歌舞伎俳優研修修了。4月歌舞伎座『忠臣蔵』の仕丁・諸士ほかで本名で初舞台。7月市川猿之助(現・猿翁)に入門し、歌舞伎座『義経千本桜』の腰元ほかで二代目市川春猿を名のる。平成6年3月猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。

市川月乃助 いちかわ・つきのすけ

二代目 澤瀉屋

昭和44年1月6日生まれ。63年3月国立劇場第九期歌舞伎俳優研修修了。4月歌舞伎座『忠臣蔵』の本蔵家来ほかで本名で初舞台。7月市川段四郎に入門し、市川段治郎を名のる。平成6年3月猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。23年12月二代目市川月乃助と改名。

市川寿猿 いちかわ・じゅえん

二代目 澤瀉屋

昭和5年5月20日生まれ。11年に女歌舞伎の坂東勝治に入門。翌年坂東小鶴を名のり小石川小劇場の『義経千本桜』の安徳帝で初舞台。25年4月三代目市川段四郎に入門し市川段三郎と改名。30年1月二代目市川  猿之助(初代猿翁)に入門、市川喜太郎と改名。32年4月歌舞伎座『血笑記』の伊与田大三郎で四代目市川喜猿を襲名。50年7月歌舞伎座『橋弁慶』の従者ほかで二代目市川寿猿を襲名。

市川弘太郎 いちかわ・こうたろう

初代 澤瀉屋

昭和58年6月29日生まれ。平成5年8月国立劇場〈市川右近の会〉『勧進帳』の太刀持で本名で初舞台。7年7月市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり『小猿七之助』の日吉丸で市川弘太郎を名のる。

中村梅玉 なかむら・ばいぎょく

四代目 高砂屋

昭和21年8月2日生まれ。六代目中村歌右衛門の養子となり、31年1月歌舞伎座『蜘蛛の拍子舞』の福才で加賀屋福之助を名のり初舞台。42年4・5月歌舞伎座『絵本太功記』の十次郎と『吉野川』の久我之助ほかで八代目中村福助を襲名。平成4年4月歌舞伎座『金閣寺』の此下東吉と『伊勢音頭』の福岡貢で四代目中村梅玉を襲名。

市川門之助 いちかわ・もんのすけ

八代目 瀧乃屋

昭和34年9月24日生まれ。七代目市川門之助の長男。44年2月歌舞伎座『義経千本桜』鮓屋の六代君ほかで二代目市川小米を名のり初舞台。平成2年12月歌舞伎座『義経千本桜』四の切の義経で八代目市川門之助を襲名。