みなさんこんにちは、宇野と申します。
この土方さんの催し物のビラには、「言葉と身体をめぐって」と書かれてあります。言葉と身体のかかわりが僕にとっても、ずっとテーマであり続けてきました。学生時代を終えて、だんだん今の思考に繋がるような道を歩み始める頃に、まず言語とは何かということを考える必要に直面しました。そこで、しきりに言語について考えたんですけども、ある時から、言語そのものをめぐって集中的に考えることはしなくなったと思います。そして、ほぼ並行的に、やはり身体という問題がとても気になっていました。実はアルチュール・ランボーについて修士論文を書いたんですけども、ランボーの詩の中にはcorps(身体)という言葉がとても頻繁に出てきて、だんだん謎めいたものになるんですね。そんなこともきっかけになって、身体という問題がずっと気になり続けていたと思います。しかし20代には、さっき名前の出たロラン・バルトが代表的人物でしたが、記号論とかテキスト論とかの動向に、かなり刺激を受けました。言語という問題がとても大きな問題だった、そういう時代でもあったし、それにはおそらく歴史的な理由、背景があったわけです。そこで言語と身体が考えられてきた歴史を、少し振り返ってみることから今回のレクチャーの内容を考えてみました。
これをしっかりやっていたら土方巽に到達しないのでこの話は5分ぐらいで終えたいと思うんですけど。20世紀の思想史を、たった5分で振り返ってみますが、20世紀に登場した大きな哲学的問題は、まず存在という問題でしょう。サルトルのいうフランス語のexistenceは「実存」というふうに訳されてきましたけれど。存在あるいは実存。何かしらやはり神無き世界の思想が、人間というのではなくて存在、実存にむかった。人間じゃないということがとても重要ですよね。5分間の思想史ですからすぐ止めますけども、やがて言語、記号というものが大変大きな問題として浮上するわけです。なぜこんなことが起きたんでしょうか。20世紀の文明は、きわめて分裂症的、統合失調症的な歴史を歩んだと思います。その分裂的過程のなかでまず存在問題が現れて、やがて今度は何を考えるにせよ、ものを考える時に人が使っている言語自体が問題として浮上してくるということが起きたんだと思います。そこで20世紀の初頭にはソシュールが、名高い 「一般言語学」の講義をするわけですが、やがてアメリカではチョムスキーが「普遍文法」というようなことを考える。ヴィィトゲンシュタインというかなり変わった人物が、やはり言語の問題を、論理学の観点から深く考えたわけです。それぞれの人が、「言語とは何か」という問いに解答を与えて、ソシュールならばよく知られているように、音の形式的な配列ということから言語を考え始めるんですけど、ソシュール自体がだんだん自問しながら闇に迷い込んで、ほとんど狂っていたんじゃないかと言われることもあります。日本では、晩年のソシュールの研究がかなり進んでいますけども、そのように言語について一生懸命考えて、ある種、還元的に、還元主義的に、つまり言語とは何に還元できるか執拗に考えようとした目覚ましい思想があったと同時に、ほとんどある種、挫折してしまった言語思想とその歴史というものがある。大変興味深い歴史だと思います。
言語の思想的追求がほぼ一段落した頃に、身体という問題がとても大きな問題として浮上したように思います。もちろん身体の問題はフッサールの影響を受けたメルロ=ポンティがとても重視した問題で、今思うとメルロ=ポンティも、「知覚の現象学」という本を書いてますけども、知覚の問題を身体の問題として解決しようとする。身体というところに還元していく、そういう傾向があったのかなと思います。ですから、戦後には相次いで言語という問題が浮上し、身体の問題が浮上し、それぞれ「それは何か」というふうに人間は考えてきた。これはヨーロッパの話をしているんだろうと思われるかもしれませんが、ある程度日本もそのような状況を共有しながら、ものを考えてきたということを前提にして僕はお話しています。
例えば思考のいろいろな問題を、脳の働きに還元していく傾向もある。サイエンスの傾向としては還元主義の対立語はホーリズムと言われるもので、確かにそういう還元的な方向では解明できない問題があるはずです。そこで、全体としていろんなレベルを重ね合わせたところで言語の問題も解明される。身体の問題もそのように考えるべきだろう。そういう見方が当然あったわけです。しかしホーリズムという言葉のホールは、「全体」ですよね。それならホーリズムと微妙に異なる立場があって、田中弘二さんは『病める舞姫』を解読するのにアレンジメントという言葉をつかっておられて、昨日もそういう言葉が出たわけです。アレンジメントという言葉は、まだ田中さんに確かめてはいませんが、ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』という長大な書物のなかにも繰り返し登場する。単にアジャンスマンというフランス語の訳語として使ったんですが、「動的編成」なんて面白い訳語を考えた人もいます。単に組み合わせとか編成とかいうことなんですけども、どうもいい言葉がみつからないので、結局『千のプラトー』の訳ではアレンジメントという言葉をあてました。
ホーリズム、ホールというよりもアレンジメントというふうに考える思想が出てきたということを僕は重視したいと思うんです。ですから存在、言語、身体という形で何かしら哲学的問題が分裂していく過程があり、それらについてもやはり還元的な思考というものが現れたけども、こんどは還元的な思考が崩壊していく、そういう果てに我々はいる。僕もその我々の一人ということですけども、この我々ということをどれだけ共有してもらえるか、それはわかりません。これは単に僕の偏見かもしれないからです。この偏見に満ちた二十世紀思想史は終わりにしまして、言語と身体の関係はいったい何なんだろうということに進んでみたいと思います。
たとえばソシュールの「言語学」にそういう問題は一度も出てこないわけですね。この口が言語を喋っているかぎり、言語と身体は、切り離せないだろう。言語と身体というものを対立的に考える思考というのはずっと存在してきているし、それはそれで大事なものだと思います。言語は身体ではなく、身体からかぎりなく遠いところにある。一方では、言語と身体は対立するのではなくて互いに浸透しあうもの、内包しあうものと考える思考も当然あったわけです。詩人たちは、常に言語と身体は相互に浸透する関係にあるものとして考えてきたと思います。それから今、対立、浸透と言いましたけども、言語と身体が並行的であるという面もあります。言語に起きていることは身体に起きていることだし、身体のなかで起きていることは言語のなかにおきている、表現されている。そういう厳密な対応関係というものを考える必要もあると思います。ですから限りなく身体というものから遠ざかった透明な言語の状況があるとともに、言語がほとんど即身体である、身体と深く絡みあってる。そういう状況があるんだということです。
しかし、そろそろ土方巽の問題に入りたい。今日はやはり『病める舞姫』という書物を扱ってみたいんですが、その前に、みなさんにお配りしたプリントがありまして、「アルトーのスリッパ」という文章です。これは『病める舞姫』に劣らず難しい。『病める舞姫』以前の文章は比較的わかりやすいという意見も昨日ありましたけども、これ読んだらそうじゃないということがよくわかります。1971年の文章ですから、土方さんが『肉体の反乱』というパフォーマンスをして、非常に挑発的な文章を書いていた時期の片鱗が見えると思うんですけど。「アルトーのスリッパ」というこの文章は、土方さんがどれだけアルトーのなかに深く入っていたかをまざまざと感じさせる文章です。土方さんは、先ほど安藤さんが言及した『ヘリオガバルス』を読んで、大変興味をもっていました。僕は1983年に留学生時代を終えて帰ったら、田中泯さんとパリで出会っていたせいで、泯さんが土方さんのスライドショーをPlan Bという劇場で実現した時に、そこにきていた土方さんを紹介してくださいました。僕と土方さんのコンタクトは他でもなくアルトーが仲立ちで、まだ駆け出しの(今でも駆け出しですけども)研究者にすぎなかった僕のアルトー論のコピーをお渡ししてみたら大変熱心に読んでくださって、土方さんが亡くなるまでお元気なあいだ、ずっと僕らの話題の中心はアルトーだったんですね。やがて土方さんは次のパフォーマンスを再開するといい始めてそのタイトルは「アルトー論」というタイトルなんだと言い始めたんです。なんかどきどきしました。大変なことになるなと。あんまり責任もちたくないな、というような思いもあったわけです。でも幸いなことにそれから2、3回後の出会いの時には、もうアルトー論はやめた、ドフトエフスキー論にすると言いました。そんなこともあったんですけども、この土方さんのアルトー論、「我々は幸福にも、思考の崩壊を恐れつつ生かされていることを、また死なされていることも既に知っている」という。衝撃的な文章です。生かされている、死なされている。何かに支配されているそういう受け身の状況。土方さんの表現における受動性という問題が、この会でも言及されましたけども、とても大きな問題だと思います。
3行目ですけど、「我々の生は繰り返し死に向かう寛容な精神の種族によって握られているのだ」。今日お話することに僕がつけたタイトルはこれです。「繰り返し死に向かう寛容な精神の種族」まで書いてもよかったんですけど。これよくわからない文章ですね。繰り返し死に向かう寛容な精神の種族に弄ばれる、我々の運命がそういう種族によって支配されている、そういうニュアンスでしょうけれども。「繰り返し死に向かう寛容な精神」とは土方さんの姿勢でもあったと思います。ですから数行ですけどもやはり土方さんのなかで生と死の感覚というのはどうない合わさっているのか、そんなことに触れた文章であって、このことが『病める舞姫』のなかで大きな意味をもつようになるわけです。
やがて6行目あたり7行目ですか、「胎児が」とでてきます。先ほど安藤さんが死と胎児という問題に関して『死者の書』に触れられましたけれど、それとも関係があるんだと思います。「胎児が泡立つ粒子の中に彷徨していた薄明の時代の形而上学が、戦慄する物質との婚姻によって無垢なる流産のままに語られる生の様相は、生き物の海に原理の揺籃期が浮き沈みする際の目くらむばかりの光景でもある」。
「胎児が泡立つ粒子のなかに彷徨していた」という。これは『病める舞姫』の世界に少し対応しているんじゃないかと思います。「無垢なる流産のままに語られる生の様相」。この「様相」を延々えぐりだし、語り続けることになるわけです。土方巽の子供、『病める舞姫』の中の土方巽と言う少年は、何かしら絶対に成熟しない、まともな身体にならない。そういう状況をずっと生きているんです。「無垢なる流産のまま」、「生き物の海に原理の揺籃期が浮き沈みする」、こういう世界、「生の様相」を、これほど確かに思想化していたことに驚きます。
アルトーはある時期には現代の演劇論のパイオニアとして読まれてきた。確かに演劇人として画期的なことを書いた人でもありましたけども、アルトーのその根っこのところには思考の問題が、思考の崩壊という問題があるということに注目しています。これは演劇論を書く以前のアルトーの一連の散文詩や手紙を読むなら、はっきり見えてくることです。思考の崩壊とは、かなり病的な状態でもある。アルトーも折口と同じように麻薬吸引者でもありましたが、かなりユニークな吸引者であったと思います。アルトーの演劇の方法なんかではなく、まさに思考の演劇にふれ、そして思考の崩壊の問題を「無冠の肉に対して問いただす必要があった」と、肉の次元につなげていく。こういうアルトーの読み方なんですね。やがてアルトーの読み方は、世界中でかなり哲学的なものになっていきますけども、土方さんはじつに先駆的な読みをしている。
71年にこんなふうにアルトーを読んでいた日本人は、他にいなかったと思います。フランスではドゥルーズ=ガタリとかデリダによってアルトーの哲学的解読がこの時代に、もう始まっています。大変驚くべきテキストだと今でも思っています。そしてこれは『病める舞姫』を読む一つの鍵にもなりうる。アルトーと土方巽という組み合わせは、僕にとっても重要な問題であり続けたんですけど、しかし二人はずいぶん違うタイプの思想家でもある、ということも重要だと思います。『病める舞姫』がどういう本かということですけども、まずやはり子供という主題ですよね。子供が主人公の物語で、「私の少年」というふうに、土方さんは始める。子供時代の回想記といえば、とてもわかりやすい言い方になるわけですけども、全く奇怪な回想記なのです。『病める舞姫』の中に衝撃的な一行がある。「そんな私の姿には幼年も過去もない」、こうはっきり書いてあります。どうやら子供が主人公で、その子供がいろんなものに取り巻かれている。ある種の回想記でもあるだろうけれども、そんな私の姿には幼年も過去もない、とはっきり書いてあります。ですから回想記であることは否定できないけども、回想記であることを全く拒否している。
土方さんは、録音された語り『風の景色』でもわかるように、おびただしい言葉を、大変な速度であやつった人です。「遅れ」というものは、大変警戒すべき事態であったということです。これも『病める舞姫』のどこかに書いてありますけども、「遅らす」ということによって、自分のなかで無数の要素がせめぎあっている状態が解決されてしまうという。「遅れ」とはまったく警戒すべきで、早く行かなくちゃいけない。『病める舞姫』の言葉は、異様な速度をもっています。非常に速くもありますけども、速くてどこに行くわけでもなく、まったく奇妙な速度です。口述筆記したといわれますが、言葉の速度という点でも、土方さんがどんな速さで喋っていたのか興味があります。異様な速度とは、測り難い速度でもあります。おびただしい言葉と、おびただしい屈折があります。意味の屈折もあります。一筋縄ではない、というあたりまえの意味でもあります。物語のようだけれども、物語ではない。回想記ではない。最後の方でようやく黒マントと白マントが現れて何か人物のようなものが現れる。土方巽がどこかで言ったことを思い出します。昔の女性は夫婦喧嘩するとよく里帰りしたものですが、雪のなか子供が背負われている。母親がものすごい勢いで歩いていくので、子供は一生懸命ぶらさがっていなければ振り落とされ放っておかれそうだ、子供は必死なわけですけども、滑稽な状況が浮かんできます。この場面にはそういう情景が重なっているんだと思います。
黒マント、白マント、人物が現れる。そして歌が現れます。七五調でほぼ同じ音律に従って書かれた詩句が出現します。ある種の物語、風景も現れる。それまでの語り口は、風景といっても風景にならない、まるで落ち着かない。あまりにも屈折が多く、あまりも微細なところに知覚がさまよっていくので、風景というようなイメージが落ちつく瞬間がほとんどない。無数の風景の切子面が、凄まじい速度で移り変わりしていくという世界です。流産された子供の世界でもある。ほとんど同時に死の世界でもある。つまり生まれる以前、成熟する以前ということであり、といっても子供が死んでるわけではない。子供の生き生きした姿はあるけれど、妙に静かで死と親和してもいる。決して成熟をしない。胎児という、まだ器官を備えない生命の状態のなかにあって、きわめて死に近い存在でもある。昔の子供はよく死にました。そういう意味で、これが死の世界であり胎児の世界であるということは全く矛盾していない。自分はもう死んでいる、という意識が『病める舞姫』の中では繰り返し現れるわけです。
それにしても回想記なんてものがあり得るんでしょうか。いろんな作家たちが回想記を、みんなが自伝を書きます。子供時代の親の姿、周囲の人々、風景、その中の子供。しかし子供時代は、端的に、人間関係などよくわからなかったりします。親類といっても、親類ではない人がすごく親しい場合もある。使用人なのか家族なのか、誰がどなたか、よく分からない。回想記に書かれると、人間関係がどうだったか、どこそこに家があって、まわりがどういう風景だったかなどと書くことができますけど、実は、子供はそんなこと分かっていないで、ただバラバラの知覚があるだけでしょう。
精神分析学でメラニー・クラインという人が「部分対象」という言葉を考え出しました。子供の世界は部分対象が荒れ狂っている。部分対象が荒れ狂っている世界をなんとか統合しないままだと、まさに統合失調的な症状が現れるということでもあるわけです。子供の世界は、そういうふうに部分対象が荒れ狂っているはずで、回想記に現れるようなもっともらしい物語とか出来事、物事や人物の脈絡が分かっているわけがない。大人が回想するということ、それはきわめてうさんくさい。土方巽は「捏造」と言う言葉を、よくつかいます。一般に子供時代を思い出すということ自体がでっち上げであり、大人の観点から、大人の知識を集積して、あらかじめ統合された時間として子供時代は再構成される。
土方さんの『病める舞姫』というきわめて実験的な本は、ある意味では本当の回想と言いますか、子供の状態にもどっていくこと、子供になること、子供を持続することを実現したきわめてユニークな試みだといえる。さっき安藤さんは『病める舞姫』をむしろ世界的な文脈のなかで語りましたけど、一方でこの本はどんな書物にも似ていない、きわめてユニークなものだと思うんですね。まさに子供になるということを実験した本であって、第一章を丁寧に読むとだいたいこの本の構造みたいなものは解けてくるんだと思います。しかし土方さんはこれを十数回やらなくちゃ気が済まないんですよね。三回目ぐらいからもうこんなこと続けてもしょうがないよって言ってもまだ続けている。十四章まで続けなければこの練習は意味がない。大変な決意を伴ったレッスンだった。誰がどう読むなんてことは、少しは気にしていたでしょうけども、それ以前に土方巽は、ある異様なレッスンとしてこの書物を書くことを必要としたんだ、そう考えるわけです。
アルトーの名前を出しましたが、アルトーは演劇論や『ヘリオガバルス』を書いた後まもなくして、精神病院に入ることになります。約九年の収容時代に徐々に回復して約四百冊といわれるノートを書いています。そのなかからいろんな作品が、たとえば『ヴァン・ゴッホ論』というようなものも登場するわけです。その四百冊の中で、アルトーの奇妙なエクササイズが行われる。叫びと言ってもいい。きわめて異様な書き物であって、一行一行分けて書いてありますが、詩ではなく、小説でもない。すでに成立して形をもつ歴史的社会に対して、成立以前の次元で社会を問うような文章が延々と続く。これは土方さんの『病める舞姫』と別に似たところなんか、ないわけですよ。似たところはないけども、ある切迫した状況のなかで人間が自分自身のエクササイズとして課した問いの書物といいますか、そういう点では、少しだけ似ていると思うわけです。アルトーのノートのこの言葉もやはり難しいわけですが、その難しさの正体が何なのかいうことは、前からずっと考えてきたことです。そのことに今日は少しだけふれることが出来たかなという思いです。
哲学の言葉で「潜在性」という言葉があります。ベルクソンがたえず問題にしていたことで、ある意味でドゥルーズの哲学の第一の課題も「潜在性」ということだといえる。潜在性の反対は、現働性ということになります。土方巽の子供は徹底して、潜在性を生きるわけです。でっち上げられた幼年ではなく、潜在性の次元にある幼年。『病める舞姫』は、ほとんどそういう次元だけで書かれた本であって、普通は出来ないことに挑戦をした本にちがいない。死の意識と胎児の世界、子供の時間が一体になった、大人が経験し得ない、そういう次元におりていく本だから難しい。そういう次元におりていくことが土方さんにはぜひとも必要だったということです。
冒頭の文章、「そうらみろや、息がなくても虫は生きているよ。あれをみろ……」。こういう青息吐息の子供が主人公です。「あれをみろ、そげた腰のけむり虫がこっちに歩いてくる。」実に不思議なフレーズで、虫に腰があってそれがそげている。あらゆるものが煙っているんです。ぼーっとしている。ふにゃふにゃしている。そのような擬音語がたくさん出てきます。輪郭が蝕まれているような状況とそういう子供、そういう存在だけが登場人物であって、煙虫がこっちに歩いてくる。「あれはきっと何かの生まれ変わりの途中の虫であろうな」という、すでに死んだ存在でもある。生きた存在でもある。その中間の存在でもある。
「言いきかされたような観察にお裾分けされていくような体のくもらし方で、私は育てられてきた。」観察という言葉が、繰り返しでてきます。小学校で書かされる観察日記。この時代の学校のことはよくわかりませんけど、とにかくこの子供はずっと観察しています。それがテーマで、『病める舞姫』は観察の本です。しかし観察されているという状況も延々と続くわけです。観察し観察されているというふうに、これは受動性でもある、もう既に誰かに観察されている。言い聞かされたことでもある。私は既に踊らされていた、踊られていたという言葉もあります。世界に飛び込まれている。そういう受動の状況でもあるわけです。体を煙らす、体の輪郭をぼわっとされる。大気のなかに自分の体が溶けて、光のなかに溶けて、闇のなかに溶けて、奇怪な形のない、距離のないものになっていく。「体の無用さを知った老人の縮まりや気配りが、私のまわりを彷徨していたから」である。
体の無用さ、役に立つ体じゃない、労働する体じゃない、怠ける体、何もしない体。それは暗黒舞踏のテーマでもあるわけです。「私の少年も、何の気もなくて急に馬鹿みたいになり、ただ生きているだけみたいな異様な明るさを保っていた」。『病める舞姫』は、妙に明るい本です。あまり例のない明るさでしょう。
土方さんが「闇」というと、中西夏之さんが「嫌みと言いましたか」と返す。昨日の三浦さんの言及は、とても良かったですよね。暗黒舞踏という暗黒のイメージがあるけれど、不思議な明るさも土方さんの世界にはある。それは闇に浸透された、闇と常に交代する明るさですけれども。まず「明るい」ところから始まっていくわけです。「そのくせ胡散臭いものや呪われたようなものに視線が転んでいき……」、胡散臭いのは自分でもある、子供でもある、周りのもの全部でもある。周りのもの全部をでっち上げている、捏造している。ものの方も自分をごまかす。「名もない鉛の玉や紐などに過剰なほど好奇心を持ったりした」、周りにあるあらゆるものが、ほとんど分け隔てなく、ほとんど等価である。自分の口に含むお菓子だとか、周りにある道具類だとか、柄杓だとか、甕のなかの水だとか、事物の間に序列がない、分け隔てがない。何かがとりわけ重要だということがない、そういう視線だと思います。「鉛の玉や紐は休んだふりをしているのだ」。スパイのような目を働かし、たえず観察し、警戒し続けている子供がいて、ごまかされないぞと身構えている。自分も捏造するわけですけども、ものの方でも捏造する。たえずそういうせめぎ合いのなかにいる子供が描かれているわけです。
『病める舞姫』を、もっと細かく精密に何度も読みこんで、国吉さんは精密な注釈を書かれています。先ほど一部を見せてもらいましたが頭が下がります。僕のほうは、今日の前説でお話ししたような文脈のなかで、自分なりにでっち上げた読み方をしているわけです。こういう土方巽のレッスンがさらに続いて、もっと驚くべき文章がいくつも出てきます。たとえば新書版では54ページ。「私の体の中から崖のようなものが引きずり出されて、大きな影のような土の上に置かれた。私はその影をジグザグに滑るように歩いた。」奇怪な文章ですが、すばらしい文章だと思います。私の体の中、つまり子供の体からこういうレッスンを通じて「崖のようなものが引きずり出されて」、しかしこれは回想ではなく、あくまで同時性ですから過去なんかではないわけです。同時性であるということはとても重要です。何ひとつ過ぎ去るものはない。引きずり出されて「大きな影のような土の上に置かれた」と言うんですね。「その崖の上をジグザグに滑るように歩いた」と、こういうもう一つの体=崖とは一つだけあるわけじゃなく、無数の体がそこから出てきてその体の上をジグザクに滑るように歩く。土方さんの舞踏というものは、多分こういう言葉に凝縮されるような体験と実験の連続だったのかもしれないとこの頃思っています。どうもありがとうございました。