宜しくお願いします。安藤と申します。私は実は舞踏関係ですとか演劇関係っていうのはあんまり関係ないところでずっと生きてきました。一応今、多摩美術大学という美術大学で教えているんですけども、基本的には文芸評論という立場でずっとものを書いてきています。文芸評論ですからまさに言葉がどうやって生まれてくるかとかそういったようなことを中心に、自分の研究といいますか自分の仕事を続けています。
そしてですね、私の最大の研究対象といいますか、それが折口信夫という人なんですね。折口さんというのはですね、みなさん民俗学という学問をご存知の方も多いかと思うんですけども、その中で柳田國男によって形作られた民俗学というものを、さらに独自の方向に押し進めた人なんですね。
いくつかの因縁がありまして、今年2010年なんですけども、そのちょうど百年前に何がおこったかというと、実はいろいろなことが起こっているんですね。まず、二つ大きい出来事が起こって大逆事件という出来事とそれから日韓併合という出来事が起こったんですね。つまり百年前にちょうど日本は植民地を持ち、それから非常に強固な支配の体制が整ったんですね。
そういう体制が整うと同時に何が生まれてきたかというと『遠野物語』というのがちょうど形になったのが百年前です。『遠野物語』では、何が描かれているかというと、遠野というのは岩手県にある小さな村なんですね。そこの村で起こる様々な出来事、そしてその出来事を柳田國男という人がまとめて一つの物語として刊行いたします。
その『遠野物語』の中には、みなさんもよくご存知の河童とかですねそういった妖怪たちがでてくるんですね。妖怪たちだけではなくてちょうど目に見える世界だけではなくて、見えない世界に住むような生き物、我々の時間や空間とは違った世界にいきているような、そういったような怪しいものたちが、ちょうどこの現実世界と他界の中間地帯に生まれてくるような出来事が記されています。それが書かれて出版されたのがちょうど百年前なんですね。
ですからこの百年の間に民俗学という学問が生まれてきた。そしてその中で、様々な出来事が書かれていく。その中で折口信夫というのは何をやったかというと、それが今日の土方さんを巡る話と関連してくるとおもうんですけども、折口信夫というのは柳田國男が形作っていった見える世界と見えない世界の交点、これを演劇の場に探っていったんですね。原初の演劇というのはいったいどういったようなところに生まれるんだろうか。そういったようなところに折口信夫の非常に重要な民俗学上の研究のポイントがあります。
この折口信夫が生まれたのが1887年です。明治20年ですね。没後50年以上経っています。ですから土方さんとはちょうど40歳ちがうんですね。折口信夫は何を残してきたかというのをずっと調べていくとですね、私は土方巽という人にぶちあたってしまったわけです。折口信夫は見える世界と見えない世界の交点、怪しいものたちが生まれてくるところを何よりも演劇の発生する場所じゃないかというふうにとらえます。
演劇というのはどういったようなところに生まれてくるかというと、演劇が生まれると同時にそこには文学が生まれて歴史が生まれてくるんだ、そういったようなことを折口信夫は国文学の発生という論文にまとめていきます。その中の一番最初のところにですね、こういうふうに書いてあるんです。
演劇の発生というのは人間が演劇をするんじゃなくて人間を依り代にして神が語るんだ。その語りというのは明確な言葉ではないんだ。いろんな意味にとれるから、一つの音の中にいろんな意味が含まれているんだ。それを読解していくことから逆に文学が始まって歴史が始まっていくんだ。そういったようなことをちょうど百年前に始まった民俗学というフィールドで、昭和の時代になるころに、自分なりの体系としてまとめていきます。
つまり折口信夫というのは国文学者であり民俗学者でありそして「釈迢空」という名前を持っています。それで短歌を書き、詩を書き、小説を書きます。その唯一、完成して最大の小説というのが『死者の書』という書なんですね。まさにその物語や演劇が生まれてくる場所というのはもう一つ死者たちが甦ってくる場所でもあるわけです。こういう風に折口信夫のことを説明していくとみなさんも土方さんが描こうとしていた世界、『病める舞姫』やその前段階である様々なテクストのなかで常に死者が甦ってくること、それから人間でも動物でもないような変なものに変身してしまうような感覚といったようなことと折口信夫の世界というのが非常に近いということがおわかりになるかと思います。
意識的に土方巽という人が民俗学の本を読んでいた。こういうふうに証言していただいたのは種村季弘先生という人です。もうお亡くなりになってしまいましたが、その先生が私に教えてくれたことがあります。そういったような形で折口信夫から土方巽へというような形で私の興味というのは推移してきています。
そしてですね、もう一つ折口信夫が1887年に生まれたと言いました。もう明治20年です。明治になって20年経つとですね、どういうことが起こってくるかと言うと、様々な外国の情報が入ってくるんですね。外国に行った人もいますし。民俗学というと日本の田舎のことばかりやっているんじゃないかという風にみなさんお考えになるかもしれませんけども、実は柳田國男も折口信夫も英語の本を読み、それからフランス語の本を読み、そういった世界の中で日本という国を考えていたんですね。そういった時代に民俗学が生まれました。そして折口の生まれた1887年から10年経った1897年、折口信夫と同世代にどういう人が生まれてきたかというと、今日いっぱい本を持ってきたんですけど、その中で土方さんと非常に密接な関係を持っているんじゃないかと思われる二人の人物が、折口信夫が生まれてからちょう10年後に生まれます。
一人は『ナジャ』を書いたアンドレ・ブルトンという人で、もう一人は『ヘリオガバルス』を書いたアントナン・アルトーという人です。この二人は1896年、同じ年に生まれるんですね。もう一人、ほぼ同じ年に生まれたのがジョルジュ・バタイユという人です。三人がほとんどフランスでは同じ年に生まれているんですね。そして彼らの10年前には日本では折口信夫という人が生まれている。私がここで何を言いたいのかというと、みなさんが例えばブルトンやアルトーたちが1920年代におこなったシュルレアリズム運動というような形で理解していることと、私が最初に今ここで述べた柳田國男や折口信夫の民俗学というのは、日本とフランスと並行した運動なんじゃないかという事を考えています。そしておそらく、時代的にも並行していますし、彼らが読んでいた書物類、それから彼らが見いだそうとしていた事柄、そういったようなものにも非常に共通点がみられるんですね。
一方はアヴァンギャルドの芸術運動とよばれて、一方は歴史とか過去の考えを回復させる民俗学と呼ばれるもの。それは同時並行した運動だった。そしてそれが一つに結ばれてくるんですね。その一つの大きい交点に土方巽という人が位置しているんじゃないかなというふうに思います。ですから土方巽について私が非常に興味をもっているのはですね、何よりも土方巽をやることによって、民俗学といったような学問とシュルレアリズムといわれる芸術運動というのを一つに繋ぐことができるんじゃないかなというふうに考えているからです。そしてそこでは何よりも祝祭的な部分、祝祭的なもの、これまでの秩序とはちょっと変わってしまったもう一つ別の秩序が生まれてくる瞬間を民俗学者たちもシュルレアリストたちもとらえようとしたんではないかと考えています。
そしてその瞬間にはですね、踊りの原型と同時に言葉というのが生まれてくるんですね。その言葉というのは一つの意味にとらえることが出来ないようないくつもの意味が重なり合ったイメージであり、物質であるようなものが生まれてきているんじゃないか。そういったようなものを読解することから、もしくは言葉でありイメージであるものとして自分を生きることから何か新しい表現が始まるんじゃないか。そうったような人々の探求が始まったのが、折口が生まれた1887年からブルトンやアルト−が生まれた1896年にかけて生まれた人達が担った運動というのを一つの形にまとめたのが土方さんなんじゃないかなと思います。そして今日はそこのところをやっていきたいと思います。
もう一つそこで生まれてくる言葉の諸相というのをできるだけ文章の形として今私たちが読める状態にあるのが『病める舞姫』というテキストじゃないかなと思っています。ブルトンやアルトーの時代からもう一つ考えなきゃいけないことがあります。それはどういうことかというと、大きいメディアが生まれてきます。映画がちょうど二人と同時代に生まれてくるんですね。ブルトン、アルトー以降、映画というのが人間の表現の重要な手段になってきます。そしてこの映画で何がわかったかというと、機械を通して自分を見た時に、それまで自分が考えている自分とは全く別の自分というのが発見……。みなさんも例えば写真映りとかテープに録った自分の声をきいたり、自分の像を見た時に驚かれることがあるかと思うんですけども。機械を通して見た時に自分の思い込みが打ち砕かれて、そこには今まで自分が意識していなかったような別の自分というのが生まれてきたんですね。そういったような時代にアルトーもブルトンも生を受けて自分たちの営為を進めていきます。
そしてもう一つ、ブルトンが『ナジャ』を出した時に、1928年なんですけど、土方巽さんが生まれるんですね。ですから折口信夫やブルトンやアルトーたちが生まれて、そして彼らが最初に自分たちの成果をまとめ上げた頃に、土方巽という人が生まれてくる。そして土方巽はそういったような成果をまさに吸収しながら自分の形を整えていったんじゃないかなと思います。そして民俗学の折口信夫が探求のテーマにしたのが「祝祭」「お祭りの時」「特別なある人にこの世界の存在とは全く尺度が違った見えない世界から何か超自然的なものが降りて来て、その人の口を借りて、何だか分けのわからない言葉を発する。その言葉を読解することから歴史や文学が始まる」。これが折口信夫が国文学の発生で見いだしたテーゼです。
言葉というもの、様々に読解できるものが大きなテーマになってきたのがシュルレアリストたちのテーマでもあったんですね。彼らはなんだか分けのわからない記号ということをずっと言い続けます。土方さんや折口さんと非常に近いアルトーから始めたいと思います。アルトーという人はですね、ちょうど1896年に生まれてそして演劇を志します。ただ、アルトーが演劇の空間に生まれてくるものをどういう風にとらえているかというと、演劇というのは単に身体があるだけじゃなく、単に言葉があるだけではなくて、身体と言葉がですね、一つの記号のように結びついて生きる象形文字のような形で舞台のなかに躍り出ることなんだ。そういったようなことをこの『演劇とその分身』というので書いているんですね。その記号というのは身体であり言葉でありイメージである、そういったようなものなんですね。
アルトーは『演劇とその分身』という演劇論を書くと同時に『ヘリオガバルス』、狂気の皇帝ヘリオガバルスを主人公にしたドラマを書きます。ここでも一つ重要なことが行われます。この『ヘリオガバルス』というのはアルトーは単に書いたんじゃないんですね、語ったんですね。語ったものを書き直していく。もしくは書いたものをもう一回語り直していく。そういった口実筆記という手段で、まさしく言葉が生まれる記号が生まれる瞬間というのを一つの少年皇帝のドラマとして書いていた。そして、そういった記号が生まれる瞬間というのを探る為にアルトーは南アメリカに行きます。そしてタラフマラ族という世界に飛び込んでいくんですね。ただし、本当にそこの国までいったのか、アルトーの幻覚なのか、それが事実のドキュメントなのか判断するすべはないんですけども。アルトーは『演劇とその分身』という演劇論を書き、まさにその演劇を生きるようなかたちで『ヘリオガバルス』という一つの詩的な評伝を書き、もう一つ、タラフマラ族という全くヨーロッパとは断絶した祝祭が生きている世界を求めてアメリカインディアンの世界に飛び込んでいきます。そしてそのタラフマラ族のことのドキュメントをまとめるんですけど、アルトーはタラフマラの国で何を見たかというと、記号が生まれてくる山、記号がまさに生まれてくる祝祭、そういったようなものを徹底的に記していきます。
1896年に生まれ、映画の中に自分を映され、そして演劇を志したアルトーというのは、様々な手段を使って記号の発生ということを考え抜いた人なんですね。それと並行するようにいきたアンドレ・ブルトンという人。アンドレ・ブルトンというのは土方巽さんが生まれたのとちょうど同じ年に『ナジャ』という作品をだします。アルトーが『ヘリオガバルス』というところで口実筆記というのを使って言葉が生まれてくる瞬間をそのままいきるような評伝を書いたと同時にこの『ナジャ』というのも『病める舞姫』を読解するうえで非常に重要な書物なんですね。どう重要かというと、まず表面的なところから言うとアンドレ・ブルトンというのはシュルレアリズムという運動を組織した人なんですけども、シュルレアルというのはまさに現実と超現実という二つの世界の交点に生まれるものなんですね。これはブルトンがシュルレアリズム宣言で言っていることなんですけども。
ブルトンがいっている定義というのが、私が一番最初にお伝えした折口信夫が「祝祭」の中に見出している定義と全く同じなんですね。ですから一方は芸術論、一方は民俗学という風に今は別々に考えられることが多いですが、シュルレアリストたちがやろうとしたことと、折口信夫という人が南島沖縄やそういったようなところをヒントにしながら、祝祭というのがどう組織されているのかということを考えた民俗学というのは、ほぼ同じようなテーマを担っていたんじゃないかと思います。そしてその時にもう一つ映画の世代、それから様々なメディアを生きたブルトンというのは、人間は自分の内部で考えているのではないんじゃないか、そういったようなことを考えていきます。なによりも人間の精神というものはそれだけでは自立的に存在し得ないんだ。そうではなくて外側のものから働きかけて逆に内側になにか生まれてくるんじゃないか。そういったような形で、オブジェ、客観であるものである。そういったようなものを非常に重視していくんですね。
このオブジェというのは密かないろいろな意味を発しています。そしてこの『ナジャ』の中ではそういうオブジェたちをどうやってつないでいったらいいのかというようなことで非常に有名な比喩なんですけども、こういったような比喩をつかいます。オブジェたちが発する信号、それからオブジェたち、記号たちが発する信号というのを、どうやって我々はその中にいきているのかと言うと、我々はそういうオブジェたち、記号たちの中で蜘蛛の糸から蜘蛛の巣へと導かれるように、人間じゃなくて蜘蛛のようになって、そして記号から記号へと蜘蛛の巣のなかを導かれていくんだ。
ブルトンもまた『ナジャ』という作品の中でアルトーが記号の発生を考えたのと同じように、オブジェと言う観点に力点をおきながら、オブジェを感知するのは人間じゃなくなって蜘蛛とか人間じゃないような知覚をもたなければ感知できないんじゃないかということを『ナジャ』という作品で形にしていきます。アルトーの『ヘリオガバルス』が口実筆記という言葉の生きる瞬間を描いたとしたら、ブルトンの『ナジャ』とい言うのはやはり、シュルレアリズムというのもまた徹底的にスピードを早く持つことによって、今までの表面的な意識ではないような意識に到達してそこから言葉を紡ぎだすことでした。そういったようなことがシュルレアリズムの根本的な定義です。ブルトンはそれを自動筆記と名付けました。『ナジャ』というのは自動筆記そのものではありませんが、そういう、私でもあなたでもないような状態、現実でも夢でもないような状態になった時にいったいどういう出会いが組織されてどういう世界が繰り広げられるのかというようなことが書かれた小説です。そしてこの『ナジャ』という小説というのはなんだかわかりません。ブルトンとナジャエダという一人の女性の出会い、これは創作ではないんですね。全部、事実なんです。全部、事実に基づきながらここに描かれているのは詩であり小説でありそして写真なんですね。つまりいろんなジャンルを超えてしまったような様々なジャンルが混交した書物というのが土方巽が生まれたときに形になっている。この『ヘリオガバルス』の世界とおそらく『ナジャ』の世界、土方巽はこれを両方知ることができたわけです。
ブルトンに関しては澁澤龍彦、種村季弘そういった人たちを通じて、60年代から瀧口修造という人も紹介しだします。そしてこの『ヘリオガバルス』と『ナジャ』の交点に自分の世界をつくっていく時におそらく一つの導き糸になったのが折口信夫たち民俗学者の営為だったんじゃないかなと思います。ですから土方巽のなかには大きな二つのシュルレアリズムに由来するようなブルトンと『ナジャ』の交点、それと同時にそれを日本語として表現するようなモーメント、そして祝祭への注目、そういったようなものが一つに重なり合っておそらく『病める舞姫』というのが形になったんじゃないかなというふうに思います。
そしてもう一つ重要なことはですね、この『病める舞姫』というのもですね。やはり『ヘリオガバルス』と同じように、ただ単に文章を書いたんじゃないんですね。最初に語り、書き、言葉にされてそういったようなものにどんどん手をいれて形になったものです。この方法をとったのは土方さんが舞踏や演劇という複数の集団で成り立つ舞台を経験してきたことと同時に、もう一つ土方さん以前に口実筆記を自分の手段にしたのは誰かというと、折口信夫という人だったわけです。
折口信夫、今全集で36冊あるんですけども、おそらく三分の二以上が口実筆記なんですね。その口実筆記のときになにをやっていたかというと、折口信夫というのは薬屋さんの出身なので自分でコカインを調合してですね、ほとんど陶酔状態になりながら口実筆記をしてそれに自分の手で言葉を形にしていった。折口信夫の原稿が今残っているんですけども、コカイン、鼻から吸うので鼻血がでるんですね。だから折口信夫の原稿、血まみれなんですね。そういった状況のなかで、アルトーが祝祭を生きてブルトンが訳の分からないような書いたものと、ほぼ並行するような形で折口信夫も祝祭をテーマにしながら自分自身で祝祭を生きていくつかのテキストを残していきます。その最大の本というのが、私がずっとテーマにしている『死者の書』という本です。
『死者の書』というのは、真っ暗闇のなかで死んでしまった人間が暗闇の中から甦ってくるシーンから始まります。そして最後はですね、暗闇から甦った死者を、死者を目覚めさせてしまった少女が光の織物を織って、それを着せて一人でありながらそこから無数の人間が生まれてくるような光の存在に甦らせる。そういったような筋なんですね。最初、真っ暗闇から甦ってくる死者から始まり、折口はその死者を真っ裸にします。そして骨でガリガリになった死者は何よりも裸であり、自分のことを胎児のような存在なんだというようなことをつぶやきます。裸であり死者であり暗黒であるもの、その場所からこそ光り輝く新しい身体が生まれてくるのだ。これが折口信夫が『死者の書』で書いた非常に重要なモーメントです。そして今言ったような形の口実筆記、暗闇、死者、そして胎児、こういたようなものがどこで使われているのかというと『病める舞姫』。というのは土方さんが残したブルトンの『ナジャ』のような散文であり詩であり、そして自分の記憶であり他者の記憶であり、つまりなんだか訳の分からないものなんですけどもこの『病める舞姫』というのは単にぽっと出来たわけではないんですね。
1977年に雑誌の連載が始まります。ちょうどその直前にですね、土方さんは土方全集の第一巻に入っているんですけども、『犬の静脈に嫉妬することから』という、それまでの自分の文章を集めて自分の演劇原論になるような言葉の群れを組織するんですね。その終わった直後から『病める舞姫』の連載に取りかかっています。アルトーがちょうど『演劇とその分身』と『ヘリオガバルス』とタラフマラ族を並行して書き進めたように土方巽も自分の演劇舞踏原論である『犬の静脈に嫉妬することから』『病める舞姫』というところに繋がる一つの大きな仕事を成し遂げていったわけです。この『犬の静脈に嫉妬することから』っていうのは、そんなに長くないんですね。
その最大のテクストというのが一番最後に入っているんですけども、清水晃さんという美術家のなんだかわからない黒い機械をずっと作り続けている人なんですね、その美術家のオブジェを自分なりの言葉にすることを一番最後のテクストに据えて自分の内側からじゃなく、ものという外側から見たことを自分の書き方の基準として、そしてそこで、じゃあ舞踏の空間になにが生まれるのかということを書いています。舞踏の空間では自分の体の自由がなくなってしまう。それは五体満足ではない不具者であり、死体でありそしてまさに胎児であるようなものが舞踏の身体を形作るのだ。
大野一雄の言葉がこの中で引用されますけども、死んだ子が怪しい器と遊んでいる。まさにオブジェの世界と死者とそれを祝祭のように遊ぶような空間。そういったようなものが自分の舞踏なんだと。そういったようなことを『犬の静脈に嫉妬することから』で書き上げます。そしてその後『病める舞姫』というテクストに取り掛かっていきます。じゃあこの『病める舞姫』には何が書かれているのかというと、よくわかりません。よくわかりませんが、舞踏の身体、祝祭をそのまま生きたときにどういうふうになるのかというと、最初から最後まで『ナジャ』に描かれたような蜘蛛の巣にかかった振動で、いろんなものを理解する蜘蛛のようになる主体。そういった様々な虫に変身するような空間が描かれているんですね。実際にですね比喩としてやはり蜘蛛……。蜘蛛の巣の糸の上を稲妻のように伝ってゆく霞んだ命が見える。蜘蛛の巣が震える軒下に立っていた女の人をイメージする。そういった形で『病める舞姫』というのは人間以上であり、人間以下のもののような存在になる。
その存在というのは、単に自然の中に帰っているものではなくて、オブジェのような、そしてもう一つこの『病める舞姫』の中にでてくる比喩というのは鏡、そういったような比喩もでてきます。つまり昆虫のような生物であると同時に鏡のような無生物であるもの。人の姿を映すようなもの。そういったようなものが乱舞するような。そういったような空間を全く誰の引用もしないで、自分の言葉だけで書いていくんですね。土方巽はこの『病める舞姫』の中で『ヘリオガバルス』とアルトーのタラフマラを結合した少年たちの姿を徹底的に描いてゆきます。少年たち、それからガラスや鏡のようなオブジェたち。そして蜘蛛のような虫たち。さらには水、そして最後『病める舞姫』というのは白と黒の対象的な色のマントの女たちが出てきます。その女たちのなかから赤や青の色彩が生まれ出てくるシーンで最後終わります。
こういったような形で『病める舞姫』というのはまさにオブジェの小説であり、昆虫の小説であり、死体の小説であり、そして少年たちの小説である。そういったような形でまさに言葉でありイメージであり物質であるようなものが乱舞しているような小説世界なんですね。こういった世界がちょうど1970年代から80年代まで、『ヘリオガバルス』やブルトンそれから折口信夫たちの営為を総合するような形で、様々な表現をその中に組み込んだ小説作品という形になってゆきます。じゃあ『病める舞姫』は世界の中で孤立しているかというとそんなことはないんですね。ちょうど折口たちの読み直しを重要なモーメントとして『病める舞姫』が出来上がってくるのと同じような形で、アルトーたちの営為がちょうど68年から70年にかけて読み直されていくつかの重要な哲学書が誕生してきます。
例えばちょうど68年に五月革命が起こりますけども、それと同時にもう一個重要なことでフーリエという人が『愛の新世界』というのが発見されます。サドという人も二十世紀初頭に発見されます。一人は暴力、一人は性愛そしてイグナチオ・ロヨラという宗教というその三人の中に一つの共通項があるんじゃないか、そういったようものでロラン・バルトという人が『サド、フーリエ、ロヨラ』という作品を書きます。そしてロラン・バルトは言うんですね。一人は残虐な哲学者と呼ばれて、一人は性愛に狂ったユートピストと呼ばれてもう一人は非常に厳格な宗教者である。彼らは別々の存在じゃないんだと。彼らは何を描こうとしたかと言うと、新しい言語が生まれてくるような場所を、非常に抽象的な舞台を作りながら産み出したんだ。記号というのがどうやって生成してくるのか。サドにしろ、フーリエにしろ、二人が再発見される為には、ブルトンたちシュルレアリストの仕事が必要でした。
そしてアルトーの再発見からは、ロラン・バルトと同時期に今日これからお話をしていただく宇野邦一さんが、その下につかれてアルトーについて論文を書かれたジル・ドゥルーズという人が生まれてくる。こういった人たち、ドゥルーズやロラン・バルトがシュルレアリストたちブルトンとアルトーを再発見していくのとパラレルな形でフランスにはない民俗学の要素を総合しながら形になったのが『病める舞姫』という作品じゃないかなと思います。本当はもう少し分析をしたかったんですけども、なかなか手強いんですね。なかなか物語化することを許しません。黒マントと白マントのところだけが物語化されているんですけどもこれをどうとらえるかで……。これがなければ本当にオブジェだけをバラッと描いた作品で終わる『病める舞姫』をおそらく物語としてまとめる為に入れたんだと思うんですね。その評価をどうするか。それからその前までに描かれているイメージの交響楽、蜘蛛の糸のような形で繋がっていくオブジェとかイメージとかそういったようなものについての関連、そこから生まれてくる世界についての詳細っていうのはできればまた次の機会に行いたいと思います。今日は『病める舞姫』を読む前提ということになってしまいましたが、読む為にはどういったような歴史の枠組み、それから解釈の枠組みが必要なのかということで終わりになってしまいましたが、これで話を終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。