50周年記念 加藤登紀子コンサート 終わりなき歌

加藤登紀子さんインタビュー
「終わりなき歌」

今年、歌手人生50周年を迎える加藤登紀子さんに
今までを振り返って
人や歌との出会いについて
劇場プロデューサーがお話を伺いました。

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春秋座の感想は、いかがですか?
加藤
素晴らしいですね。雰囲気最高でした。 でもほんとは、劇場を味わう余裕はなかったんです (笑)。 出来たてホヤホヤのプログラムをやりとげるのに相当、大変で。 奇跡的に上手くいったような感じ。 奇跡じゃいけないんですけれどね。 でも奇跡のような感じがした。 学生さんたちにも舞台に参加していただいたのですが、 積極的で素晴らしかったしね。  内容がすごく好評だったので、 いつか色々な意味で再演したいなと思います。
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コンサートの内容も「ピアフの生きた時代を語り歌う」ということで、 春秋座だけの特別なプログラムだったので、 その辺りでも好評を博しましたよね。 今年は50周年記念ということで 膨大なレパートリーの中から歌われるとか。 どんな内容になりそうですか?少しだけ教えていただけたら。
加藤
1部は、出来るだけたくさんの歌を盛り込みたくて、 少しメドレー的になると思いますが、 60年代・70年代・80年代・90年代と歌います。 私は人との出会いから生まれた曲というのが多くて、 「島唄」とか、「わが人生に悔いなし」とか そういう曲をできるだけ網羅したいなと。
「島唄」 作詞・作曲:宮沢和史 「わが人生に悔いなし」 石原裕次郎が、なかにし礼に 直接作詞を依頼。 加藤登紀子が作曲した。
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 ファンにとっては嬉しい曲ばかりですね。 春秋座だけの特別な内容のプログラムはありますか?
加藤
2部に予定しています。 私、50周年が終わった後に、去年のピアフ物語のように しっかりした舞台にしておきたいものがあるんですね。 元々の曲を歌った人たちは もうみんな亡くなって、歴史の人物になっているんですが、 歴史になったものっていうのは、 すごい大きなバックグラウンドがあって、 語らなくてはいけない物語が沢山ある。 それを丁寧に伝えながら歌っていくというのは、 私はもうひとつの大きな仕事だと思っているので、 それもこれからもやっていきたいと思っているんです。 そのいくつかのテーマの中で、 ジャック・ブレルとピアソラがあるんです。 ジャック・ブレルはもちろん会ったことがないですが、 私にとって最愛の人。 音楽家としてのちょっとした革命的な生き方をして どちらかというと詩の世界の人ですね。 曲も全部ユニークですし。 ピアソラはリアルタイムでステージを観ているんですけれど、 どちらかというと音楽的に攻めている人。 それを取り交ぜるような感じで ストーリーを作ってみたいですね。 ジャックとピアソラ2人の世界をドッキングすることで 相乗的な深まり方を感じられるような ステージを作りたいなと思っています。
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今回は2部でその触りの部分をやるということですね。
加藤
そうですね。もちろん私の十八番になりました 「愛の讃歌」とか「百万本のバラ」は、 2部のラストに歌いたいと思っています。
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興味深いですね。 50年の間には、色々な出来事があったと思いますが 特に思い出深い出来事などがあったら
加藤
振り返ってみて、改めて私は出会いがすごかったですね。 最初にシャンソンコンクールを受けたきっかけも 永(六輔)さんや中村八大さんとのご縁。 父がテレビ番組の『夢で逢いましょう』の音楽を録っていた スタジオで仕事をしていたことがあって、 そのご縁で多分、父がコンクールに 私を申し込んじゃったと思うんですね。 で、コンクールで受賞して すぐに中村八大さんのツアーに2年ぐらい付いて 日本全国を歩いたんです。 そういう、永さんや八大さんとの繋がりがあって、 そこから森繁(久彌)さんとの出会いがあり、 びっくりするんですけれど、 健(高倉健)さんとの映画の話もあり、 『紅の豚』で宮崎(駿)さんと出会いました。 だから私の人生は全て行き当たりばったりだけど、 奇跡のような出会いの歴史なんですよ。
映画『紅の豚』 宮崎駿監督の長編アニメ。 マドンナのマダム・ジーナの声を 加藤登紀子が演じ、 主題歌とエンディングテーマは 加藤登紀子の『さくらんぼの実る頃』 『時には昔の話を』が使用された。
加藤
だから例えばカーネギーホールで歌ったのもそう。 「カーネギーホールで歌うことは夢でしたか?」 と言われたら、全然、夢じゃなかったんですよね。 それは偶然なんですよね。 その前の年に「ちょっと気軽にアメリカで歌ってみたら」 と言われて、そんなに大それたツアーじゃないけれど それでも3人バックを連れて行って ディナーショーとかライブハウスとかで歌ったの。 それを聴いてくれていた日系アメリカ人がいて。 彼女は日本語は全く分からなくて、 私の歌を初めて聞いてくれた人だったんだけれど、 カーネギーホールでやってほしいっていってくれて。 NYに行ったのが、8月だったんだけれど後から電話がきて 「来年の10月のカーネギーをもう押さえたから」って。 だから振り返ってみたら、大きな山を作ってくれたいくつかは、 全て意図したものではなくて、
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人との出会いでチャンスが生まれてきたんですね。
加藤
そうですね。私を観ていてくれる人がいるんだなって、 すごくありがたかったですね。
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色々な人がお登紀さんの所に自然と集まってくるんですね。
加藤
うーん、そうですね。 映画の『居酒屋兆治』の時、武田鉄矢さんが 「よくこのキャスティングしたね。 お登紀さんをキャスティングした人すごいって」 褒めてくれたんですよ(笑)。 誰がこのキャスティングをしたんだってね。 びっくりしたって言われましたけれどね。 でも、それにも少しずつ伏線があってね。 高倉健さんと初めてお会いしたのは、 映画『冬の華』の時だったんですよ。1978年。 ちょうど京都のロケだったんですね。 その時、健さんにインタビューを申し込んで 会いに行ったんですね。 今でもとっても覚えているんですけれど。 その時に私が歌う「時代遅れの酒場」のレコードを 多分、お渡したと思うんですね。 それから4年後、83年に「時代遅れの酒場」が 『居酒屋兆治』のラストテーマにって、なったんですね。 それから宮崎駿監督の映画『紅の豚』で 「時には昔の話を」がエンディングテーマにってなった。 これも、その5年ぐらい前に書いているんですね。
映画『居酒屋兆治』 原作:山口瞳  高倉健演じる 主人公・藤野英治の 妻・茂子役を 加藤登紀子が演じた。
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5年はちょっと長いですね
加藤
そうです(笑)。 5年のジンクスって言っているんですけれどね。 「ひとり寝の子守唄」は割と早かったですけれど、 「百万本のバラ」も3、4年はかかりましたね。 それで私は時間がかかった分だけ 寿命が長いと言っているんです。 なんだか計算通りにはいかないねって。 簡単にはトントンいかないわね。 けれど、いつも思うのは、その時に歌いたいものを作って、 なんとなく種を蒔いて、通り過ぎた頃に咲くんですね。 宮崎(駿)さんの場合は、5年前に 「時には昔の話を」を出したのを聴いていらして、 あるいはシャンソンを歌っているのを聴いてくださって、 そうして何かの企画と交差するんですね。 そうやって私の世界を、私という小さな世界を 広い世界に拡大して行ってくれる人たちとの 出会いがあったなあと思います。
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最後に、春秋座公演に向けてお客様にメッセージを
加藤
50年ということで 過去を振り返ってみることも大事だけれど、 不思議なことに今、歌うと一番重みがあるって 感じられる曲があるんですね。 「百万本のバラ」や「愛の讃歌」とか、 長年歌ってきているんですけれど、 やっぱり歌も私の中で育ってきているんだなって思ったり。 大切にその思いをこめて歌いたいです。 ですからね、ぜひ若い人や学生さんにも観てほしいと思います。
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楽しみにしています。