京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター主催
研究会 ダンス 研究と実験VOL.2 2009
土方巽~言葉と身体をめぐって

京都芸術劇場 春秋座 studio21

研究会の記録

ディスカッション

山田
お待たせしました。このように囲んで座ると、誰がパネラーというか、ディスカッション参加者で、誰が聞いてくださる方か分らないような感じで面白いと思います。
最初にやはり、参加メンバーでいろいろ話を進めていきたいと思いますが、途中から皆さんからのご質問やご意見をいただきたいと思います。
7時ぐらいまで2時間ほど。前回、ちょっと短くてそれぞれの方がご意見をおっしゃるということにとどまってしまって、意見が交換されるとか、対話が深まるというところまでいかれなかったような気がしますので、ちょっと長い時間を用意しました。
まず、最初に今日の参加してくださっているパネラーの方々のご紹介を森山さんの方からしていただきます。
森山
それではお集まりいただいている方々をご紹介します。私の左隣から、慶応義塾大学・土方巽アーカイブの森下隆さんです。それからその隣が、劇団地点の主宰者であり、演出家である三浦基さんです。その隣が舞台芸術研究センターの主任研究員でもあり、近畿大学の教授でもいらっしゃる八角聡仁さんです。それから、舞台芸術研究センターの所長の渡邊守章さん。そのお隣が、舞台芸術研究センターで土方巽研究会のリーダーである山田せつ子さん。それから、ジュネ、アルトーその他の著作を多数お書きになっている立教大学教授の宇野邦一さんです。そのお隣が舞踊評論の國吉和子さんです。そのお隣が土方巽の研究で、ウェブサイトで非常に刺激的な、今日的な土方巽の読みを展開なさっている土方巽研究の田中弘二さん。それから、その隣が東京大学教授のパトリック・ ドゥヴォスさん。それから、今日は予告されていた赤坂憲雄さんが大学の急用で急遽来られないということでご欠席なのですが、もちろんその代わりというわけではないのですが、舞踊評論の稲田奈緒美さんです。稲田さんは『土方巽 絶後の身体』という本をお書きになっています。そして私が舞台芸術研究センターの森山直人と申します。このメンバーで進めさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
山田
ありがとう。今日は三人の方のとても刺激的なお話、興味深く、面白く聞かせていただいたのですけれど、その事をめぐってどなたかからご発言いただけたらと思います。
内容に関するご質問でも結構ですし、ご意見でも結構です。いかがでしょうか。
今日は、私は司会ではなく、進行役でいるつもりでいますが、あまり交通整理無しでいきたいと思いますので、よろしくお願いします。
森下
では、せっかくなので発言させていただいた責任上、コメントだけ。
山田
どうぞ
森下
今日の、私の発表はともかくとして、パトリックさんの『La Danseuse Malade』のお話、非常に面白かったです。それから渡邊先生のお話も非常に有益なお話をいただきまして、私も理解を得ました。
そういう意味でいうと、私はこの中で年配の方で、渡邊先生のお話にあった赤テント、あるいは早稲田小劇場の黒テントを同時代で見ているわけですけれども、ボリス・シャルマッツの『病める舞姫』は実はアンジェ(アンジェ国立振り付けセンター)で初演を拝見しました。また、この5月に、ボリスさんは慶応義塾大学で、室伏さんとモンテさんと一緒に来ていただいて、日吉校舎で踊っていただいたので、非常に記憶に新しいですね。
そういう意味でいうと今日の沢山の人の中では、私が2人のお話に両方関連しているというところで、初めにお話したいと思います。それ以降はもう皆さんでお話を展開して欲しいと思います。
渡邊先生、先程、控え室でお話がありましたように、土方の女性性、先程のジェンダーについてですけれども、伝統ということに絡んで渡邊先生もお話されたんで、土方の肉体というか、身体をやっぱり最初に発見したのは武智鉄二さん。さらに72年の公演で、今度は郡司正勝先生が、土方の舞台をご覧になっているかと思います。土方自身もそれを大変嬉しく思っていたんですね。当時、もちろん伝統演劇に対する一種の批判もあったんですが、例えば早稲田小劇場の鈴木忠志さんなんか批判的で、ご自身の訓練ではまた別ですけれども、土方自身はそういうことに対する伝統演劇に対する批判っていうのは全くなかった。
このところ、私も『肉体の叛乱』という本を編集して、気になって時々読んでいると、土方はもうすでに『肉体の叛乱』(注1)の後に1972年の『疱瘡譚』(注2)という、非常にこれまた伝統回帰と単純に言うと誤解を受けますけれど、そういう方向に移行していたと思うんです。なぜ『肉体の叛乱』があったのかというのは別の話として、富岡多恵子さんとの対談の中で、土方は自分は日本の踊りのオリジナルだというようなことを言っていますが、この意味はまた別として、それ以前の伝統的なもの、それ以前のダンスっていうものを決して土方は否定しようというとか、そういう態度はとっていないということに興味を持って見ています。あんまり私が話しをすると繋がらないので。今日のお二人のお話は私にとっては非常に面白い、あの慶応でやってくれた踊りも非常に楽しかったですし。また、別の形でお話を聞いていきたいと思います。
山田
では、森下さんの今日のレクチャーというかお話くださったことについて何かおありになりますでしょうか。
八角
では、研究センターのメンバーなので最初に少し基本的なことをお聞きします。森下さんたちが慶應のアーカイブでやっていらっしゃることは、非常に重要な作業だと思っています。今日も興味深く話を聞かせていただきました。ああいう形で映像資料を蓄積しながら舞踏を解析するという試みは、ある種の秘教的な囲い込みから土方巽を解放する意味でも必要ですし、土方の舞踏を実際に見ていない者にとっても、議論のベースとなる知識や情報をある程度共有することができる。
その上で質問させていただくのですが、まずは実際の土方巽の舞踏と画像による動きのアーカイブの関係をどう考えていらっしゃるのかということです。当然ながらそこではこぼれおちてしまうものも少なくない。つまり、これもまたドゥ ヴォスさんと別の意味で「土方巽を翻訳することは可能か」という問いを孕んでいるわけですね。たとえば先程渡邊先生もおっしゃたように、一つ一つの動きの単位を分析していったときに、しかしそれが連続して舞踏となるためには、その間をどうつないでいくかという問題がある。その部分を研究対象としてどう扱おうとしていらっしゃるのかということが一つです。
それから、そのこととも関わってくると思いますが、土方が舞踏譜によって創り出した動きと、そのプロセスに介在したものとして残されている言葉との関係をどう考えるのか。そこでは言葉は動きを伝達するための単なる媒体なのか、それとももっと別の役割を果たしているものなのか。つまり言葉と身体のずれというのをどう捉えようとしていらっしゃるのか。そのあたりのお考えをちょっとお聞きできればと思います。
森下
全て上手く答えられるかどうかわかりませんけれども、渡邊先生のご指摘、非常に重要で、動きと動きの繋ぎというのがあって、これは國吉先生なんかもよくおっしゃっている、ブリッジという言葉で表しているんですけれども。そこをどう演出するかですね。
これはやっぱり一言で言ってしまうとまずいんですけれども、言ってしまえば、それは土方でしかできない。ここの動きは和栗さんも、山本萌さんも、もちろん芦川さんも素晴らしいんですけれども、これを繋いでいくとき、演出の土方がいないとできないっていうふうに言ってもいいかもしれないですね。これは全くそこまで断定できないんですけれども、そういう厳しさがあると思うんですね。
だからああいう形で動きを見せて、これだけ見せたらどうなるものだ、と言われると全くその通りで土方がいないと、いない中であの動きを並べてどうなるか。非常に大きな問題です。当時、実際に舞台を見ている人たちは、もちろんああいう形で土方が踊りを作っているということを全く知らないというか、分からない、見えないわけですね。この状態でははまさしく渡邊先生がおっしゃったように、あの細かい動きが繋がっているっているのが誰にも見えないですね。これが土方の舞踏譜の舞踏の素晴らしさなわけです。舞踏譜、舞踏の構造はそうだし、メソッドもわかるんだけど、舞台に上がった時の素晴らしさ、土方の演出、といっていいのかちょっと私には正確にはわかりませんけれども、やっぱり土方の舞台づくりのすごさ、面白さ、素晴らしさですね。
渡邊
舞踏譜の問題というのは、専門じゃないからわからないですが、やっぱり譜のレベルというのは、間も含めて、コード化された部分ですね。コード化された部分とそれがパフォーマンスになったレベルでは、どうしても落差がある。
例えばご存じの通り、フォーサイス(注3)が一頃、コンピューターを使って身体運動の分析的な図を撮っていましたね。あれがあればフォーサイスの「振り付け」は踊れるはずだっていうことになっていたし、一応そうだったんですが、にもかかわらずフォーサイスの劇団で、本当にフォーサイスが踊れたのはって2人ぐらいしかいないのですね。それはよく浅田さんともしゃべったことなんだけれども、やっぱりあの2人しかいないというのはどういうことか。これはダンスに限らない。演劇でもダンスでもそうだと思うんですけれども、パフォーミングアーツにおける「コード」と「パフォーマンス」という落差がやっぱりどうしても露呈してしまう。
山田
私も司会をやめてちょっとお話したいと思います。
これは土方巽という人の言葉との関係で思えることですけれども、今日の舞踏譜を起こす作業を拝見していても、ある意味で全く似て非なるものというのが私の中でありました。実際に舞台を見ているせいもあるかもしれませんが。言葉で振りを渡すということと、後半で神経について、森下さんが神経をテーマにした言葉で振りを作るようになったっていう、そこが大きなポイントなんじゃないかと思いました。もう少し、そこが深くなっていった時に、振付けられる側、ダンサーの身体の神経を振動させる、あるいは解体していくっていう、そういう所まで土方さんの言葉というものが強くなっていったら、はたしてダンサーの身体はもっと変革され、あの土方巽のような身体性を舞台上で表すことができたのかどうか、それともそれはやっぱりできないことであっただろうか。たとえば私たちはストレッチをすれば前屈はできるようになる。で、そういうフィジカルな部分というものと同じだったのか。内部が踊る、内部的振動をどうやって作り出していくかっていうことと振りを付けていくということが、土方さんの中でどのぐらい意識化されていたのかっていうのがあるような気がしてしまいます。
で、土方さんの神経を振動させていたものっていうのは、もしかしたら、あの言葉が、土方さんの中にあれだけの言葉が振動していたので、体自体の振動を生み出すことができたのかもしれないって思える。その言葉が発生してくる振動元をダンサー、私が一ダンサーだとすれば、その振動元を自分の身体の中に持たない限り、絶対的に振りを受けられないんじゃないかというような感想を持ちました。
國吉
慶応のアートセンターでやっていらっしゃること、あの動きのデータベースということをやっていらっしゃるんですけれども、実はある意味でとても危険なことではないかと思います。
それは今、山田せつ子さんがおっしゃったように、ダンス、それはもちろんダンサーの質を変えるところまで入り込むことが土方さん亡き後、できるかどうかということも非常に大きな問題となっていますし、それから動きだけを振り移すっていうことによって、逆にそれを動く上でダンサーの体が安心して、こういうふうにやれば一応、土方舞踏になるということをパターン化していくことを、むしろ助長させるような危険はとても感じます。
もちろんそれをご承知の上で、おそらく慶応ではやっていらっしゃると思うんですね。それを承知の上で、だけど動きのアーカイブを構築されているというそのところがですね、いったいどういう目的というか、どういう最終的なビィジョンなのかということを、もう少し明確に示していただければと思います。
それからもうひとつ、渡邊先生がおっしゃったフォーサイスは、あれを団員のために一応、ビデオ、DVD、あの映像化して、それをなぞれば、一応、動けるようになるというものを作ったと。確かにそうなんですけれども、フォーサイスの場合は動きのアルゴリズムというか、考え方の道筋を映像で説明をするということで、「型」ではないんですよね。動きのパターンだけを移しているというのではなくて、その動きがどうして出てくるのか、どこから出てくるのかというところを「映像で試した」というものが、フォーサイスの映像だと思います。
そうしますと、フォーサイスのカンパニーの中で踊れるのは2人ぐらいだなとおっしゃった。確かにそうだと思います。それはそうやたらと、その動きをそれこそ自分の身体の芯から受けて、ダンサー的に感性的にダンサーの感性に恵まれた人というのは、そういないと思うんですけれども。それをいわば上質なダンサーとしての演出に、フォーサイスのアルゴリズムがこうした時に、はじめて映像が一つのツールとして生きるんだというふうに思います。
土方さんの振り付けに関しては田中さんがとても興味深い論考を『シアターアーツ』に寄せていらっしゃるので、いかがでしょうか。(笑)
田中
僕は、2009年『シアターアーツ』9月号、秋号ですか、舞踏譜について論考を寄稿しました。それとは別にして話を舞踏譜のことに戻しますと、今日、渡邊先生がご指摘されました、舞踏は幻想の身体として女体を表しているというような話を非常に興味深く感じたんですけれど、土方は対談で「自分の踊りも女風になってきた」っていうような発言をしていますね。つまり、最初はいわゆるガチガチのコチコチの踊りをやっていたっていう、硬くなって冷たくなってみたいな、そういう硬派な踊りをやっていたんですけれども、それがだんだん「自分の踊りも女風になってきた」というわけです。僕はそのことが舞踏譜の方法と関係があったんではないかと考えているんです。というのは芦川さんという人が弟子に加わって、いざ踊りを教えるわけですけれども、多分、舞踏譜というのは芦川さんにその踊りを教える仕方とかなり関係があるのではないかと勝手な推測をしているんです。
前回、僕は「身体のアレンジメント」という考え方を提示しましたけれども、身体と言葉の間に「間」を置きたかったからなんですね。何かそうした「間」がないと、言葉と身体というのは全然つながりを持たないんだってことです。
言葉っていうものは文節するものですから、意味をはらんでくる。身体の動きというのは舞踏の場合は特にそうですけれども、全体的なものでないと面白くないわけですね。
たとえば手の動きにしても、ただ手の動きだけでは踊りにならない。確実に手の踊りだけを見せる時には身体の動きを消すという、一方で手以外の体の動きを消すという、そんな神経の使い方もあるんですね。そういう意味で舞踏の動きというのは、いくら言葉を与えても全体的な身体のバランスがとれていないと何かが見えてこないわけですよ。スッとした何かが。それで言葉というのは意味を与えますから、どうしてもそっちの方に傾いてしまって、つい身体がバラバラになってしまう恐れがある。ですからそのとき、いわゆる分節的なものから全体的なものへと変換するという作業がおのずと身体の中で行われているような気がします。そのことに土方は注目しているとおもうんですね。ですから舞踏譜といっても、言葉と身体がまっすぐに繋がっているのではありません。言葉を介しておのずと身体の中で間合いがとられて、身体の表面におのずと何かがあらわれてくる、そうした手順があるわけです。
言葉と身体をワンセットにして考えてしまうと、そのところが見えなくなる。つまり、舞踏譜を言葉と身体がくっついたものにしてしまいますと、次は逆に身体が言葉に還元されてしまうっていう恐れがありますから、それが國吉さんがおっしゃった危険性ってことだと思いますけれども、言葉から身体へという一方的な確かな時間がありまして、身体から言葉へという逆方向へはたぶん行かないような性質のものだと考えています。ですから「身体のアレンジメント」という「間」の働き、ここでは詳しく言えませんけれども、そういうものを設定して初めて舞踏譜というものを考えることができるんではないかと思います。
宇野
先程のお三方の発表に関するコメントといいますか、質問という形でちょっと考えたことを言わせてもらいます。
最初、舞踏譜のお話が出て、大変これはいろんな映像も駆使して、土方巽の身振りのアーカイブといいますか、そういうものを作るという方向に、かなり積極的に踏み出しておられて、それはそれでとても印象深い作業をしていらっしゃると思ったわけですけれども、國吉さんは危険ということをおっしゃいました。山田さんは、危険と言う言葉を使っていないけれども、何かあの作業の中から洩れてしまうというものが沢山あるということを指摘されたと思います。これは土方巽という人の魂がいったいどこにいるのかという問題になると思うんです。舞踏譜の中に土方巽は本当にいるのか、というややこしい問題があるわけです。
土方巽はおびただしい数の美術作品を参照して舞踏譜を作っている。おっしゃたように、フランシス・ベーコン(注4)のように、ほぼまだ具象的である、あのような絵画を扱ったときに確かに『疱瘡譚』の土方さんは、ときどきベーコンそっくりの身振りを造形しているという面もあって、これはこれで大変面白いわけですけれども、その後ヴォルスとかアンリ・ミショーというような抽象画が入ってくると、そういう舞踏譜が再現可能な身振りを指示しているかどうか、もう疑わしいことに思えてくるわけです。
これは田中さんがおっしゃっていることにも関わりますが、言葉と身振り、言葉と身体の間にある隙間という問題に関しては、森下さんのなさっている再現の作業というのは、その「隙間」という事態はあまり問題にしていられない、むしろリアリズムとして舞踏譜を解釈した上でああいう作業をなさっているわけで、こういう作業によるアーカイブの使い道が恐らくあることを否定しようとは思いませんが。
それにしても土方巽が絵画の中に見たイメージと、それから言葉と、身振りとの間にはそれぞれやっぱり隙間というのがあって、その隙間にある生産性というか創造性というものがあったんだと思うんですよね。ですから、土方さんは絵というものにいったいどんなふうに対していたか考えると、そっくりの身振りをすればいいってものではなかったと思うんですよね。デクーニングのような、かなり抽象的な、それでも女性の体がしばしば識別できるわけですけれども。ああいうイメージを材料にした土方巽における、イメージ、言葉、身振りとの間の隙間の創造性っていうようなことについて、どう考えられるでしょうか。
それからシャルマッツの舞台の映像は、とても面白く拝見したのですけれども、フランス語の部分、僕の力不足もあってよく聞こえなかったんです。もちろんそういうような作品の造り方も含めて、シャルマッツの読みというか、土方のテクストの読み方とは、一体なんだったのでしょう。あるところでは土方さんが鼻風邪をひいたって話をしていると、まったく風邪をひいた鼻声で読んだりと、テクストに対して、まったくベタにレアリズムな部分もあったりするわけです。でもやっぱりかなりの飛躍した解釈をほどこして、土方と出会っているわけです。シャルマッツの読みの焦点とはどういうものだったのか、パトリックにちょっと話していただけたらと思います。
それから渡邊先生のお話は、ジェンダーと土着性ってことでしたけれども、土方巽、そして大野一雄の間で、女装の意味、女になることの意味はかなりニュアンスが違っていたと思います。もちろん日本の芸能には、女になるということに関して非常に豊かな伝統があるわけですね。それは土着であるどころか伝統的でもある。しかし、「女形」を借用しながら、そもそも踊るということは、男から女に性転換するっていうことなんだという、そういう強いモチーフを土方は出したのではないか。しかもその背後にはホモセクシャルというか同性愛とか、あるいは両性具有とか、もちろんジャン・ジュネの面影もあり、大野一雄さんも早くからジュネの小説の主人公ディヴィーヌをタイトルにして踊っていらしたわけですし、そちらの方から来る女装っていうテーマもあったり、そこにはいくつか異なるジェンダー問題があったんじゃないかと思います。
それから土着性っていう問題に関しても、とにかくこれを蒸し返したらかなり果てしない議論になるかと思うんですけれども、土着と伝統は違うものだって渡邊さんははっきりおっしゃいました。僕もそう思いますけれども、例えば寺山も土方も東北の人でありながら、かなり手の込んだ形で土着問題を生きていたと思うんですよね。思想的なレベルではほぼ同じ時代に竹内好だとか吉本隆明というような人が、西洋のマルクス主義とか中国の毛沢東主義とか、あるいは同時代のサルトルも含めて、そういう文献がさかんに読まれている時代に、日本で革命を志す人間が、こんな言葉を鵜呑みにして、こんな言葉、こんな文体で相変わらず革命を論じてていいのか、という切実な問いかけがあったわけです。
そういうことともちろん連動していたと思いますが、土方巽も変わっていったと思います。『肉体の叛乱』の土方は、西洋流の革命のイメージがすごく強くて、時代の雰囲気の中でそれを共有していたと思うんですけれども。マルクーゼなんかの引用もしているわけです。しかし次第にそういうものから土方はハッキリ距離をとって『病める舞姫』(注5)に至るわけです。それを土着と言っていいのか。僕はわからないんですけれども。
土方巽は、ある面では大変ハイカラな、エレガントな表現者だった。しかし一人ひとりの土着という問題が、あの時代との関連でもあると思うんです。それから土着と言っても、土方の中でそれぞれの時期に変化があるわけです。そのことを少し議論してみたいな、伺ってみたいなと思います。
山田
じゃあ、森下さんからお願いできますか。
森下
正確に答えられなくてはいけないのですが、ひとつはやっぱりこれは師匠と弟子ということですね。土方死後、舞踏でもワークショップというものが盛んに行われるわけですが、私はワークショップというのは功罪あいなかばしているので、あまり賛成はしていないんですけれども。師と弟子という係わりの中でしか土方の舞踏を伝えることができないということがある。
これは芦川さんもはっきり言っていることですけれど、舞踏は技術である。一見、舞踏は技術じゃない、技術はいらないというところで発想されていたところもありましたけれども、これはもう芦川さんの言葉通りですね。技術がなければ土方の舞踏は踊ることはできない。これは大野先生の踊りとかかかわりあるので、単純にはいえないのですけれども。一応、その一点をこれから考え続けていきたいと思います。
私が土方の舞踏譜ということで、記号化されていっている、これは単純化するために作業しているわけで、その代わり土方がどういうコードを使ったか、どういうテキストで踊りを作ったかっていうことを、これを解明しないことには正確に伝えることはできない。
例えば、ダンサーならば汲み取って、土方の映像を見て新しい踊りを作り上げてくれるかもしれないっていう可能性を私は信じている。それがないことには我々がやっていることに意味がないので。ダンサーならば我々が見ているもの、研究者はそういうことはできないんですが、ダンサーならもしかしたら皆様がおっしゃっているように、土方を貶めるようなことも、もしくはそれを飛び越えて、見せてくれるかもしれない。
それから土着性。『病める舞姫』について言えば、宇野先生も書いていらっしゃるんで、私も受けてお話したいんですが、あれは土方の少年時代に自分の周りで見た風土、風景、その人間を描いているのですけれども、『病める舞姫』は結局、いつの時代かもちろん我々は想定できるんですね。1928年から土方少年が大体5年とか10年とか15年の間の秋田のことだって想定できるんですけれども、実はあの中に全くその時代性が書かれていないんですね。いつの時代、昭和何年とかそういうことは全く書かれていない。それから固有名詞はいくらか出てきますけれども、周りの人物はほとんど固有人物、存在ではないってことを考えると、非常に普遍性を持っているんですね。秋田って我々は知っているけれども、秋田のあの世代の、あの地方の、あの時期の土方が見たものだっていうのは知っていますけれども、そういう意味でいうとあれは一種の自伝的なものと見ることもできますけれども、そういう歴史性っていうものを土方は全く排除して文章書いていると思いますね。その辺で土方の土着って何かってことを考えたい。
ドゥヴォス
あのお聞き苦しい日本語で答えさせていただきますけれども、難しい質問ですね。まず宇野先生を安心させるためにあんまり台詞がよく聞こえなかったというのは、大多数のフランス人のお客さんにもそのような問題はあったようです。聞き取りにくいところが確かにあるわけですけれども、それはそれとして。
ボリス・シャルマッツは、あの少ない翻訳の中からどんな土方巽を読んだかという質問ですよね。彼がこの少量の翻訳の中からどこの部分を取り出したかってことが、まず、どのようなテーマに関心があったかと、見えてくると思うんですけれども。それはひとつひとつね、文章を引用しながら答えなければいけないことになるわけです。
まずそのいくつかを取り上げる前に、彼が決して土方の全体を捕まえようと思っていないと言っておかなければいけないのですね。何か「土方」を舞台の上に乗せようとは考えていないし、ましてや自分で舞踏をやろうとは一切思っていないわけですね。彼はもちろん舞踏譜や様々な技術があるということはよく知っているし、舞踏といっても一つのものではなく、特にフランスで知られているような舞踏、ステレオタイプを含めての様々な種類の舞踏は沢山あるわけですけれども、そういうようなものは、一切、彼はある意味で拒否しているぐらいで、そのような立場を取っていると思うんですね。
彼がこの作品の中に、強調して何度も何度も繰り返して舞台の上で言っている土方の言葉は、まず2つ思い出します。先程、言うべきでしたけれども。國吉さんがこの舞台について見事な論文をお書きになっているので、2009年『シアターアーツ』の春の号を参照すれば、今日の僕の話よりも想像に訴えるようなことが伝わってくると思います。その國吉さんの文章にも出てくると思いますけれども、2つの文がよく強調して数回繰り返されているわけですね。正確に今ちょっと覚えていないのですけれども、よろしければ今ちょっとここに原文がありますので確認できますが、ひとつ目はたしかに『風だるま』(注6)の中から出ています。例の「私の身体のなかで死んだ身振りをもう一度死なせてみたい」であり、あるいは「一度死んだ人が私の体の中に何度死んでもいい」という言葉を何度も繰り返しているわけですね。土方のこういうふうな着想が、シャルマッツにとっては重要なことだと思っているんですね。
それでもうひとつは「犬に打ち負かされる人間の裸体を私は見ることができる」というような文章はどこの文だったか、『犬静脈』(『犬の静脈に嫉妬することから』注7)だったか、その2つの文を先ず手がかりにして、答えることができるかもしれない。
ボリス・シャルマッツも、さきほども言ったんですけれども、今回私の翻訳を通じて初めて土方に出会ったわけではないと思います。やっぱり彼がダンサーとして、現代の制度で踊りを、ダンスを作るということをよく考えている人です。「新作」の生産にこだわるその制度に対しての批判的な立場から、ダンスの過去、その歴史にどうしてもダンサーは直面しなくてはいけないと彼はずっと言っています。
つまりダンサーというのは現在や未来や、もしくはモダニティを具現する人ではないと。アーティストは、新しいもの、モダニティを代表するものではないとずっと主張しているんですね。アーティストたちは先のことを考えてくれるので、新しい、現代的な、モダンな視点をもうけることを任されているので、見る側の方は何もしなくていいから、という仕組みになっています。そうではなくてアーティストというのは我々の側にいろんな問いを投げかけているですから、彼が一番大事にしているのはダンスの過去を受け継ぐということ。ダンスという芸術において、その性質上、それが非常に難しいことですが、どうしてもその過去といつも対面しなくてはいけない。つまり今自分の現在を確かめるために、過去の身振りをいかに繰り返せるか、あるいは反対にそれをいかに繰り返すことができなくなってしまったか、言いかえれば過去のものはいかに現在を問題にするか。ですから彼は前からニジンスキーの『牧神の午後』の再現を試みていますし、今もそのような試みを続けているわけです。
ついこの間、マース・カニンガムの一生の作品を取り上げて『ダンスの50年』(『50 ans de Danse』)という作品を作ったわけですね。その前に、ジュリア・シマというダンサーと一緒に20世紀のダンスを1時間半でまとめて、いろんな引用から構成された『Visitations』という作品も作ったのです。この作品はどんな引用で始まるかというと、土方が『疱瘡譚』の冒頭で踊るどてら姿の舞踏で始まるわけですよ。そのあとはベジャールなどを通過して現代に至るために、最後に『春の祭典』で終わるという作品です。いかにダンスの過去を自分の体の中に、過ぎてしまった身振りをいかにもう一度、蘇らせるではなく、死なせていく。そのような立場を持っている人なんですね。ですから彼が土方に出会える必然性、ある種の宿命があったと思うんですね。まずそういうふうに答えることができる。
もう一点は、今回のシャルマッツの舞台に見えるのは2人だけの「人物」で、男女のダンサーですね。言ってみれば一つのカップルですね。その事に私も非常にびっくりしたんですよ。カップルで男性と女性でやるということは、どうして土方なのかと。僕にとって土方のイメージに重なりにくいところですね。たしかに舞台を見れば、全体的には女体(じょたい)、女体(にょたい)ですか?の方が、中心的な存在になっているでしょうが。時間的には一番長い場面を独占していますし。しかし、この二人の間に大きな代物が入っています。文字通りの、全く白い物ですね。あのトラックなんですね。トラックがいかに男性ダンサーと女性をつなぐか、あるいはそれを互いに関係づける?なんていうでしょうか?ごめんなさい、時々言葉が浮かんでこない。ともかくそういうような性、エロス、またはジャンルという課題も最初からあるわけですよね。勿論、作品の中のトラックというのはこれに尽きるとは限りません。トラックは土方そのものだと解釈することもできます。國吉さんは、とても面白い説を立てたのですが、トラックはまっ白で、雪のようでしたと(笑)。ということもあってこのトラックの中に風ダルマ、そのものを見たと思います。あれは、空で、大きいものですね。空洞、空虚ですね。それは風のひとつの比喩として見立てたのはとても面白い解釈だと思います。
ですが、トラックのなかに何があるかという問いもできますね。ボリス・シャルマッツは、土方についていろいろ読んでいて、調べていて結構よく知っているわけですよよ。例えばお姉さんの話が、かならず土方をめぐる文章の中に出てくるわけです。それについて、何度も何度も僕に聞いてきたのです。お姉さんは何なのかっていうこと。トラックの中で「お姉さん」についての話しを繰り返すシャルマッツは、自分自身がお姉さんのつもりというわけではないですけれども、この辺の土方特有の身体性を舞台で見せるというか、聞かせるというか、とにかく作ってみたのでないか思います。このトラックについて、これはいったいどういうことなのかと彼に聞いてもですね、正確なはっきりしたような答えは当然出てきません。それは当然だと思います。トラックを中心としたイメージのロジック、このイメージの持っている運動性の様なものは、土方の翻訳の作業を行った時に僕も出会った、土方の言葉の根底にあるイメージに似通っているところがある気がします。イメージといってもそれは視覚的という意味に限るわけではなくてもっと広く感覚的なもののなかで、謎のような不透明なものを条件とするある思考が歩んでいるようなところがあるかと思うんですね。ベンヤミンにみられるようみな、哲学的で、分節的な方法で進んでいくプローセスのなかに、突然、非常に謎めいた、全く不透明な言葉も現れてくるわけですね。そして、それを開いていく力が働き、それを開いていくだけで様々な方向性が生れていくんだけれども、彼は一定した解釈っていうのを持っていない印象がありますね。持ちたくないと思います。最後に言い加えてしまえば、彼に「土方好きですか?」と聞いてみたら「うーんわかんないね」っていう返事でしたよね。(笑)とりあえずちょとしゃべりすぎて、質問の答えになるかわかんないですけれども。
渡邊
さっき「伝統と土着」と言ったのは、50年代から60年代にかけて流行した、ある発想についてなので、普遍的な概念として使った訳ではありません。その際、現在では、「伝統」という言葉を使う時に注意しておかなくてはならない点は、戦後民主主義の要請の中では、「伝統的なもの」というのは、「封建制度の遺構」とほとんど同義語であった時期があったという点です。
その典型的な表れとして、千田是也氏の書いた『近代俳優術』を挙げたわけで、まさに日本の近代劇にとっての俳優術の教科書で、我々が高校演劇にとってすら、一種の「聖典」になっていた。「新派的」などという形容詞は、最悪のマイナス価値を背負わされていたし、実際に「歌舞伎など観るな」と、俳優座養成所の生徒は教えられたという話を出したわけです。私などが、中学生の頃に――というのは1940年代後半ですが――歌舞伎を見るのは一種の反時代的選択だったし、新派を観にいくなんていうのは、よほどの物好きか懐古趣味的反動と思われた。そういう文脈では、たとえば能は封建的だが――特に家元制度なんてものが生き続けているし――それに対して狂言は、「笑い」であり「風刺的」であるから現代的であると言った発想があって、飯沢匡のような人がその急先鋒でしたね。新作狂言もお書きになったし。だから、新劇俳優でも、「伝統芸能」から何かを学ぼうとする人々は、狂言なら許されるだろうと思ってか、狂言を習う人は結構いたように思います。これも不思議な進歩史観ですがね。
三浦
そろそろしゃべらないと、ずっとしゃべらなくなりそうなんで。
色々と興味深い点が多くありまして、ただちょっと立場を明確にしないと、迷走しちゃうんですけれど。僕は土方の可能性ということをやっぱり考えているんですよね。演出家として。「言葉と身体」というテーマがありますが、自分の立場はボリス・シャルマッツがやっていることに近いというか、それをどういう風に考えるのかっていう意味で今日のシンポジウムもお聞きしておりました。
それで一つ、舞踏譜の問題はちょっと僕、前回、舞踏譜なんていらないってことを言っちゃったんですけれども、大分、今日は話されているような気がするんです。舞踏譜なんかいらないっていう意味は解説しますと、ほとんどそういうことですね。身振りしか表現できないわけで、「間」とか今、隙間という言い方がありましたけれども、そこはどうなっとんだということですよね。それは言い方をかえると、まさに今日、出てきて、見せられてようやく面白いと思ったんですけれども、研究材料として。まさに今日、ベーコン的って書いてあって、ちょっと笑っちゃったんですよね。それとあとミショー感。ミショーと言ってもいいですか。
宇野
ああ、これはヴォルスですね。
三浦
ヴォルス感、感覚の感ですね。っていうふうに名付けたように、「的」と「感」の違いって一体何かというと、まさに見りゃわかるわけですよね。「的」っていうのはまさに身振りで、こう解説されているわけですよね。「感」っていわれると、ちょっと、グジュグジュ動いているだけなんですけれどっていうことなんですよね。
そのことが先程のご指摘にあったと思うんですけれども。ただじゃあそのベーコン的の中に出てきた、会場からも笑いが起こっていましたけれど、例えばゴムがほどけるっていう。わーっとほどけるって分かるんですけれども、でも次に頭の・・・正確ではないんですけれども、正確は後で、頭の角にゴムがひっかかっているって言われると、いやいや頭の角はどこにあるんだっていうことの連続が起こってくると思うんですよね。ゴムが引っ張られているのがほどける。ってまず言われるっていうか、名付けられる。そして頭の角にゴムが引っかかるっていうと、頭の角っていうのが、あぁあるということになっているんだってことの連続、これはイメージだと思うんですよね。
イメージがこう連鎖していっていて、比較的、身振りに体現される、プールのサイドで犬がって言われて、プールがあったんだってことですよね。角もプールもその2行前、3行前には言われていないんだけれども、それがあることにするんだっていう、感覚としか言いようがないんですけれども。結局、土方が、宇野先生がおっしゃったように、土方というのが何だったのかというと、先程、土着性という言葉もありましたけれども。僕はその土方のやりたいことというかイメージだと思うんですよね。森下先生が言っていたように、最小単位があって、それでシーンができあがっていく、そしてそのシーンの羅列によって作品ができあがっていく。ここにあるのはその作品のテーマ性とかっていうことを度外視していて、どの作品をやっても結局土方なんだよっていう。それは最小単位が連続であるんだっていう。これはどなたかがおっしゃっていた詩であるとかポエットであるとか、詩の連続、詩のようなものであるっていう言い方が原風景に近くて、そしてそれが土着性っていう言葉として交わされているんだなって。
それで、パトリックさんが紹介してもらったボリスのことは、守章先生がその「あれは土方じゃない」っていう言い方をしましたね。まさに僕にもその気持ちが半分あるわけです。これはもう全然舞踏とは関係ないっていうことですね。そこには、いわゆる土方が紡いでいった時間の感覚はない。でも同時にこっちの半分で、ものすごくシンパシーを感じるわけです。ちなみにボリス・シャルマッツはパリに留学していた頃ちょっと劇場ですれ違ったり、研修先の劇場で一緒だったりして、何となく匂いは知っているんですけれども、今彼は何をやったのかなってみていたら、色々かいつまんで見ただけなんですけれど、あそこにはやっぱり土方のその言葉をきっかけにして、つまり活字、書かれた言葉をきっかけにして、何か自分にひきつけているような気がしたんですよね。それは彼もダンサーだから、そこの部分の共振しているイメージをなんらかの形で出したんではないかという気がしました。
そこが問題なんですけれど、身体性という意味では問題だと思いますよね。あのベーコンでやっている時、土方の見たりすると、やっぱり先程おっしゃったように緊張した時間がずっと繋がっていて、それが今やるとああいう世界になる。あのベタベタひっついた床にあるものをただ取っているだけですよね。これは物理的なあれですから。取れたと思ったらまたガッチャンってなっちゃって。それは緊張をわざと切っているわけで。切ることによって、つまり他の材料、トラックはもう本当に代表的ですね。先程もおっしゃっていたように、トラックが間に身体性として入っているんだってのは、言葉としては分かるけれど、あそこには人はいない。いみじくも最後、運転する人がいなくなるわけで、人じゃないっていうか、血が通わない身体性っていうものを彼は批評していると思うし、そのことを面白いとみるか、面白くないとみるかっていうのはちょっと分かれるところだと思うんですね。ただ、ちょっと僕も色々と混乱しているんですけど、彼のやっていることを半分シンパシーを持ってみるんだけれども、やっぱりトラック見た時に「まあ、だよね」って思うんですよね。「だよね。トラックぐらい出しておかないとね」みたいな、「引き受けられないよね」っていう感じ。「その土着性はないよね」っていう。だけど新たにやっぱり国道走っていたり、移動する、移動するっていう感じっていうのは、ここにいるってことじゃなくて、ここにもいられないっていうことで、一生懸命トラックを動かすことっていうのは、分かるわけですよね。感覚的に。そして秀逸だったのはトラックの中の映像が、外側に照らされているところ。それは土方の言う「内臓がうごめく」っていう、ギリギリOKだろう、内臓がうごめくかもねって思ったことを視覚化されたような気がしました。そのことはやっぱり繋がるし、身体っていうダンサーが抱え込む、具体的な思想っていうかな、そういったことは材料として、扱っているんじゃないかと。
守章先生がおっしゃった「グロテスクな美しさ」、「19世紀的な言い方でちょっと嫌なんだけど」っておっしゃったんだけれども、これはもう言い得て妙だなって思っています。ここからどう抜けるかっていうか、つまり「グロテスクな」っていうのは多分、「舞踏譜」って僕の中では翻訳されている。あの映像で行われていることは、どうグロテスクにするかっていう風に受け取れますね。あれはだって言葉通りでこうやったって、別に内臓がうごめくって言ったってね、山田せつ子が動けばそれはそうなりませんよ。そういう風に絶対ならない。わからないけれど(笑)。ていうか、それは言葉とその問題があるわけです。
それと美しさっていう回収の仕方。カントールを見た時、太田さんに「あの人は実際どうでしたか?」って聞いたら「いや~あれは実験的巨匠で、ちょっと話をするのは無理だな」ってあの太田省吾が言ったから、相当無理なんだろうなって。19世紀的って言い方ですよね。その美しさっていう回収の仕方に対して、多分、シャルマッツは、なんらかの応答をしようとしているんじゃないかっていう風に予測されます。ラストで、こういうスタンドマイクがあって、最後の朗読っていうか一生懸命言っていたと思うんですけれども、あそこまで体を、犬を使ったり、生理的な状況使って、追い込んで、言葉をこう出していくっていう感覚、これはもはやもうダンスではなくて言葉の時間に埋めているなっていう感じで演劇に近いなって、パフォーマンス性をすごく感じました。
大事なことは、今後、多分問われていくだろう土方の言葉が、僕の言うところの活字、舞踏譜という活字化されたものにも色々な種類があると思うんですけれども、もちろん論文の中にも色々な種類があると思うんですけれども、そこの部分に何かパフォーマンス性みたいなものの謎を解く時間があれば、解いていきたいなっていうのが今の、中間的な意見なんですけれども。ちょっとまとまり難い・・・・。
稲田
ありがとうございます。私のような若輩者がしゃべると色々とまた、お叱りを受けるかもしれないんですけれども。
私『疱瘡譚』の中の最後のシーンを見たときに、やはりその美しいって言葉ではないんですけれども、なんだか恍惚としたものを観たような気がして、それが土方に興味を持つようになった最初なんですね。なぜそれが恍惚としたかというと、私は子供の頃からバレエやモダンダンスをずっと長く踊っているんですけれども、そこで習ってきた体の使い方のシステムとは全く違うシステムが行われている。そこに注目したんですね。そのシステムについて、私は、見えない原理とか、内部のシステムと名付けて、何本か論文を書いているんですけれども、そこが多分、田中さんがおっしゃったアレンジメントというところに繋がっているのかなと思っているんですね。
舞踏譜で記録をしてくださるっていうのは、ボキャブラリーにどういうものがあるかっていうことをやっていたことは非常に貴重なんですが、やはり抜け落ちるという危険性があるということと、結局それをやると意味解釈になってしまって、これがこういう比喩になるっていうような、解釈に陥ってしまうという危険性があるので、私たち若い研究者、実際は若くはないんですが、これからの研究者ができることは、そこの繋がりがどうなっているのかという、グラマーの部分を考えていくことだなとずっと思っているんですね。 そのグラマーを私は「身体の中のシステム」っていうふうに考えています。その中には2つあると思うんですね。まず身体をどう使うかというグラマーのことを考えるということなんですが、それは例えばここでダンスをやっている人はいっぱいいると思うんですけれども、日常の生活でもダンスにおいても身体っていうのはある目的に対して体のパートパートを統合して動かすものですよね。連動させるとか協働させるとか。それに対して舞踊というジャンルでは、それを協動、連動しないように、ここはここでアイソレートして、上体は保つ。腕だけを自由に動かすとか。いかに身体のパートパートをコネクトして、もしくはアイソレートしていくか、それをいかにやっていくかっていうことが舞踏の様式ごとに決められていると思うんですけれども。そこがまず土方は違うと思ったんですね。
バレエやモダンダンスっていうのは、ホールボディっていうのかな、ひとつの身体っていうものを全体的なものとしてみて、その全体に対して各部分がどういうふうに協動していけばいいか、アイソレートしていけばいいかっていうふうに考えているものだと思ったんですね、長年踊っていて。それに対して土方は、むしろその全体としての身体がある目的なり造形物なり、意味なり表現なり、何なりに向かっていかないで、身体がバラバラのままどう自在に動くか。そういうような身体のシステムを考えたのではないかなと思ったのがひとつです。その時に、しかし、その身体というものを従前の考え方でやっていたら、結局それは人間の関節から取り外してそれをもう一回、構成しましたというのと同じになっちゃうと思うんですね。ですからその身体の分節化ということを考え直したのではないかと。その文節化のヒントとなったのが、あのベーコンとかベルメール(注8)じゃないかなと思っています。舞踏譜で書かれた。
つまりここからは腕だから、ここからは動いて、ここから胴はアイスレイトしてビシッとしてます、上半身まっすぐしていますっていうのではなくて、もう腕はどこから付いているか分からない。さっきおっしゃったように頭の角はどこからというか、そもそも頭はどこに付いているか分らないという風な身体の分節化そのものを考えなおそう、やり直そうとしたのが私は土方のそのグラマーの部分、システムの部分ではないかと思っています。それだからこそ、そこで森下さんに繋がるんですけれども、きっと土方がやろうと思っていたのは、イメージかもしれないし何なのか分からないのですが、私はやはり身体をどうとらえていくか、しかも、舞踊の流れの中で、という実験だったのではないかと思うんですね。
はじめの頃というのはちょっとベーコン的な、または、ベルメールの人形的な関節で分節される、具象的な身体のパートというものが残っていて、それをどういうふうに組み替えたりしようかというレベルだったのが、おそらくそれがどんどん微細になっていくのが75、6年の白桃房のあたりの「神経」っていう話になっていくのかなと思うんですね。ただ残念ながら私は白桃房の作品はあんまり見ていないので、映像でも、まだ自分でも消化できていない、勉強できていないところなんですけれども。
そういう面で私たちが、後から後れてきた世代が映像を見るだけでも、あとアートセンターでやってくださっていることを見るだけでも、それを資料としてどういうふうに私たちが舞踊史のなかで舞踏を位置づけ、身体をどういう風に考えていくかということの材料になると思うので、とても貴重なことだと思っております。
山田
ご発言、あ、森山さん、どうぞ。
森山
はい。2つぐらい言いたいことがあるのですけれども。そのうちのひとつめから。色々言いたいことが出てきちゃって、まとまって上手くしゃべれないかもしれませんが。
まず、私の立場を言いますと、私は土方巽を見ていない世代ですし、最近になって、土方巽を読み始めたので、土方巽に対する思い入れのようなものを最初から持ちえない場所にいるという感じがします。けれども、それで終わりにするのではなく、土方巽も含めて、60年代の舞台芸術が存在したことについての歴史感覚のようなものは、舞台芸術の現在と批評に向き合う上で、どうしても取り戻ししなくていけないという思いがあって、そういう理由からこの場にこうしている、という、そういう立場なんですね。
それで、さきほど稲田さんのおっしゃったことで、ひとつ共感したことは、実際、数少ない土方の映像を見たときに、一番びっくりするのは、踊りのなかに、はっきりと「切断」というものが見えるということですね。90年代以降にはじめてダンスを見始めたものとしては、もちろんフォーサイスやピナ・バウシュにも「切断」は存在すると思いますが、そういうものとはまったく違った方法論による「切断」がある、というところに非常にびっくりした。どこかで、「舞踏」というのが、そういう「切断」とは正反対の、一種の予定調和的な世界なんじゃないか、という偏見があったせいかもしれませんが、身体技法的に、これは見たことがない、という驚きからはじまっているような気がしています。それから「衰弱体」という理念ですね。これもやっぱり他に類をみない。こういうものが出てくることは、やはり興味深いし、とても無視することはできない。知らなければすまされない、と思わせてくるものが確実にある。
それからあとドゥヴォスさんが見せてくださったシャルマッツの映像。今日はじめて見せていただいて、シャルマッツのやろうとしていることに共感したくなるところがはっきりありました。今日の映像、とても面白かったのですが、私は土方巽が『病める舞姫』に至る頃の、70年代の政治性の意識というものはどういうものだったのかっていうことがずっと気になっていて、そのあたりを彼も彼のやり方で取り戻そうとしているように見えるところがあったんです。たしかに舞踊史的な流れという意味では、土方巽と全然違うことをやっている。けれども、そういう方法を通じて、いわば迂回しながら(当然迂回せざるをえないですが)政治的な想像力をいま、どのように読みなおし、どのように取り戻すのかをかなりちゃんとやっていたような気がしたんですね。たとえば、あそこに出てくるトラックを見れば、どうしてもテロリストの文脈を思い浮かべてしまう。それからあそこに出てくる白塗りですが、シャルマッツの白塗りを見て思ったのは「白塗りっていうのは顔を隠すことなんだな」っていうふうに見えたんですね。テロリストが顔を隠すのと同じような意味で顔を隠すっていうことっていうことに、繋がっている部分があるっていう感じがしました。もちろん、テロリストをリアリズム的に表象しているわけではまったくないし、そういうふうに読まなければいけない、というふうにイメージを押し付けてもいない。でも、なんか、そういうふうに読めるかもしれない、というところを念頭においた上で、そういう単純なイメージ化に対するズレのように見えてくるところが、私にとっての面白さであり、共感したくなったところなんですね。トラック爆弾のテロリストのように、まるでトラックと切り離せなくなってしまったかのような奇妙な二人の存在があって、そういうシチュエーションのなかで、土方巽が60年代から70年代にかけて書いた『風だるま』のようなテクストが読まれる。するとそこに、政治をめぐる一種の瞑想的、内省的な時空間というのが出現しているように見えてくる。具体的には、フランス語がわからないとそれ以上はつっこんで言えないのですが、いったい、トラックから離れられなくなった二人が何を思い巡らしていたのか、そのイメージと合わせて、土方巽が何を思い巡らしていたのかを、同時に考察しようとする仕掛けを作っている、そういうふうに思いました。これがひとつ目です。
もうひとつはシャルマッツのさっきの舞台を見ていた時に気になっていたのは、さっき出かかっていた土着性の問題ですね。さきほどパトリックさんが、フランス語の台詞としてあんまりよく聞こえなったとおっしゃっていましたが、パトリックさんは翻訳者として土方巽の言葉にかかわっていらっしゃるので、ぜひ教えていただきたいことがあります。さっき宇野さんがおっしゃたような意味での「土着性」の話をもうすこしここでしてみたいという気がするんですけれども、「土着性」っていうのは、やっぱりあの当時におけるひとつの戦略的な言葉だったんじゃないかっていうふうに思うんですね。それは土方巽も戦略的に使っていたと思うし、寺山修司もやり方はちょっと違うにしても戦略的な意味で使っていたと思うんですよね。
で、いったいその言葉で、何が思い描かれようとしていたのか、同時代的に触れ合った言葉ではないので、後からいろいろ想像するしかないのですが、たまたま今日森下さんが紹介してくださった映像のなかに、小川紳介の『1000年刻みの日時計』(注9)がありましたが、「土着性」っていう言葉を聞いて私が思い出すのは、小川紳介の『三里塚』なんです。ご承知のように『三里塚』のシリーズは全部で6作ぐらい作られていて、最初のほうは、空港に反対闘争の運動そのものがメインの題材になっていくのに対して、だんだん村の人たちと共有する時間が多くなっていくにつれて、「村の時間」を懸命に撮り始めるようになる。「千年刻みの日時計」という発想も、そういう近代の時間感覚とは異なる時間というものが闘争に直接かかわっていくことによって可視化していく。農業の時間、昆虫たちの時間、といったものに目が向いていくところが、一見非政治的な題材に向かっていくように見えて、実は政治的にとても重要なんだ、という論点を、最近亡くなったドキュメンタリー映画の佐藤真さんなんかがたてていたわけです。日本のドキュメンタリー映画のいい部分にはそういう観点がとても多いと思いますが政治的主張に還元されえない、こういう身体、こういう身体、こういう身体っていうのが現に存在しているんだ、そういうプレゼンスへの凝視ですね。高度成長期のなかで、あらためて農村というのが、非近代的な時間性というのが、まるでブルドーザーでズタズタになった切断面に露出するみたいに露出してくる。それが、その当時では「革命」の新たなビジョンにもつながっていたかもしれないような「土着性」ということだったんじゃないか。もちろん、その背景には、さっき宇野さんがおっしゃった吉本隆明とか、あるいはその当時あらためて流行っていた柳田国男のような視点とうのがあったと思いますが。―ともかくそういった、私が小川紳介や佐藤真のドキュメンタリー映画を見て感じることのできるような視点と共通するような視点を今日のボリス・シャルマッツの映像には感じることができたような気がして、大変面白かったです。
それで、やっぱりドゥヴォスさんに伺いたいのは、日本のいわゆる「土着性」みたいなものが外国に翻訳される時に、その「土着性」というのはいったいどこへいくのか、あるいは翻訳者として、そこはどういうふうに対処なされるのかってことは、ちょっと聞いてみたいです。それはある種の土方巽の・・・あ、嫌な顔している(笑)。土方の「土着性」のなかにある構造みたいなものが、どうやって外国語になるのか、あるいはならないのか、といったようなことなのですが。
ドゥヴォス
翻訳、土方の文章に確かに、いろんな形でいろんな言葉で現れる土着性があるわけですね。東北にしかない食べ物とか、あるいは子供が遊んでいる、「でんぐり」とか、そういうような言葉が沢山でてくるわけですね。例えば「でんぐり」、ご存じですか。「でんぐり」知らないでしょ。誰が知っているんですか「でんぐり」のこと(笑)。そういう「でんぐり」が表れた時に、イタリック書体で「DENGURI」と。(笑)私はもちろん渡邊先生みたいに豊富な注を付ける(笑)ということで対処するか、そこら辺は、つまり自分の文化環境のなかに相当するものがないような土着的な要素に対しては説明するしかないんですね。もしもフランス語に、相当するものがあれば、別ですけど。例えば地名という問題があります。もしその地名があれば地名の持っているようなイメージ性とかが重要だったら、その地名まで訳してしまうっていうような立場なんですけれども。
例えばフランスにはノヴァリナていう半分スイス出身の詩人がいますけれども、演劇の詩人なんですけれども、彼の文学の奥にある一種の土着性を思い出します。特定の、地理的に、そしていわゆる文化的に限定できる土着性ではないような土着性がそこにあるとおもいます。土着性って、今言ったような具体的に把握できるような日本文化っていうか、田舎の文化も含めての文化の産物とは限らないと思います。ノヴァリナもそうだと思いますがが、土方の文章では土着性っていうのは別の形で現れていて、声の流れの中にあるんじゃないかと思うんですね。例えば標準語に対する「声」の逸脱っていうのはそれは彼の土着性のひとつだも思うんですね。それがとても大事なんですね。そしてそれをいかに工夫して訳すべきか一番の問題だと思います。例えば『犬の静脈を嫉妬することから』を読むとどうですかね。一般に言われる土着性がそこにあるかわからないんですけれども、僕にとってそのひとつの例と見ています。この場合は、表現の意味、言葉の持っている意味と文節をそのまま訳すわけではなくて、フランス語で言うとD’envier les veines du chienにしてみて、なんかこう僕でも、どもらなければ言えないぐらいの表現になってしまうんですよ。決してフランス語では美しいとは思えない。美文ではない。そのような基準に対して断固として抵抗しようと、D’envier les veines du chien(笑)、そういうことで遊んでいるんですよ(笑)。例えばそういうようなことです。
それで森山さんの話には、シャルマッツの舞踊の歴史っていうのがあったんですね。それは舞踊の歴史をもう一度、確認するとか、それを語るとか描写することとかではないんですね。それは舞踊学者がやればいいわけですし、彼がアーティストとして言っているのは、違うことだと思うですね。ですから彼が多分、舞踏に対して、そこにある技術というのは彼はあくまでも敬遠している、それぐらいの距離をはっきりと取っているわけですね。それよりも、彼が関心を持っているのは土方の言葉の中に見える身体性をあるいは舞踏を彼の身体を通してその可能性を自分なりの方法で探っていくということだったんですね。
先程申し上げたように彼が10数年前からダンスの過去を問い直していて、最近では『ダンスの50年』という作品はあります。これはどういうことかというと、カニングハムの長いキャリアー、50年間のうちに作った作品を扱っているわけだけれども、どういう風にあつかっているかというと、カニングハムの初期から最近までの作品の写真、写真集、実は特定の写真集を使ったわけです。写真集ですから、当然静止画ですね。その写真集を元にして、写真を繋げてみた訳です。一枚の写真から次ぎのページの写真へ具体的にどんな方法で繋げたかわかりませんけれども、その静止画を繋げることによってカニンガムにはないが、カニンガムから発生した動きを作っていくと。それは各ダンサーが身体をかけて想像しなければならないわけですね。まあ、例えばこのような方法で、何ていうんですかね、不正確としか言えないメソッド。なんていうんですか、言葉が浮かんでこないんですが。とにかく学問的な過去のものの再現を試みることではなくて、全然そういうことではなく、そこから全くかけ離れている立場にいますよね。
森山
シャルマッツの、「風だるま」をしゃべりながら30分ぐらいずっと停まってるところがありましたよね、トラックの中で。
ドゥヴォス
うんうん
森山
あれがずっと続くっておっしゃっていましたよね。あれはどういう時間としてフランスの観客は体験するのでしょうか。
ドゥヴォス
どういう時間かって?もちろん帰る人も沢山いますけれどもね(笑) だけれども今日、本当にほんの一部しか見せていないんだけれども、映像よりも國吉さんとか、ご覧になった方のお話を伺った方がいいと思いますけれども。実は見せたのはクローズアップの部分だけであって、実はトラックは結構まわっている。この場面で彼女がトラックから出て最後のところしか見せていないんだけれども、トラックの下に潜り混んで、その下で台詞を言いながら這っていくわけですね。僕が見せたのが、例の「手ぼけ」のところだけですが、その前に「学校の長い廊下を歩く精子」の部分もありますし、ですから、結構、わりに変化に飛んでいるような場面もあると思うんですよね。
森山
フランス語としてもずっとそれを長い時間、聞き続けるっていうのは、どういう感じなんですか? 人によって違うと思いますけれども。
ドゥヴォス
私はこの言葉を自分で作ったりしたので(笑)
森山
ああ、確かにそれはそうですね。申し訳ございません(笑)。
國吉
今日の映像はパリ市立劇場の公演記録ですよね。あの舞台を私は客席から見ていました。最初、『風だるま』の、今日は風邪ひいてどうのこうので始まる、土方さんの講演の口調を、フランス語でジャンヌ・バリバールが淡々と語る。あの語りでは私の周辺のフランス人のオーディエンスの感じとしては、最初はものめずらしさで、「お!」っていう感じですね、幕開きに頭が爆発するシーンから始まってとんでもないバンが来て、トラックっておっしゃっていますが、私はバンっていっているんですが、あのバンがでてきて、あのジャンヌ・バリバールという有名な映画女優さんが出てきて、「あぁなんだか、何の話を始めるんだろう?」、それから非常に丁寧にテクストそのまま、おせんべいを湯気でふかしてから食べるのである、みたいなところまで、ちゃんと訳してあるわけなんですね。その通りに。それを笑ったりして聞いているんですね。それを終わってから観客に聞いてみたら、要するに後半は、アクションと語っている内容があまりにもかけ離れているってことで、もうちょと辟易していたって感じですね。パトリックさんは教養のある方だからフランス語が非常になんていうのかしら、知的なフランス語で訳してあったっていう意見もチラッと入ってきました。
ですから先程の言葉による標準語じゃない、方言という土方さんのこと。その点で土着という、さっきおっしゃっていましたけれども。それです。例えばフランス語の方言をそこで使っちゃうっていうとか、そういう話になっちゃうわけです。でもそうじゃなくてというところで、話を先程の土着性ってところに無理矢理戻すと、土方さんは、東北というものを緯度だとかそういう位置的なところで捕らえていないってはっきりおしゃっていて、「イギリスにも東北はあるのだ」っていう有名な言葉がありますよね。それはようするに「思考する闇」だとちゃんと言っています。それはどこにでも、誰にでもあるでしょうっていうことで、それぞれの東北って言葉で闇っていうことを意味しようと思っていたのではないかとおもいますけれども。
宇野
土着ということ、土着と言う問題を例えばフランスにはあるのかっていう問いにはパトリックは答えていないと思うんですけれども。
僕はここに大先輩もいらっしゃるんですけれども、フランス文学をやってきて長年ちょっと、いつも悩みの種でもあったわけですよね。日本語でフランス文学、フランス語を研究している意味っていいますか。これはもう古い問題でもあるんですけれども。例えば土着という言葉どう翻訳すればいいか。浮かんでくるのがアンラシーヌマンとかね、「根付くこと」です。でもこれシモーヌ・ヴェーユの本のタイトルです。根付くことっていってもフランスに根付くことなんかじゃ全然ないわけですよね。土着性ということを例えばドイツ語でなんていうか知りませんけれども、「本来性」という言葉をハイデガーは使うし、要するに特にドイツには、そういう有機的な国民感情が哲学の中に深く入り込んできた歴史がある。フランスの中に土着性ってことは、わりと見つけ難いように思うんですよね。しかし、日本の近代にとってはとても切実な問題であり続けました。
土方さんの土着の問題を考えると、國吉さんも言ったように、土方の中のある種、普遍主義なものがあって、普遍主義に対抗し、土着の身振りをしながら、なおも土着を退けていくという、こういう断絶の身振りを土方さんはずっと持続したって思っているんですよ。ですから、例えば詩における谷川雁と比べても、かなり違うタイプの土着問題を土方巽はやっぱり生きたと思う、これはとても重要なことではないかと思うんですよね。例えば今日の場合、そういう土着性の問題を、若い人、例えば三浦さんは演劇において、土着という言葉を思い浮かべることがありますか。稲田さんは土着という問題を、今、21世紀の日本で切実に考えますか。それともまったく過去の問題だと思いますか?
三浦
できるだけ土方から離れないようにお答えしたいと思うんですけれども。第一回目のシンポジウムの時に、僕は土方を見たことはないので知らないというようなことは口にしない態度で臨むって、発言をしたと思うんですけれども、その裏側には担保がやっぱりあって、偽者の担保ですけれども、僕の両親は秋田県出身なんです。土方的とあえて言いますけれども、土方的なる発声の仕方、あるいは言葉の選び方っていうものは、分かるというと嘘ですけれども、かなり知っています。珍しくないんですね。ぶっちゃけ。めずらしくない。本当にめずらしくない。それは僕にとって土着性だと思います。たまたまのね。今日、守章先生も自分は東京出身だから、ああいうのは自分にはないって、今さらながら言わなきゃいけない状況にあるのが、土着性という言葉の持っている普遍性っていうことだと。質問に対するお答えとしては、僕は逆に土着性しかない。
例えば松田正隆の初期の作品は、長崎弁で書くわけですね。わざわざ。わざわざ書くわけですよね。それはわざわざなんだよね。いや本人に聞けば、その方がすんなり書けるとか言うだろうけれど、あれは嘘で、あれは手法を選ぶというか、そういうことはあるし。演劇の場合は特に喋ることがメインですから、喋ることはやっぱり、大きいですよね。先程おっしゃっていたようにリズムだと思うんだよね。リズムとかその物言いというか、古い言葉でいうと語りとか、そういったことの流れっていうか、言語の流れっていう意味では。というふうにとらえていますけれどもね。土着ってこと自体は。それは何となくわかるんだよね。モーツァルト聞いていても、あぁなんかモーツァルトだなってわかるような。当たり前ですけれども、音楽ですから。でもあぁモーツァルトだなって感じとかってのは、僕は音とか謡というか歌というか。そういうもので捉えていることはあります。
一般的な意味での土着性、風土性というのは、もちろん希薄にはなっています。秋田県出身と言いましたけれども、僕はたまたま、個人的な話ですけれども、三年おきに転勤を繰り返していますんで、親の仕事の関係で。全くないんですね。定着、根付くということが。だから半分、あれは土方じゃないっていうけれども、僕もそういうふうに思うんですよ、シャルマッツの芝居、ダンスを見てもそう思うけれども、半分「だよね~」って思う。あのぐらいの白いなんかスマートなバン、トラックを出しておいたほうがいいっていう感じはあるんですよね。なんか機械的っていうか、メカっていうか、色々あるんでしょうけれども理由は。ああいうなんていうのかな、機械か、機械的なものと対峙して初めて色々見えてくるって。相対的な話になっちゃうんですけれども。そういうふうにとらえています。
稲田
すみません。まず私は、研究者としても観客としてもですね、今まで土方の研究会というのは、土着性とか日本回帰だとか、これが東北だとか、これが日本人の型であるとか、そういうことで語られすぎてきたように思っております。それに対して、本質主義者批判が出てきたのが1997年のウィリアム・マロッティという海外の学者からなんですね。日本から本質主義批判論は出てこなかったんです。何をやってもこれは東北だ、何をやってもこれ日本人の原型で農民の型だとか、そういう傾向にありましたので、私の戦略、態度としましては、そういう土着とか東北本質主義には傾かない。ではなくて、もう少し、プラクティカルにやっていこうっていうのがあるんですけれども。
しかしながら私は、宇野先生と同じ松江市の出身ですので、確かに田舎育ちではあります。でも、時代がずいぶん違うんですね。土方の頃とは。私にとっては松江っていうと、みんなすごい田舎だと思われると思うんですが、ピアノやってバレエやってっていう、非常にエセ西洋主義美学にどっぷり浸かってきたんですね。ですから私にとって土方の方が本当に異質。バレエやクラシック音楽を聴く方が自分にとっては自然なので、そういう意味で私の中では時代に区切られない、地域にも区切られない土着性とユニバーサルなものが共存していると思うんですね。その中でどういうふうに自分が配分していくかってことだと思っているんです。
私は土方の土着性っていうのはやはり戦略だと思うんですね。本にも書きましたし、論文にも書きましたけれども、あの当時の伝説を洗ってみると、非常に土方が誘導しているんですよね。土着性としての解釈を観客にしてもらおうということで。ですから、むしろ私はそれを土着性を否定するとかいうことではなくて、土着性とはなんぞやというのではなくて、幻想としての土着性をいかに土方が戦略として、いかにパフォーマンスの中で用いたかっていう方が非常に気になっているんです。
そこで、渡邊先生にお聞きしたいのは、土方の土着性が表れた時に、やはり衝撃であったということを、インタビューをさせていただいた方々がいろいろとおっしゃっているんですね。それは、本当にあの時代の人たちが、これは土着だと思っていたのか。ある種のこれは幻想だよね、造りものだよねと思った上で、なおかつ土着というものにシンパシーを感じている身振りをしたのか。その辺りの時代的なメンタリティというのをお聞かせ願えばと思います。
渡邊 石沢富子の話を持ち出したのは、まさに彼女が土方さんを見に行こうと言ったからなので、「あぁ土着性」だっていう風に思わされた。もっとも彼女はカトリックに改宗していたから、そういうバイヤスもかかった「土着性」なので、土方さんを最初に観た時も、「万国博覧会的土着性」だと思わなかった。つまりそういう安易な見世物としての土着性ではなくて、もっと深く考えられた、戦略のある土着性だと思いました。さっき言ったように、「美しいと思った」という言葉になる。それは土方さんの肌がどれくらい綺麗だかわからないけれども、肌も含めて美しいっていう印象を持っている。写真なんかからだけ想像するような、なにか薄汚いものが出てきたっていう感じはしなかった。今、括弧付きで言っている「土着性」っていうのは、あれは土方さんの演出なんだと言い切っちゃってもいいかもしれないという気もするけれど、ただしそれほど個人を知っているわけではないので
宇野
ちょっと一つだけ守章先生に。大野一雄は止まっていてもいい、だけれども土方巽は動いている方がいいというふうにおっしゃっていましたけれど。それはどういうことなんですか。 というのは、土着性の問題とは離れますけれども、緊張の糸がとかおっしゃっていましたけれども、その辺の違いはどうなんでしょう。
渡邊
それはもうやっぱり大野さんの方がバタ臭いじゃないですか。 簡単に言って。私も最近、ある時から映像でしかみていないから、映像の作り方が上手いでしょ? だから、ああいうものを大野一雄は土着的っていうのと全然違うじゃないかという気がしますね。それはやっぱり大野さんがヨーロッパやアメリカであれだけ売れちゃっていることのツケなのかもしれないという気もする。答えになっていないかもしれないけれども。
八角
時間も少なくなってきたので、ちょっと司会的に喋りますけれども、土着性という話に関しては、渡邊先生がかなり限定した意味でおっしゃったところからかなり広がってきて、少しずつ話がずれてきているので、ひとまず一般的なことを確認しておいた方がいいと思うんです。いわゆる「土着性の発見」ということ自体はきわめて近代的なことですよね。土着しかない時には誰も土着性というようなことは言わないわけで、つまり一方に都市的なものが出現して初めて土着性が問題になる。歴史の拘束を離脱して「普遍」に至ろうとするのが「近代」だとすると、土着性はつねにそのプログラムに随伴して「発見」されるわけです。それは個人レベルでいえば、秋田に住んでいて秋田しか知らなければそれを土着性として意識しないだろうということでもあるし、さっきの話でいうと無意識であったものが意識化されるということでもある。ですから当然、土方にとっての土着性というのは戦略的なものだったと言っていいと思います。
それで、その意味での土着性よりも、さっきちょっと話題になりかけたことのほうに話を戻したいんです。これも一般的なレベルから整理すると、身体的なパフォーマンスに言葉が介入していく時に、言葉によって不透明な身体が透明化されるのだというのが前提の議論になると、ちょっと違うだろうという気がしています。つまり、不透明な身体に言葉というものが入ってくる場合に、これは舞踏譜の問題でもありますけど、言葉にはまた別の不透明さというのがあるわけですよね。その関係が、土方が動きを創り出していく過程でどういうものだったのか。そこのところが「土着性」という話にもちょっと絡んでくる問題だと思うんですね。方言だろうと標準語だろうと、言葉の本質的な不透明さというのはあるわけで、森山さんがパトリックさんに問いかけたような、フランス語だと一体あれはどう響いているんだということにもつながるでしょうし、それから宇野さんがおっしゃりかけた絵画の問題、美術作品と舞踏との間の隙間ということでも、ベーコンならまだちょっと具象的だけれども、それがヴォルスやミショーになったらどうなるのか。つまりそこでは絵画に描かれている格好を真似するというだけではなく、もっと不透明なものがそこに介在してくるということだと思うんです。そのあたりのことをどなたかちょっと問題にしていただけませんか。
田中
さきほど三浦さんがベーコンの角の話と犬のプールの前の犬の話、あれはそういうベーコンの絵があってそれを見立てて、そういう動きをしているわけですね。ですからいきなり出てくるわけではありません。舞踏譜について認識が変わっていないというか、確認されていない面があるんじゃないかと僕は思うんですけれども。確かに言葉で振付けられて、ああした身体の動きをすると同時に、一方ではおそらく舞台の表現には、土方の踊りが振付けられる背後にかなり膨大な物語があるっていうふうに考えているわけです。その内容は『土方巽全集』の最後に載っているはずなんですけれども、例えば『疱瘡譚』でも、いわゆるバイレロの曲で仰向けになって寝て、延々と踊るシーンがありますけれども、あそこも背景に膨大な物語があると考えています。『フラマン』って踊りがありますけれども、『フラマン』っていうのはどこから来ているのか、絵からきているのか、いわゆる寝たきりの、もう病気で長い間寝たきりの人が、立てないんですね。立てないけど死ぬ間際に一度でいいから立ちたい、それで必死に立とうとするわけです。立てないけど立ちたいそういう物語があるわけですね。おそらくそういう物語を自分で作って、それを自分で言葉にして振付けている。ですから物語と舞踏譜による言葉の振り付けという、二重に振り付ける土台があると考えています。『フラマン』ってこれは絵ですかね。
國吉
ブレダン(注10)の『フラマン家の内部』という絵です。
田中
あぁそうですか。『フラマン家の内部』っていう絵があるわけですね。芦川さんが何かに書いていましたけれど、踊りをする際の三つの要素に、「踊り」と「物語」といわゆる「絵」があるって言っています。踊りを踊る場合には物語を背景に、いわば物語を背負って踊るんですけれども、踊られたその内容にはその物語は全て消えてしまっているはずだ、という言い方をしています。ですから、物語によって踊りの中で働いている神経というのがアレンジメントという言い方をしますが、そのそういうものをちょっと考えないと、言葉と身体が即という関係を考えてみても、舞踏譜というものを考えるきっかけにはなるでしょうけれど、実際の舞台で踊りが何をやっているのかと考えた場合に、もうひとつ、そういう物語の要素っていうのを考えに入れないとわからないんじゃないかなっていう気がします。そういうものが、踊りの緊張感なり美しいさ、スッと絹糸のように通った、そういうものをおそらく支えているんじゃないかと思うわけです。
國吉
今の物語でちょっと思い出したのですが、『四季のための二十七晩』の『疱瘡譚』で、津軽三味線の音などが入りますが、義太夫三味線の語りでは「菅原伝授手習鑑」や「葛の葉」といった、とても有名で、泣かせどころのある超大な物語、しかも日本人の中で誰がきいてもわかる物語が語りこまれていたということです。このあたりのことはあまり問題にされてこなかったように思います。物語ということでいえば、これはもうベッタリの物語を使って、作品を作っている。しかも土方さん自身は、自分は物語がとても不得手だっていうことを色んな人にもらしていたということがありますね。
田中
その物語についてなんですけれども、土方の資料とか読んでみると、その物語には時間も何もないわけですね。つまり、ある種の幻想ですけれども、夢のように色んなものが現れては消えていくっていうような物語です。そこから土着の問題に関係しますけれど、いわゆる土着ってのは、歴史性に対立するものではないかなと思うんですね。極端に言えば時間の概念がないわけです。まったく発展しない東北とか、歴史を欠落している、そういうものとして、先程から戦略的って話が出ていますけれど、土方は戦略的にやっていると思いますね。確実に。いわゆる『四季のための二十七晩』から『静かな家』で持ち上げられて、その「周回遅れのランナー」って自分を形容しているわけですね、土方は。「周回遅れのランナーだから先頭に見えるんだ」っていうような仕方で、自分の戦略をその客観的に見たりしています。そういう方法があったんじゃないかなと思いますね。
ちょっと渡邊先生にお聞きしたいんですけれども、今日も『疱瘡譚』の踊りが出ましたけれども、髷(日本髪の)が出てきますよね、大きな髷。あれに色気を感じるものなのですか?(笑) 
渡邊
色気を感じるもんですかっていわれても困るので。ただし、何ていうのかな、一種の呪物として機能しているんだろうと感じはわかりますよ。
田中
土方はあの―
渡邊
歌舞伎の花魁の場合ようなものではないですからね。そういう大きさじゃないでしょ。
田中
そうですね。なんであんな大きいんかなと思うし、普通、島田とかいわゆる銀杏でもないし、いわゆる大髷っていうのでいいんですかね。で、土方はやっぱりそういう髷をよく使っていますよね
渡邊
ええ
田中
芦川さんにも髷を結わせています。最終的には後期の表現では髷を舞台で取って振り回したりですね、その髷をつるしたりですね。その髷にそうとうこだわっているんですね。髷にこだわる世代っていうのは、もう僕らの世代にはいませんし、僕の祖母も髷結っていたらしいけれども、むろん覚えがないですね。髷っていう一つの型ですね。それにその何か特殊なそういう、何かを感じていたっていうのがあるのかなって思ってちょっと伺ったんですけれども。型っていうのは、何かを匂わせるものなんですかね。
渡邊
それは私は私なりになんとなく母性的なものを意味しているのかなと思って見ていました。
田中
あれは多分、姉っていうイメージにも。死者であり、姉でありそれから、いわゆる半裸の踊りですから、一つの女体。女性性っていう。
渡邊
ええ
田中
そういう色んなものをこうあって、全てが髷に集約されているような気がするんですけれども。
渡邊
それはそういう感じはしますね。見ていてもね。あれが誰の髷とかね、そういう問題ではなくて、女性性を、象徴って言葉は嫌いなんだけれども、「意味して」いたことは確かなんじゃないでしょうかね。
田中
特別に色気ってことではないのですね。
渡邊
それは(笑)色気を感じる人もいるかもしれませんけれども、私はそれほどに色気は感じなかったんだけれど。
山田
すみません。そろそろ時間もせまってきているんですけれども、何かまだご発言なさりたい方いらっしゃいますか。
森下
これは広告みたいなものですけれども。以前、私どもアーカイブ、アーカイブというよりも大学の授業なんですけれども。プロの俳優さんに入っていただいて、土方の『病める舞姫』を秋田弁で朗読しようと、企画というかプロジェクトをすすめているんですね。その元になったのがやっぱりボリス・シャルマッツで、何で外国人があれだけ土方の文章にこだわってやってくれているんだろうと。こっちももう一回、土方の文章にこだわりたいなと思って考えていたら、ちょうど私の知っている人ですけれども、太宰の津軽弁といいません、津軽語でやっている人が出てきて、これはやっぱりやらなくてはいけないと思って、試みとして秋田弁で読んでみようと思って。今、俳優さんにも入ってもらっています。先日は東京都の秋田県事務所の人にも来てもらっていろいろ教えてもらったりしていますけれども。
そこで出てくるものは何かっていうこと、ちょっと考えたいんですね。本当の朗読の専門家にいわせると、テキストの内容を知って、作者の心に触れて初めて朗読するんだっていう。我々はそんなことはできないので、この過程、プロセスを通して何とか土方の心に触れる、テキストの本質的な部分を触れることができればなと思って、今、試みているんですけれども。
先程も言いましたように『病める舞姫』というのは、歴史性もない場所性もないっていうような、あるいは秋田の秋田市、現在の秋田市の、かつての旭村のどっかの風景ですけれども、そういった場所を土方は一切排除している。1920年代か30年代でしょうけれども、それも排除しているというところで、時間性も場所性もないところで土方が『病める舞姫』を書いている。これはもちろん全て舞踏譜なんですね。先程、物語ということが出ましたけれども、あの中に全て物語りが入って、それが背景となって土方の舞踏譜なんですよね。例えば湯気っていうのが何度も出てきますけれども、その湯気の踊りを土方はやっぱり作っている。『病める舞姫』を私も口述筆記を何回もさせてもらいましたけれども、土方自身は秋田のなまりはありますけれども、秋田弁でしゃべっているわけではなかったんですけれども、もう一回できる範囲のところを秋田の言葉に移してやってみると何か見えるものがあるかもしれないなと思って。それがひとつと、もちろんその語るっていうこと、朗読するということ、これはそういう意味では東北的なことですし、それから義太夫もですね、これは太宰も義太夫をやっていますけれども、土方もお父さんが義太夫をやっているようなことも含めて、「語る」ということをもう一回、取り組んでみたいと思って、あえて秋田弁で『病める舞姫』を朗読しようと。で、学生たちと何とか舞台の上へ上げてみたと、そういう風に考えています。
山田
いつごろを目途に、ですか。
森下
もう始まっておりますので3月に。これは実はお金が付いているんで3月に発表しなくてはいけない(笑)
その先はプロの俳優さんたちが、ぜひこれをレパートリーに加えていただいて、あちこちで土方を語っていただきたいなとそういう風にしたいなと。
山田
はい。ありがとうございました。今日はとても多様な発言をいただいた気がします。土方さんが残された言葉で、正確ではないですが、とっても記憶にある言葉「赤ん坊はいろんな人にいじくられて大きくなる」、あの言葉がすごく記憶に残っているんですけれども、何か今、土方さんが赤ん坊になった気がして、やっぱりいろんな形で土方さんをいじくりまわしていくというか、何か触っていくというか、いい時間に思えました。

注)

  1. 肉体の叛乱 土方巽舞踏公演「土方巽と日本人 肉体の叛乱」/1968年上演(日本青年館)
  2. 疱瘡譚 燔犠大踏鑑第二次暗黒舞踏派 結束記念公演 四季のための二十七晩で「疱瘡譚」「ギバサ」などを演出・振付/1972年上演(新宿アート・ビレッジ)
  3. フォーサイス ウィリアム・フォーサイス(1949~)。アメリカの主要バレエダンサーの一人。バレエ振付家。
  4. ベーコン フランシス・ベーコン(1909~1992)。アイルランド出身。20世紀を代表する画家。
  5. 『病める舞姫』 白水社/1983年(1976年4月~12月に連載)
  6. 『風だるま』 現代史手帖 特集「舞踏・身体・言語」(舞踏懺悔録集成公演前夜祭講演記録)/1975年
  7. 『犬の静脈に嫉妬することから』 鶴岡善久編 湯川書房/1976年
  8. ベルメール ハンス・ベルメール(1902~1975)。ポーランドのカトヴィツェ(ドイツ帝国領当時)出身。画家、グラフィックデザイナー、写真家、人形作家。
  9. 『1000年刻みの日時計 牧野村物語』 監督:小川紳介/1986年
  10. ロドルフ・ブレダン (1822-1885) 19世紀フランスの版画家。