京都造形芸術大学 舞台芸術研究センター主催
研究会 ダンス 研究と実験VOL.2 2009
土方巽~言葉と身体をめぐって

京都芸術劇場 春秋座 studio21

研究会の記録

稲田奈緒美『踊る文体を読む~土方巽の技法と言葉』

山田
こんにちは、昨日にひき続きご来場いただきましてみなさんありがとうございます。今日は、映像を観ていただいた後に、三人の方に土方巽をめぐってお話ししていただく事になっています。
今日の組み合わせは、若手というか、そう若くもないかもしれないですけれども、土方さんの舞台を全く観ていない世代です。ここにお座りになっている稲田奈緒美さんは『土方巽 絶後の身体』という本をお書きになったんですけれども、全く作品はご覧になってないんですよね。けれど、土方さんの仕事に関心を持たれて、当時、共に仕事をしていた方々、土方さんの周りにいた方々に、ものすごい量のインタビューを重ねられて、それで本を創られました。それから、その後に、この企画メンバーで演劇批評の森山直人さんにお話いただきます。森山さんも全く土方さんを知らない世代と言うことですけれども。それから最後に京都の劇団「地点」の演出家でいらっしゃる三浦基さん。もちろん三浦さんもご覧になってないですし、多分、土方さんを知ったのも最近でらっしゃるんじゃないかと思いますけれども、今日、映像を見ていただいた後に感想もおありでしょうし、いろいろお話いただきたいと思います。 そのように、土方巽の現実の舞台を全くご覧になってないので、三人の方には、土方巽が残した不可思議な書物が何冊かありますけども、そこからもそれぞれの視点でお話いただきたいと思います。じゃあ、稲田さんお願いします。

ありがとうございます。ご紹介に預かりました、稲田奈緒美と申します。よろしくお願いいたします。今日は30分という予定なので、今までやってきたことをかいつまんでお話することになると思います。

タイトルはですね、『踊る文体を読む~土方巽の技法と言葉』っていうことで、まず「踊る文体を読む」って何だ? ってお考えになると思います。踊る文体を読むっていうのは、何を表しているかというと、舞踊作品の中で様式とかスタイルとかいろいろ言われますけども、それを私は文体として捉えています。それを読むということは、表象される様式や、様式としての型や動き、その具体的な一個一個のものを意味解釈をするのではなくて、文体として捉え、形や動きを体で具現化するために、体の内部でどのような技術を用いているのか、体の内部をどのように操作しているのか、そういうことを読むためです。もう一つ、この踊る文体を読むっていうのは、二つ意味をかけてあるんですけれども、文章そのもの、文体は踊っているか? ということです。これについても文章の個々の言葉の意味がどういう象徴であるとか、どういう比喩であるとか、そういう意味を解釈するのではなくて、文体を考察する、このような二つの意味をかけているタイトルです。

じゃぁ具体的に何をお話していくかといいますと、その踊りの文体と文章の文体は、照応しているのか、どういう風な関係にあるのかっていうのを、ざっくりとなんですけれども、お話ししたいと思います。全部取り上げるわけにはいきませんので、1960年代の初期の作品であります63年の『あんま』、65年の『バラ色ダンス』、に見られる踊りの文体と、60年に土方が書いた、「中の素材/素材」という文章と、61年に書いた「刑務所へ」という文、文章の文体の書を考えます。次に1970年代の二つの文体を考えたいと思うんですが、踊りについては『疱瘡譚』、1972年の『四季のための二十七晩』の中の一つにあたりますが、『疱瘡譚』を取り上げます。文章のほうもですね、いろいろとあるんですけれども、70年代後半になりますが、『病める舞姫』を考えたいと思います。

このように1960年代と70年代で分けたというのは、私の土方研究のスタートなんですけれども、初めて映像としての土方さんのその踊りと作品を見たときの、こう何て言うんですか、質感というのか、テクスチャーというか、そういう物と60年代の文章の肌感覚として伝わってくるものが、私にとってはイコール、パラレルだったんですね。対して70年代の方も、70年代の映像を見た時になんだか伝わってくるテクスチャーのようなものと、『病める舞姫』の文章を読んだときの、そのテクスチャーのようなものがわりと似ていたんです。で、これは一体なんだろうと言う風に考えたのが、ファーストインプレッションだったんですが、舞踏研究をすることになったきっかけになります。ひとつですね、土方論はいろいろと語られているんですが、なかなか時代ごとに、具体的に見ていくということが難しいと思うんですね。ですから土方論として言ってしまうと、どうしても、どの時代に何が起こったのかっていうのが、わりと割愛されるものですから、ここでは60年と70年の変遷を具体的にみるために、60年と70年代を照応させています。

それとさらに、先ほども説明しましたけれども、踊る文体を作る時の身体内部の操作技術を考えるということ、さらにその身体内部の操作に働きかける言葉を考えるということ、言葉によって与えられる身体イメージと操作を考えるということなんですが、この4つを柱にしていきたいと思います。今日は、時間が短いものですから、もしご関心をお持ち頂けましたら、今までに、これは舞踏に関する論文だけなんですが、書いたものが早稲田大学のHPからPDFでダウンロードできるように公開されておりますので、検索をして頂ければあたると思います。学会発表したものは簡単なペーパーにしかなってないんですけれども、それぞれの学会の紀要などに掲載されています。それから、先ほど山田せつ子さんがご紹介くださいました、私の拙著、小著ですけれども、これにはかなり、長々と、そしてなおかつこれはアカデミックな論文ではありませんので、一般の方も読みやすいように読みものとして書いてありますので、もしご関心がありましたら読んでいただければと思います。

ではさっそくですけれども、1960年代の舞踏作品の特徴ですが、先ほど『バラ色ダンス』と『あんま』を映像でご覧になったと思います。本当にいろんなところがあるので、これだけが特徴ではないんですね。ただ対比をするために、あるところを取り上げるということですので、作品全体がこの傾向にあるという風にはお考えにならないでいただきたいんです。

まず、どういう作品だったかっていうのは、ご覧になった通りなんですけれども、この時代のものは既存のバレエやモダンダンス、これがその当時の日本の舞踊界、洋舞界の主流を占めていたものなんですが、そこで使われていた技術であるとか規範、再現表象(リプレゼンテーション)、劇場での上演制度、様々な決まり事などを否定するという特徴があります。そのために何を用いたかといったら、その既存のダンスとは異なる、その様式とは異なる、非様式的な動き、日常の動き、即興などを用いています。これは動きに関してです。そして、従来の作品ですとある振り付けがあったらそれを補完するように、美術、音楽、衣裳が働き、それでひとつの作品世界なり、物語なりを作りあげていくんですけれども、そういうふうに補完的に作用することをさせないという使い方をしています。それで、作品の一貫性というのは、先ほどのように従来のものですと物語があるなり、なんらかの感情表現をするということで、全体として何を表すかがクリアなんですけれども、そのような作品の一貫性、全体性を否定するような手法をとっているということです。

では、具体的にどういうものかというと、動きと身体は反社会的、反道徳的、祭儀的な意味を表象したわけですね。で、この反社会的、反道徳的というのは、やはり時代に左右されるものです。この時代に反社会的、反道徳的とみなされたものを表象している。従来の作品を、舞踊作品を成立させる枠組みとしての、さっきもいった通りに一貫性、全体性と、さらに美的価値、規範に反抗しているということです。

それは、もともとの発想なりアイディアはどこからきていたかというと、西洋異端文学、西洋異端の美術、そういう文学や美術の潮流から発想をえたり、引用があったり借用があったり、ということをしています。じゃぁその結果としてどういう、先ほどいいました質感、というかテクスチャーがあるかと言うと、まぁこれは私の解釈なのですが、暴力的であるとか硬質、性倒錯、エロティック、グロテスク、なにか破壊するようなエネルギー、疾走感、そういうものが質感としてあるわけです。写真をさきほどご覧になったと思いますが、『あんま』はこういう感じでしたよね。非常にスピード感があって、なにかを破壊していくような勢いがあったと思います。『バラ色ダンス』に関しましては、もっと多様な意味を含んでいるんですけれども、やはり、動きが非常に荒々しかったりエロティックであったり、グロテスクであったり、というものだったと思います。で、(パワーポイントの映像の)下に載せたのは、会場全体なんですけれども、美術や衣裳などが作品の何かを補完するために作用しているのではないと思います。

ちょっと、ここで(パワーポイントの)一番下の所をご覧ください。このような既存のダンス様式に反して、技術や規範や再現表象性に反してダンスを提示するというのは、実は同時代のアメリカでも行われていたことです。ポスト・モダンダンスと呼ばれるものですが、彼らは手法として何をしたかといったら、土方のように反社会的、反道徳的な意味を過剰に表象するのではなくて、むしろその動きと身体から意味をどんどんどんどん捨象していったんですね。これは美術のモダニズムにあたりますけれども、舞踊の媒体であるところの身体の動きというものの純粋化、自立化というのを目指して行って、作品を平坦化していきました。ですから、そのもともとの発想というのは、似通ったのもありますけども、アメリカのポスト・モダンダンスにおいては非常にニュートラルでプレーンな感じ、感覚、質感っていうものを受けるのに対して、60年代の土方の作品というのは、上記のような特徴があるのではないかと思います。では、このような特徴を覚えていただいた後で、文章の方を見ていきたいと思います。

これは、1960年に行われました公演(注・1960年7月 於・第一生命ホール『土方巽DANCE EXPERIENCEの会』)のパンフレットに土方が書いたものです。ちょっと長いので、全部書けなかったので、特徴だけかいつまんだものですけれども、前半の「中の素材」は土方が自らの経歴を反社会的、反道徳的、文学的に脚色しながら綴り、新しい美を掲げるマニフェストの役割をはたしていると思います。でも、具体的な言葉としては、「肛門芸術」とか「インポテンツ小論」とか「殺しの方法」、「強姦」などホモセェクシャルや暴力、犯罪を連想させる挑発的な語句を並べてインパクトを与えつつ、意外な言葉の組み合わせや飛躍を用いて異化効果をねらっていると思います。自分の舞踊のことを「体験舞踊」「イミテーション芸術」「背面ダンス」「テロダンス」「バラ色ダンス」「暗黒舞踊」「滑稽ダンス」など様々に形容して、「見せる舞踊は全面的に廃止せねばならない」と、既存のダンスとの対峙を鮮明にする、マニフェストのような役割をしています。後半の部分は「素材」と題されているんですけれども、この公演にあたる素材として、ダンスの素人である「都内某校の五人の少年」を選び、「知性」、「芸術教養」、「概念」を否定して「直感」、「現象」を重視する創作方法をとったと記しています。それによって、素人少年の「原初体験の危機を伝統した肉体」によるダンスを観客がみるのではなく、体験、「エクスペリエンス」できる作品を作ったって、そのようなことが書いてある文章なんすね。

そのすぐ後なんですけども、これ(注・「暗黒舞踊」(1960.10 於・第一生命ホール『650EXPERIENCEの会〈第2回6人のアヴァンギャルド〉』パンフレットに掲載された文章をパワーポイントで投影)なんか短い文書なのでさっと読んでいただけると分かると思うんですが、土方の先ほどのような様々なアンチの意味を過剰にになわせた言葉を挑発的に並べつつ、なおかつあまり論理的にならずに飛躍させて文書自体を生かしていることが、ざっとなんですけど、この字面からみて分かると思います。それでいまの2つの文書の特徴をあげるとしたら、既存のモダンダンスやバレエに反抗する様々な特徴をあげているということ。既存のダンスの美学や技術を否定するために素人を起用した、観客がみるのではなくて体験を重視したダンスであるってことが、まず述べられている訳ですよね。じゃぁ、これはなにかというと、反復になってしまいますけれども、このようなスキャンダラスな語彙の多用によって、反道徳的、破壊的な意味というものを強調したんですね。ですから従来の作品において、例えばバレエだったら何かの物語の意味を表象するとか何かの感情、情感を表象するとかいうことは、この時代土方は行っていないんですけれども、むしろ反道徳的とか、反社会的とか、そのような意味はになわせて、強調していたのではないかと思います。だからといって、これが直接なんとかですよって意味を表象したわけではないんですけどもね。時折、意味の飛躍とか詩的な表現がみられるのですが、ほぼ論理的に文章が連なっていると言えると思います。これはどういうことかというと、ダンスにおいては、従来のダンスのアンチテーゼとして、反ダンスとしての舞踊を作っていたのですけれども、それを文章にも書いています。それは結局、二項対立図式の中に納まっている、ということがいえると思います。当時のダンス界では、作品も文章も非常に衝撃的な力をもっていたと思うんですが、先ほどの「暗黒舞踊」の文章にみられるようにその意味の理解はやや表層的で、こういう強烈な言葉だったら、それが強烈なスキャンダル、強烈なインパクトになるだろうという風な理解の仕方ではなかったかと思います。

これが、1年後、いや、1年も経ってないですね。61年の1月に書かれた「刑務所へ」では、、、、読んでると時間がないので、ざーっと字面だけご覧頂いて、その特徴を述べたいと思います。この「刑務所へ」の特徴はですね、僕という主語を多用しているんですね。その僕っていうものの社会性の意義を主張するために、先ほどの60年の文章より、さらに理路整然とした文体になっていると思います。もちろん、いろいろな飛躍や韜晦さがありますけれども、この文章の先ほどのものとの違いは、民主主義への懐疑を示して、この当時社会的な最大の関心事でありました、安保反対という個々の現象への反対ではなくて、資本主義社会、生産性社会、社会総体のシステム、つまりは人々の思考と社会の価値を決定している生産性と道徳に対するアンチテーゼを掲げている訳です。この時代の芸術作品、まぁモダンダンスもそうだったんですけれども、安保反対とかいうとほんとに安保反対を表現するような作品を作る傾向があったんですね。だけど、土方さんがやったのは、安保反対ということを直接的に表現するのではなくて、そのようなことを至らしめている社会の総体的なシステムに対してアンチテーゼを掲げますよ、ということをこの文章では述べるようになっています。このような内容に呼応しまして、それまでの文章にあった、「暗黒舞踊」にもありました、かなりの毒とか攻撃性とか詩的な飛躍、身体性っていうのは、若干少なくなっているんですね。そういう言葉使いやオノマトペが減少していて、ちょっと皮肉をこめて言えば当時のナイーブな文学青年風、共産主義学生風のような文章ともとれると思います。文章のなかで引用をしているのが、そういう西洋の思想家、文学者、哲学者たちな訳ですね。

じゃぁ、なぜこういう風にいたったかというと、私の考えるところですけれども、恐らくこの時代交流を深めて行った澁澤龍彦と三島由紀夫からの影響が大きいということです。具体的にいいますと、この時期、サド裁判が続いているんですね。60年4月に発禁処分をうけました、澁澤の翻訳、『悪徳の栄え』が7ヶ月後に、最初は卑猥だとか猥褻だとかいわれていたんですけれども、7ヶ月後に東京地検は『悪徳の栄え』がただの猥褻な文章であるということではなくて、猥褻であることが反社会性をおびた危険文章であるというふうに起訴しているわけです。それに対して、このような裁判が続くなかで、澁澤をサポートする三島、その他の人達が様々な言説を発していくわけですけれども、そのなかで土方がやはり影響をうけて、自分の思想を表層的なアンチテーゼとして何かをぶつけるというのではなくて、それの基盤となっている、前提にある社会のシステムとして、社会へのアンチテーゼをあげるようになったのではないかと思っています。先ほどの文章にあった作品は『聖公爵』という舞踊作品ですけど、先ほどもお見せしたように、通俗的なサドとサディズムの表現に留まっていました。ところが、この「刑務所へ」では文の対象を、そういう固有名詞のなにかということよりも、もっと俯瞰して犯罪者にかえて、性表現の猥褻さではなくて反社会性ということをアピールしている、と言えると思います。

じゃぁ、このように、雑駁ですけれども、60年代の文章と踊りの文体を比較してみたときに、それが照合していると言えるでしょうか。共通の質としてあげられるのは、個々の言葉や動きに対して意味の強さというものがある。反社会的、反道徳的、祭儀的、暴力的、破壊的であるような意味を強烈に担わせているということ。それで、その言葉や動きを連ねるつなぎ方なんですけれども、それにはやはり飛躍があったり疾走感があったりエネルギーがあるということが言えるのではないかと思います。しかし、それと同時に、やはり一貫性、全体性が文章のほうにはあるんですね。文章をめちゃくちゃに壊したいんじゃなくて、反文章ではないんですね。文章のほうは、独自の文体ではありますけれども、やはり既存の文章の枠組、僕という主語がいて、僕はこういう考えがある、こういうことがあるっていうことを述べている文章な訳ですね。舞踊作品の方は、むしろ、一貫性、全体性でみた場合には、それを壊そう、壊そうとしている傾向があると思いますので、文章のほうは一貫性、全体性があるなかで様々なアンチが行われている。舞踊作品においては、舞踊作品全体としても一貫性、全体性を破壊していこうという傾向がみえるのではないかと思います。

そこで、表れている身体というのは何かと言ったら、既存の舞踊によって規律化された身体による、美意識や様式性を否定しているんだと思いますね。だからバレエ、モダンダンスによってトレーニングされたことによって生み出される身体を否定するために、日常的な動きとか身ぶりとか、暴力的、エロティック、グロテスクなものを用いているわけです。ということは60年代初期の作品においては、舞踊の身体性はある程度、壊すことがかなっているんですけれども、日常的に規律化された、私たちが日常的に立ったり、坐ったり、歩いたり、普通に過ごしているときに、そのために規律化された身体というのは変わっていないのではないか、というふうに私は考えています。日常によって規律化された身体とはどういうことかというと、先ほど言いました、立ったり、坐ったりということで、立つことが一番の基本になるかと思います。二足歩行で重力を垂直に受け止めて動くということなんですが、その状態で何らかの目的を遂行するために効率的、合理的に身体の各部の動きと感覚を統合して、身体として、一つのホールボディーとして何かをやる。各部がバラバラじゃなくて、各部が全部統合して何かの為に動く、奉仕する、というような全体性を保っている身体、そのように行動できるように規律化された身体であると思っています。ということで60年代初期の二つの作品から言える特徴の一つとして、舞踊作品としての全体性や一貫性は解体したけれども、身体内部のシステムのレベルは解体されていなかったのではないか、というふうに考えています。

その後も、ほんとにもっと細かく言うといろいろあるんですけれど、雑駁に言いまして、1970年代初期の『四季のための二十七晩』を取り上げたいと思います。昨日、映像をご覧になったかたはお分かりになっているとおもいますが、二つの特徴があげられます。ちょっと映像が悪いんですけれども(注・パワーポイントの写真)、弟子に振り付けたパートというのは、非常にコード化されたもので、明確な、言わば型がみられるものです。ほんとにあきらかに群舞、しかもユニゾンというのが、これは写真の撮り方も恣意的かもしれませんけれども、非常にクリアなんですね。形がはっきりしていて、それをたとえばユニゾンで動くとか、そのような特徴があげられます。ところが、土方さんのソロは、その特徴とはまったく逆のものなんですね。体の明確な輪郭があって、各部がフォルムを作るとか動くために一緒に動いて行くのではなくて、ほんとうにこう崩れていくということなんですね。じゃぁ、それはなにかというということを考えて行きたいと思います。

さっき言いましたように、弟子らのシーンは動きのコード化を行って、コードを用いた振り付けをしています。これは何日間か上演期間がありまして、その間同じように反復されたんですね。ということは、この弟子によるシーンというのは、60年代に土方がアンチを掲げていた既存の舞踊のスタイルなんですね。この明確な動き、しかも非常にコード化されたものがあって、それを振り移しして、弟子が覚えて、群舞という空間をきちっと使うものがあって、予め決められた群舞を行い、それを反復していくっていう。これは、ですから、むしろ70年代の作品においては、舞踊作品の枠組みの中に戻って来た、というふうに言えるのではないかと思います。それに対して土方さんのソロシーンというのは、その体の部分をみて行きますと、弟子に与えたコードによる振り付けとは全くの別ものなんですね。身体の各部がバラバラに動くんですね。私、全然真似できませんけれども、例えばボールを投げるとしますよね。こうボールを投げようとすると、普通の人だったら、腕だけこう動かさないわけですよね。腕をふると同時に重心を移動して、いろんなパートを統合させていくんですけれども、土方ソロはそうじゃないんですね。腕だけ動いて、こっちは足だけ動いて、それはあたかもすべてのパートが別々の生き物であるかのようにバラバラに動いている。それもかつてのような暴力的にシュッシュっと何かを破壊していくような動きではなくて、本当に震えるかのような動きなんですね。どうやって日本語で言ったら良いか分からないんですけれども、結局は動きをフラグメントに、バラバラにフラグメント化していくことと、体のそれぞれのパーツを統合させるのではなくてアイソレートして使っている。フラグメンテーションとアイソレーテーション、そのような特徴があげられるのではないかと思います。これはですね、従来の舞踏の研究や考察においては意味性がおおきく付与されてきたんですけれども、それとは異なる捉え方をして、私なりに新しい、舞踏の、舞踊の見方というのをあげたと思っています。先ほどと重複しますけれども、作品の全体性はどうかと言いますと、さっきの弟子による群舞のシーンと土方さんのソロシーン、デュオのシーンなど特徴は異なりますが、作品全体としてはシーンがちゃんとトントントントンとつながれているんですね。

次は美術、音楽、衣裳についてですが、60年代は様々なアーティストに依頼して共存するようかのように、補完しないように働いていたのですが、この時期は土方さんがディレクションをとっています。こういうふうにしようということでディレクションをして、一つの世界を補完していくかのような、美術、音楽、衣裳の使い方をしています。じゃぁ、それを総合してどういうことが言えるかというと、結果として、既存の舞踊の、アンチを掲げていた舞踊作品の枠組みにおさまったとおもうんです。むしろ、作品としての全体性がこの時代の作品にはあるのではないかと思います。60年代に壊した、解体した、破壊してきた作品の全体性、一貫性に戻りながら、作品の内部では、身体のほうを解体して行ったのではないかと思うのです。

ただ、安易に“解体”という言葉を使ったんですけども、“解体”とか“消滅”とか、私も使ってしまうんですが、私たちの身体、舞踊の身体っていうのは、実際には解体できないものです。消滅もできないものです。じゃあ、そこでなにをするかといったら、暴力的な行為、暴力的な動きをして転げ回ったり叫んだりしてそれで解体できるか、そういうことではないですよね。立ち上がって、シュクッとなってそれで消滅したか、それではないですよね。そういうことを60年代の土方は、さんざんやってきたんだと思うんです。それをやったあげくに、じゃぁ解体しようにも解体できない身体、それをどのように解体していくかというときに、従来の身体のシステム、身体を統合している、このシステムを解体しようとしたのではないかなと、私は考えているんです。ですから70年代は、作品としては舞踊のなかに戻りながら、身体の各部を統合して行くシステムというのを解体していったのではないかと思います。この身体のシステムというのは、もはや60年代に舞踊の身体としての技術などを排除した、その層の下にあった、日常の身体を規律化するものであり、そのようなシステムを解体することを目指したのではなかったかと思います。

次に、文章ですけれども、多分最後まで言えないだろうなと思っていたので、『病める舞姫』については、この後で発表される方達にまわしていきたいと思います。結局、先ほども言いましたように、この身体というのは解体できない物なんですね。そこで、何をするかといったら、いろんなテクニックによって、先ほどのように統合する身体ではなくて、バラバラにフラグメント化された、アイソレーションした動きをするってことができるかと思います。ただ舞踊の辛いところは、素晴らしいところはっていうか、結局、舞踊の身体というのは、異なるシステムの中におかれているわけですね。それがバレエであろうとモダンダンスであろうと、日本舞踊であっても同じだと思うんです。日常の身体とは異なるバレエのメソッド、システムによって体を作り替えるわけですね。最初は、それは非常に辛いものだし、相反するものなんですけれど、やはり身体というのは、そのように違うシステムの中で、まずぽんと投じられたときには上手くいかないんですけど、それになれて行くんですね。その与えられた、新しいシステムのなかで、いかに合理的に安定的に自分の体を統御していくかということを、身体というのはおのずとやってしまうものなんです。ですから先ほど土方さんがやったバラバラの身体も、最初はそれがバラバラな身体だったかもしれないですけど、舞踊というのは、とくに優れたダンサーであればあるほど、そういうものをやっていくとそれが様式化してしまう。一つのテクニックとして固定してしまうということがあると思うんです。解体しても解体しても、また新たなシステムとして構築してしまう。それが、新たな規律として体のなかに染み付いてしまう。それを解体し続けるにはどうしたらいいかということで、言葉を使ったのではないかと私は考えています。言葉を、日常的にも稽古でも浴びせ続けていた訳ですね。

その言葉とはどういうものかというと、本当に身体の各部に刺激を与える、各部というか感覚に刺激を与えるようなものではないかと思うんです。例えば、文章だけでイメージを飛躍させるならば、本当にイメージだけでポンポンポンポンと飛躍することができると思うんですけど、この『病める舞姫』もそうなんですが、イメージが身体性と遊離していない、かけ離れていない、ということが面白いんだと思います。そのイメージにはリアルな身体感覚というものがついているんですね。下の方(注・パワーポイントの映像)をご覧下さい、上のほうが『病める舞姫』の文章なんですけれども、魚の目玉に指を通すときの、その目玉のぬるりとした触感、ふにゃふにゃ感とか、そのようなものの触感を、指がぐーっと押し広げるような、そういう筋感覚とか、ぬるりとした、温度感覚とか皮膚感覚とか、そのようなものから次に連想がいっていると言えると思います。

ですからそれが、舞踏のレッスンのなかでもこのようにただのイメージを与えるのではなくて、非常に具体的にリアルに、身体感覚として反応せざるをえないような言葉、しかも日常とは違う与えられ方をしていた。それによって身体感覚の中で、次になにかイメージとして、もしくはなにかの記憶として、欲望として次々と続いて行く。そのような言葉の在り方だったのではなかったのかなと思います。実態としての、ここにあるリアルな身体というものを超えるために採用した、リアルな身体感覚をともなう言葉とイメージが次々と接続していく、様式として表象される身体。そういうものを、この文章のなかで目指しているのではないかなと思っています。ですから、なにか、解剖学的にここに手と足があって、何とかがあって、それをぶったぎって解体しましょうというイメージでもって、そもそも、なにか実体として物体として、ポンと身体があるというよりは、身体感覚とか欲望とか記憶とか、そういうもの、強度がグシャグシャグシャとあってですね、その中でいろんな感覚なりが接続して繋がって行く、そこから身体が立ち上がって行く。私としてはそのようなイメージで捕らえています。そういうものこそが舞踊によっても日常によっても規律化されていない、統合されていない、システムを作って行くのではないかなと思います。

これは、まとめになりますけども、舞踊の身体っていうのは、規律を解体し、解体したとたんに技術化されてしまう身体である。だから、身体というのは、統合せずにはいられない“制度”ではないかなとおもっているんです。そのような身体という制度から逃れられない、この身体をもちいてなにができるかと考えた時に、言葉と技術を用いた。この技術というのを、私は身体内部を操作することとしてとらえているわけですね。たとえばここの足をあげました、飛びました、回りました、それは表象的な技術なんですけれども、そうでなくて、この身体をあらしめるために、内部をどういうふうに操作していたか。そこを技術だと考えていますので、土方の技術と言葉というものは、そのような技法であり、言葉であったのではないかと思っています。

ということで、非常に早口だったので、分からなかったですかね?大丈夫ですかね?以上で、わたくしの発表を終わりますが、もしご興味のある方がおられましたら書いたものがありますので。雑駁なんですけれども発表をさせていただきました。ありがとうございました。