第一回の研究会におけるシンポジウムの席上で、パネリストのひとりとして参加していた演出家の三浦基氏は、「土方巽のことを知らない、とは絶対に口にしないつもりでここに来た」と言われた。私は三浦氏よりもやや年上だが、私自身は、「土方巽のことを何も知らない」と告白するところからしか、やはり出発できないと感じている。残念ながら、私も土方巽をライヴで体験した世代には属していない。私は三浦氏と違って秋田出身者でもないし、文字通り遺された映像やテキストでしか、HIJIKATA TATSUMIという存在を触知できない。けれども、たとえば彼自身の『疱瘡譚』における、まるで枯草のような身体の存在感に映像を通して触れてみたり(衰弱体、という言葉をはじめて知ったときの衝撃はいまなお忘れられない)、あるいは、『病める舞姫』という言葉で書かれたシュルレアリスティックなイメージの仮綴じの手帳のようなテキストの、それ自体が難解だというよりも、むしろひとつだと思っていた道がいつのまにか踏みしめる端から幾重にも分岐し、次の一歩をどこに踏み降ろしていいのかわからなくなり途方に暮れるという体験に、思い切って身を晒してみたりしたとき、そこで出会う言葉や身体が、他のどんな場所でも味わうことのできない種類のものであることに心底驚くことを通じてのみ、いまのところ、辛うじて土方巽の遺産と私自身とが具体的に繋がっている、ということだけは言える。できることなら、私はやはり土方巽をこの目で見てみたかった。それがかなわぬ今、土方巽の、「私は舞台に立っている時も全部自分の体を覗いているんですよ」(『舞踏行脚』)というときの「覗いている」という言葉の意味を想像しながら、映像やテキストを通して、せめてHIJIKATAを「覗いてみる」ことはできないだろうか、と思っている。
私が生まれたのは1968年であり、伝説となった『肉体の叛乱』が上演された年にあたる。もちろんそんなことはたんなる偶然にすぎない。けれども、私が生まれた「1968年」という年号が、私自身に対して、絶えず軽い眩暈のような異和感を喚起しつづけていることだけはたしかである。たぶん私は、「1968年」という数字が喚起するさまざまなイメージの多くが、いまもって、あまり好きになれないでいる(たとえば、私は澁澤龍彦の写真で見るあのたたずまいがなぜか大嫌いである)。けれども同時に、この時代の芸術作品が、いまだに、ある質量をもった「問い」としてこちらに迫ってくること、そのときの新鮮な魅力を否定することもできずにいるのである。先日舞台美術家の島次郎氏の話をうかがっていたとき、島氏の、これまで本当に印象に残っている舞台を思い起こしてみると、初期状況劇場の役者たちにせよ、転形劇場にせよ、そこにある身体や表現に、ある「質量」のようなものを感じた作品ばかりが浮かんでくるんだよな、という話を聞き、そこで飛び出した「質量」という言葉に強い説得力を感じた。おそらくその理由のひとつは、8年前、私が京都に来て以来亡くなる一昨年まで、大学という場所で接してきた太田省吾の発する日常的な言葉や沈黙のひとつひとつに、「質量」という言葉がまさにぴったりくるような印象をずっと抱き続けていたせいである。そして、土方巽の遺された映像やテキストから感じとれるものも、やはり一種の「質量」なのである。この「質量」が、私の「1968年」という年号に対するイメージに、別の角度から、別の「異和感」をもたらしてくる。そして、私にとって新鮮なその「異和感」は、「歴史」という言葉の意味そのものを再考するよう、私を促してくるのである。
今日、歴史の記憶喪失ということがよく言われる。たとえば「1968年」から40年以上の年月がたった今、ある部分では過去が過去となってしまうのはやむをえないし、だからこそ、これもたとえば小熊英二の社会学的大著である『1968年』などが刊行され、急速に風化しつつある「戦後史」を奪還しようという試みも生まれるのだろう。だが、同時に私が思うのは、「歴史の奪還」というテーマに対する別のアプローチはありえないだろうか、ということである。私は以前、初代全学連委員長として活躍し、やがて吉本隆明とともに『文学者の戦争責任』を書くことになった批評家の武井昭夫氏に、数年前にお会いしたことがある。八十歳をすぎてもなお明晰な知性と左翼的な批判精神を失っていない武井氏は、私にとって、別のタイプの忘れ難い人との出会いだった。ただ、武井氏の印象は、むしろ柔軟で幅広い「奥行き」のようなものを強く感じさせ、それは「質量」という印象とはやや違っていた。もしかすると私は、この二つの印象の対比のなかで、「歴史」を捕まえることができないかと、どこかで願っているのかもしれない。かつて舞踊評論家の市川雅は、土方巽の「疱瘡譚」を評して、「肉体が思想となった」と書いた。だが、ついに一度も生で土方巽に接することのなかった私は、あまりに見事なそのフレーズに、あっさり説得されることだけはしないでおこうと思う。このフレーズが言わんとしている意味を想像できないわけではないのだが、ある種の偉大な知性においては、思想は不可避的に固有の肉体性をとることになるのではないかと思うからである。だからこそ、「質量」は、私にとって、いまなお新鮮な謎、導きの糸として目前にある。私は土方巽が私のなかにもたらす強烈な印象としての「質量」に、――いいかえれば、「個性」や「固有性」といった概念だけではけして追いつけない「歴史」の具体的で野蛮な相貌の一端に、――とりあえずいまは生理的にこだわってみたい。そしてその印象を、「1968年」という歴史性との関係において捉え、そのことによって、土方巽という具体性を通してある「歴史」の正体のようなものに逢着したいと考えている。