11月に第二回目の土方巽研究会を行った。今回は、土方巽研究の拠点となっている慶応大学アート・センター、土方巽アーカイブの森下隆さん、『病める舞姫』などの著作をフランス語に翻訳する作業を続けているドゥヴォス・パトリックさん、1970年代に土方巽舞踏作品を目撃されている京都造形大学舞台芸術研究センター所長、渡邊守章さんにお話しいただいた。
森下さんのレクチャーでは、土方巽の塑像インスタレーションの映像『土の土方像と水滴の時間』と舞踏譜再現映像の上映、パトリックさんはご自身の翻訳テキストをもとに創られたボリス・シャルマッツのダンス作品『病める舞姫』の映像の一部上映があり、全体ディスカッションへの問題提起となった。ディスカッションでは、発表者との応答がなされたが、オーディエンスも含め、すでに多くの参加者が実際に土方巽の舞踏を観ていないなかで当時の体験を通して話された渡邊さんへの具体的な質問が幾つもあがったことも興味深かった。
もはや、見ることができないものを巡って、様々な方法でアプローチしていこうというこのような場は、いくら時間があっても足りないのだということを今回も感じながら、しかし、互いの問題意識に問いを投げかけることができた時間であったと思う。
『四季のための二十七晩』『静かな家』残っている記憶を蘇らせながら、ずっとこの間繰り返している言葉がある。「踊る土方巽のからだに起こっていたことはなんだったのか。」記憶のなかで作品の全体像はすでに曖昧になりながら土方さんのからだの様相は相変わらず鮮明に蘇ってくる。からだのなかで時間があてどなくゆらゆら動き、深い酩酊の果ての異常な覚醒がそこここでマグマのように浮かんでは消えていくようで、観客である私は見るという行為のなかに自分自身の身体を投げ入れていかなくてはならないような体験をした。見る者が自身の知覚を総動員してそのからだの生成に立ち会っているというような感覚だっただろうか。土方さんのそのような舞踏はある意味究極の見世物にも見えた。細胞の分裂を刻々と露わにして匂いを放つからだを間の当たりにして美しくも恐ろしかった。
土方巽の舞踏譜で踊った芦川羊子さんの舞踏もまた衝撃的であった。特に新宿アートヴィレッジでの初期の作品の暴力的な物質性は、生きてきた時間を捲りかえらされるような気がした。その頃、舞踏に関心を持っていた私は、帰り道「ここに行ったら殺されるっ」と思わずつぶやいた記憶がある。
土方さんは踊らなくなり、白桃房の作品はある意味優美になっていった。見ながら「精密な切子細工のグラス」「幾重にも重なった雲母」「無数の関節折りたたみ椅子」などという言葉が自分のなかから浮かんできたことを思いだす。それは、絶句して見るしかない土方巽の舞踏とはまた違った魅力であった。
こうして記憶を辿っていながら私は土方さんと書いたり、土方巽と書いたりしている。距離の取り方がいまだ安定しないのだ。このこと自体が生々しい思いと、すでにどこかで対象化していきたいという思いの振幅であるように思える。今、土方巽のからだの思想、そしてあの技法はどのようにして生まれてきたのかということを考えようとするとき、思い出す言葉がある。『できるなら 死者たちの眠る 太古の夜に辿りつかなくてはならない』ジャン・ジュネの言葉だ。土方さんはそのような場所に辿りつくためにあの豊穣な言葉をともなったのではないか、そして言葉がからだを振動させるという奇蹟的なことが起きたのではないか。研究会でのみなさんのお話を聴きながら、そんなことを思ったりしている。
次回、3月の公開研究会では、森下さんのご協力を得て、多くの映像を公開しながら、舞踏家の三上賀代さんと森下さんの舞踏譜を巡る対談をはじめ、スリリングな鼎談、対談を企画した。今後、これらの研究会を踏まえて、それぞれの方に土方巽を巡って執筆をお願いし出版する予定をしている。
土方巽とともに生きた方がたからみたら、ある意味、無謀で乱暴な企画と映るかもしれないこの研究会であるが、それだからこそできる発見を重ねたいと願っている。
山田せつ子
毎日グラフ1969年2月2日号、表紙は東大安田講堂の前に立つ機動隊装甲車の写真。見出しは「東大―安田トリデの攻防」とある。120円だ。ページをめくれば、東大安田講堂での全共闘と機動隊の衝突の写真、そしてさらにページを繰っていくとそこに秋田の野原で佇む、あるいは走り抜ける土方巽の大写しの舞踏写真とインタビューが掲載されている。
土方巽の舞踏を実際に目撃したことのある人はすでに数少ない。私もかろうじて『四季のための二十七晩』『静かな家』、その後の振り付け作品だけだ。強烈であってもすでに記憶は断片化している。伝説の『禁色』も『肉体の叛乱』も見ていない。土方巽はすでに『疱瘡譚』などの数少ない映像や、録音された声「慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる」そして、書かれた言葉で辿るしかない。土方さんは遠い。しかし、6月20日の会を終え、この距離を幸せな距離にできるだろうと思えた。
田中さん、國吉さん、宇野さんそれぞれの視点から土方巽へのアプローチがあり、そこには同様にそれぞれの方の佇まいがあった。続く対話で松田さん、三浦さんの戸惑いを含んだ率直な感想が、空気を撹拌し場所の体温を上げ、土方巽をめぐる星座表を更に複雑にしていった。時間が短かく、それぞれの方の発言が彗星のように尾を曳きながらも、光が混ざり合うところまでは届かなかったかと思う。次回以降は、ラウンドテーブルの形をとり、多くの交叉が生まれるようにしたい。また、映像はゲストスピーカーの方々に選んでいただき、それに沿って話を進めていただくようにした。
9月から立ち上げたWebページでは、ゲストスピーカーの方々に、話された内容に更に加筆していただいて載せている。そのため、それぞれのタイトルに変更が出ている。また、ディスカッションで会場からご発言いただいた方の言葉も載せさせていただいている。
今後、ここに研究会に参加した方の寄稿も載せていけたらと思う。
思考錯誤のプロセス、次回も多くの皆様のご参加をお待ちしたい。
山田せつ子
京都造形芸術大学舞台芸術研究センターでは、2006年から2年間に渡り、
ジャン・ジュネの著作『恋する虜』を軸に身体/言葉/イメージを様々に横断しながら
ダンスのプロセスを探る作業を行いました(*)。
引き続き今年度は、ダンスの歴史に前例のない亀裂を生じさせ、
世界的に影響を及ぼした舞踏家・土方の身体思想に向かい合う研究会を企画しました。
土方が残した舞踏は舞踏家によって多様な形で継承されており、
更にコンテンポラリーダンス作品にもその思想は深く影響を及ぼしています。
第一回公開研究会では、そうした舞台作品から少し距離を置き、
遺された書物『病める舞姫』『美貌の青空』などをテキストに土方が晒した身体の思想が、
言葉が、今、私たちの前にどのように現われるかを見出していく時間を持ちたいと思います。
長年、『病める舞姫』を中心に土方研究を続けておられる國吉和子さん、
生前の土方と言葉を通して稀な出会をされた宇野邦一さん、
ご自身のブログで土方研究を発表し続けておられる田中弘二さんにそれぞれの視点から
お話しいただきます。その後、演劇の現場におられる松田正隆さん(マレビトの会代表)、
三浦基さん(地点代表)にご参加いただき、対話の時間を持ちたいと思います。
*ジャン・ジュネに関する当センターの活動内容については、
『舞台芸術』11号/13号(舞台芸術研究センター発行)をご参照ください。
山田せつ子