京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター主催
研究会 ダンス 研究と実験VOL.2 2009
土方巽~言葉と身体をめぐって

京都芸術劇場 春秋座 studio21

研究会の記録

『病める舞姫』――内に向かう眼差し

國吉和子

先ずは今回の研究会開催のためにご苦労いただきました山田せつ子先生および、京都造形芸大のスタッフの皆さんにお礼申上げます。そして、宇野さんと田中さんの間に挟まれてお話することができること大変嬉しく思います。基調発表ということなので、私は土方巽の著作『病める舞姫』(以下、『舞姫』)について、今も田中さんのお話で繰り返し出てきましたけれども、土方の言葉を考えるうえで最も重要な作品なので、この本についてお話したいと思います。彼はたくさんのエッセイや対談を残しましたが、『舞姫』は自分自身について書かれたもっとも長編の作品ということになります。
この本は読む度に、あぁこんなことがあったのか、こんな風にも書いていたのかということを発見することが多いんですね。しぶとく読んでいるわりには十分に読みきれていないという、眼を凝らすともう少し先にこれまで見えなかったものがあったような、そんな風にしていつも土方さんの言葉を読んでいます。少しでも後半のディスカッションの参考になればと思います。

まずこの書物がどのようなものであるか、ということなんですけれども、1977年から約1年間『新劇』という演劇雑誌に連載されたお話です。内容については、これは詩人の吉岡実は心象的自叙伝といっています。とても的確な言い方だと思うので、心象的自叙伝という言葉を私も使わせていただいています。出版社からの原稿の依頼は1973年頃からあって、雑誌の特集を挟みながら毎月連載し、最終的に一冊の本にするということだったようです。吉岡実の本によると、土方は連載中、目黒川沿いの焼き鳥やの二階に下宿生活をしながら一年間、執筆にあたったといわれます。執筆方法の基本は口述を文字に起してゆくという方法がとられました。決して一人で部屋にこもって原稿をシコシコ書いていたというわけではなくて、弟子を一人そばに置いて、土方の語りをもとに起した原稿を、幾度も推敲しながら文章として完成していったものと伝えられています。一年近く続いたこうした作業の間、詩人の三好豊一郎の助力は大きかったようです。三好の協力がなければ、「病める舞姫」は存在しなかったといっても過言ではないでしょう。
ところで、この研究会の初めに聴こえていたテープ、あれが土方の声なんですけれども、あのように非常に面白い語り方をされる方で、人の心を言葉で掴むということがとっても上手かった方ですね。まるで魔術にかかったかのように魅了されてしまいます。なんだかスフィンクスの謎のような語りですが、一年間にわたる『舞姫』連載時には、土方は自身のことを語りながら、一方では文章として定着させなければならなかったわけです。
連載が始った1977年4月から翌年の3月までの間には、弟子の小林嵯峨や山本萌、玉野黄市らの独立を意味する公演が相次ぎ、11月には舞台復帰された大野一雄の演出などが重なって、執筆にはずいぶん苦労されたようです。連載されていたものがその後、1983年に一冊の本になったわけですけれど、この時にも加筆訂正が加えられています。強く撚りがかかっていたような初出時の文章と比べてみると、重複がなくなったり、くどい表現が削られたりしているのがわかります。皆さんの中にも『舞姫』をお読みになって、何度か挫折した方もいらっしゃると思います。私も何度も挫折しながら読んでいくうちに、少~しずつ糸がほぐれるように「あぁこれでいいのかな」「この感じでいいのかな」と読み進めています。そんなことを何度も繰り返しているような感じです。
私は今、丁度今年で10年目になりますが、『舞姫』を読むという会を知人達と続けています。読むたびに面白い発見があって、やめられないっていう感じなのですが、やはり読みにくい。日本語として変だ。主語、述語の関係とか、時制などがずれてしまって、あきらかな時間的な経過が辿れない。語りの主体はどこに置かれているのか、いつのまにか変わってしまっているようで混乱してしまいます。こういう混乱、特にお話のつじつまが合わなくなって矛盾しているのですが、それがまた土方の文体の魅力になっているっていうことなんです。瀧口修造という人がいますが、この人は日本の戦後、シュールレアリズムの紹介者であり、若い60年代の作家たちを率先して評価した詩人であり、美術評論家ですが、彼が土方のこの『舞姫』について次のように言っています。
―――告白的芸道論などといってしまえない、これは語原通りのテキストか。敢て、文は綾なりと言えば、・・(略)・・土方巽が舞踏にいたる動機と姿がタテ糸となり、その眼差しがヨコ糸となっている。そして書くおこないそのものが、彼の踊る理由と繋がっていると思わせるところがある。――――  瀧口修造と土方の交流っていうのは非常に淡いものでありまして、時折土方のほうから急速に接近していたようですが、土方は非常に影響をうけていたと私は思います。で、今日の私の話のタイトルであります「向こう側の目玉」というのに関して、瀧口修造の言葉を後で引用しますけれど。瀧口が書いているように、この書物は土方の踊る理由と深く繋がっていると思われるわけです。
それで『舞姫』は何故難しいか、読みにくいかということですが、一つの大きな要因として『舞姫』の中には全編にわたって非常に比喩表現が多いです。何々のようだとか、何々めいただとか、という言葉が実に多く出てきます。これは体の表情をめぐる色々な多彩な記述と、そこに関連して、そしてお互いに浸潤し合っているっていう、そういう関係になっています。ですから私たちはこういうイメージの重なりを比喩を通して読んだ時、複数のイメージを自分の今までの感覚だとか、体験だとか、総動員しながらどんな具合なのか、どんなものなのかということを思い描きながら具体化しようとしていきますけれど、それが常に裏切られるわけですね。常に土方の思っているその比喩をたどっていくと混乱してくる。何一つとして確実なものが手の中に残っていかない、そのような状態のまま読み続けることの辛さを痛感します。描かれている情景は非常に具体的なところもありますけれど、それを概念的に捉える限り、土方の文章は、限りなくズレてよじれて書かれた文章として、理解を拒否するかのように感じられます。わずかな手がかりを手繰り寄せながら読むこととなるのですが、やはり前後の脈略が見い出せないままにとまどってしまう。で、読み続けることができなくなってします。
これをどうやって読んでいくか。難解な土方の言葉を、土方の言葉で読み砕いていったらどうだろうと思いました。なまじ読み手自身の解釈を入れないで読むことはできるだろうかと。土方は他の所でどんなことを言っているのかっていうことを、言葉のレファレンスじゃないですけれど、参照しながら読んでいます。土方の言葉が難解だったら、土方の言葉で解けばいいんじゃないかということです。そうすると何気ない言葉を読み落としたり、あるいは反対に、一つの言葉を過大に解釈することも避けられるのではないかなと思うんです。あまり主観的に読み込んでみても、わからない。土方の言っていることには、到達できないと思うんです。
で、そのように読んでいきますと、レファレンスを作っていきますと、同じことを何度も繰り返し言っていることがわかります。これはちょっとしつこいぐらいに。まるで食べたものを反芻するように、戻してもう一度噛んでいく、ということを何度もやる、反芻して繰り返される文体だということがわかりました。これはおぼつかない記憶を繰り返し塗り重ねてゆくという作業のようでして、辺りをさりがたく逡巡しているという反芻ではないかと思いました。反芻しているっていうことがわかると、同じこと、一つの言葉の内容の核みたいなのがいくつか出てくるんですが、今それをいくつか取り出して、比較したりなんかしているところなんです。
それとあと、この『舞姫』の全体なんですけれど、ただ全体がとりとめもなく書き綴られているわけではなくて、少なくとも、区別することのできる大きな時間的なまとまりがあります。これは四季の移り変わりです。この辺りのこともやはり田中さんがブログの中でもうすでに書かれているので、重複するかもしれないんですけれど・・おおまかに春、夏、秋、冬っと辿れて読めるんですね。最後は冬になって終わっていく。ただ、その各季節が、一年間の循環する季節じゃなくて、まるで一生を4つの季節に裁断して、そのそれぞれの季節の中で昔と今が交錯しているんですね。例えば春だったら、子供の時の春の感じ方、それから今、49歳の時土方はこれを書いていますから、50に近い男の感じた春とが交錯しながらグルグル渦巻いているんですね。ですから春は春のようなのですが時間的にたどれない。
日本人は四季折々の色々な変化によって、様々に体の中で反応をしています。これはとても特殊なことだと思います。日本のその四季の変化ということで、体がそれによって自然と変化しているんですね。というわけで、ちょうどその季節と記憶が密接に結びついていくということが、この四季の変化の中で読み取ることができます。
それから物語の流れなんですけれども、これも実はある物語が進行しているんですね。大体、真ん中辺りの章で大きな変化が彼の中で起こるっていう、はっきりした事件が起こっているんですね。で、これはあんまり触れられることがないのですが、ちゃんとその物語的な展開は遠くの方に見える。感じとれる文章です。ただ物語というと誰が物語って、という一度、記述されることでもう一度あらわになる時間っていうのがあるんですけれど、この時間は決してその『舞姫』を読むときの参考にはなりません。誰が話しているのかさえもわからなくなる。つまり今のこの『舞姫』を書いている土方が、あるいは土方の少年時代の土方なのかということが非常に微妙に錯綜して、今、少年のことを話していたと思ったら、突然、今の土方、49歳の大人の男の視点になっていたり、もうクルクル変化するんですね。ですからそれを「あ、今、少年土方のことか」あるいは「今(いま)土方のことなのか」っていうことを区別しながら読むのも結構面白いんですけれど、それが当っているか、当っていないかってことは誰もわかりません。
ただ、その物語『舞姫』の時間的展開の中ではひたすら時間が過去に向かっているということです。過去に向かって急降下している。しかもその過去の時間っていうのは幾重にも重なっていて、それぞれの層っていうのが小さなタンスの、良く仕立てられたタンスのように、一つの引き出しを出すと他のところがポカッと開いちゃったりして、ほとんど真空状態に仕立てられたタンスのような、突然変なところから引き出しが飛び出すっていうような、そういう面白さ。そしておびただしい数の引き出しがあるわけです。
そこでひとつ、手がかりとしてというか、そのいかに非論理的な文章であるかということの例として、土方自身が85年の舞踏フェスティバルのレクチャーの中で「風だるま」という話をしたのですけれども、その中でさりげなく少年時代の話をしているのですが、次のような話があります。
――そういう少年時代を送りましたものですから、とにかく隣近所のおばはんだとかお母さんだとか、親爺だとかもちろん家族の身振立居舞をもう、泥棒猫みたいにしてうかがっている。他に遊ぶものがないから。それで全部身体の中へしまいこんでいるんですよ、私は。隣の犬だとかね、――
と言っています。で、あの少年の頃、大人の様子を逐一目で見て、そしてそれを全部記憶しようとじーっと見ている少年がいると思います。そして、そういう色々、採取した動き、身振りというものが蓄積されていくわけですけれども、そいういった動きの身振りについてさらに土方は次のようにいっています。
――そういうふうな動きの身振りが私の身体の中にバラバラになって、浮かれいかだですね、バラバラになったいかだになって浮いているんです。ところが時々そのいかだが集って、何か物を言ったりするんです、身体の中で。そして私の身体の中で一番貴重な食べ物を闇を食ったりする。或る時にはその身体の中に採集した身振りや手振りが私の手に繋がって、表へ出て来ることがある。――
ですからバラバラに記憶されたものが突然何かまとまって、そしてここで「浮かれいかだ」という例えを言っていますけれど、いかだのような形になる。ところが次の瞬間またバラバラになっちゃうんですね。ですからまとまって、いかだになることが目指されているのではなくて、それがまたたちまちバラバラいなって形がなくなって、プカプカ浮いてしまう。その辺の集合離散の変化が大事だといっていうるんですね。では、どんな時に木が集って一つのいかだになるかというと、土方はこんな風にいっています。
――それで一つ分かりやすいことを言いましょう。蚕を飼っているんですね、あっちでは蚕を飼っている。蚕ってのは葉っぱを噛む音がジャリジャリジャリジャリっと際限ないわけだ。それでその音を聴きながら昼寝をしている男が歯ぎしりするわけ、ギリギリギリと。あっちはジャリジャリジャリ、するとそれがつながってくる。蚕が葉を噛む音と昼寝をしてる男の歯ぎしりの音がつながって聞こえてくる。そして昼寝から目が覚めて、浴衣がギリギリギリと言いながら、蚕のジャリジャリジャリっていう音のところへ入ってゆく。つながっているんです。――
ジャリジャリ音と歯ぎしりのギリギリ音が重なって一つのいかだになっているわけですね。ですから、まあ他愛の無いことと言っては、それまでですけれど、このようなものではないかと思うんですね。つまり別に論理的な背景があってというのではなくて、あっという間の、何か身体的なコンディションで、ある時とても面白いものが取り集められて、そして何らかの形になってしまうということです。 『舞姫』の8章の冒頭の一節でも同じようなことを言っています。
――虫が葉っぱを噛む音が、人の歯ぎしりに交じって聞こえてくる。虫がむしゃむしゃと私の着物を喰っていた。あまりにもーと、それだけ思って私はすうっと眠りのなかに落ちていった。誰でもそうだろうが、こうして遅過ぎるものは崖を滑って落ちていくのだ。―
という一節があります。もうここでは、桑の葉を食べる蚕と歯ぎしりの音とそれから浴衣といったようなものがもう、どんな空間的、時間的文脈で結びついているか、ということは指摘することは全く不可能です。でも、身体の中では、土方の身体の中では一つになっている。同じような経験は、私たちにもあるのではないかと思います。しかし、私たちは色々と、それこそ社会のシステムでがんじがらめにされているわけで、この現代社会の中で生きていくと、浮かれいかだのような状態では生きていけないんですよね。ぼうーっとして、なんか「あ、浮かれいかだが集った」とか言っていたら、それこそ生活ができない。むしろ危険な人間と思われてしまうかもしれない。で、だんだんこのようなことが行われなくなっていく、そのように管理されてしまっているわけですね。それを土方は、あえて「浮かれいかだ」の例を引きながら、非常に身体的な辻褄の合い方、それもつかの間に成立し、即、次の瞬間にはもう壊れてしまうものをこのように取り上げているわけです。
さて、「向こう側の目玉」ということなんですけれども、結局これはどういうことかというと、今のこの『舞姫』を書いている土方が、急に少年土方になる、という一つの転換、ちょうど回転ドアがクルッと回るようになるとき、一体、何が仕掛けられているのかというと「目玉」なんです。つまり、何かボタンホールの穴から向こう側をのぞいてみると、向こうからもこっちを見ている。というその向こうからこっちを見ているのが、自分の少年時代の自分なのです。それが今の土方をじーっと見ている。それから、よく赤ん坊があの出てくるんですけれども、赤ん坊の存在というのは非常に奇妙です。赤子という形で出てくるんですけれども、第3章の中には、
――泥の中で床上げされているようなからだに薄い泥の皮膜がひっ付いていた。泥の中でからだがすっかり振り出しに戻ってしまったように変わっていたのだった。目を醒ましていながら眠っているような赤子が一つの穴を見つめている、そんなふうに自分のからだを覗き込む私は、泥溜まりの中でからだをずらしたり、しきりに泥溜まりの中で赤子の頭をいじくったりしているのだった。――
泥だらけになった体がもうひとつの眼差しに気づくところなのですが、なぜ泥の中なのか、なぜそんなところに赤子の頭があるのだろうか。とても不思議な情景なんですけれども、これはさっき田中さんがお話になった肉体の闇と、非常に関係してくるのではないかと思います。どうしようもない自分が立っている足元がぬかるんで、もうドロドロに足元を取られてしまって、ひっくり返って、春先の泥に転んだときの惨めな様子なんていうことも、同じ章の出だしに書いてありますけれども、そんな風に今まで自分が、パーソナルに打ち立ててきたものが、一瞬にして崩壊してしまうという、その仕掛けがこの場合「泥」という、得たいの知れないヌルヌルした深みなんだと思います。その中で、赤子、赤ん坊、まだ赤ん坊ですから、まだシステムに流されていない、原型ですね。人間の原型としての赤ん坊が、泥の中でちょっと身体をずらして、こっちを見ているという情景を描写しながら、人間の存在の始原の状態っていうものを、なんとか表現しよう、書いて伝えようとしているように思います。
先ほど瀧口修造のことを言いましたけれども、瀧口の生後3、4ヶ月の時の写真っていうのがあって、全集の年表のところに必ず出てくるんですけれども、その自分の3、4ヶ月の時の写真に自分で次のような言葉を付けています。
――嬰児よ 目玉のおばけ 眺めけん――
という、こういう俳句ですね。
これは、現代詩手帖の1974年の10月号に出ている言葉なんですけれども、大きな目をした赤ん坊が目を見開いて、目玉のお化けを眺めているよ。というような感じの俳句ですよね。この一句っていうのは、まだ身体もしっかりしていない生れたばかりの子供である自分、瀧口修造が見る存在そのものとなってこちら側の自分を見ている脅威をよんだものだと思います。
そんな具合に「目玉」という向こうから自分を見ているっていう、しかも見られている今の自分っていうのは、まさに他でもない、見ている自分が見ている者も、自分の子供の顔ということですね。こういう客観化していく時の、ちょうどこの脂汗がでてくるような見る見られる関係っていうものを常に彼は、土方は、想定しているというか、感じながら今の自分というものを元に戻す。始原の状態に戻す。形成前の泥に戻すという地点に立とうとしているのではないかと思います。
土方は作者としての土方(執筆当時の土方)の体をとおして、しばしば向う側の世界に入り込みます。そのきっかけはすべて「見られている」「伺われている」といった受身の視線が介入しているんです。そして「見る」よりも「眺める」とか「窺う」といった表現がさかんに使われます。限定された対象を見る、という機能的な視覚ではなくて、視線がおよぶ先とその周りの空間的な広がりも含めたニュアンスを感じさせる受動態の動詞を好んでいるように思います。そして、その眼差しは茫洋として屈折しているのですが、常に自分の体の内側に向かって開いているというわけです。ほとんどの場合、その主語が省かれたり、文章の途中から主語が入れ替わったりするようなので、どこから、いつ向けられた眼差しなのかが曖昧になってしまいます。今の土方なのか、少年の土方なのか、両者が自在に往き来しているようにも思われてくるので、区別が難しいです。ただ、土方には「内なる外の目」といえるような視線が常に介入していたように思われます。