
研究会の記録
対談・ディスカッション
- 八角
- こんにちは、八角と申します。今日は企画サイドのメンバーの一人ということでモデレーターを務めさせていただきます。
安藤礼二さん、宇野邦一さんは改めてご紹介するまでもないかと思いますけれども、土方巽との関係について少し補足しておきますと、宇野さんは晩年の土方巽と深い親交がおありになったお一人で、宇野さんがお書きになっているエピソードによれば、当時の宇野さんが何か文章を発表すると、土方さんは夜を徹した歓談の場を設けて待ち構えていたそうなんですね。それで、宇野さんの文章の細かいところまで覚えていて、朝まで語り続けていたというようなことがあったそうです。
安藤さんは、折口信夫論をはじめとする評論活動で皆さんご存知だと思いますけれども、実は河出書房新社に以前いらした時に『土方巽全集』の編集を担当された方でもあります。
そんな繋がりもあって今日来ていただいているわけです。今日はすでにまとまった話をしていただいた後ですので、気軽にどんどん言葉を交わしていただいて、また昨日と同じように研究会の他のメンバーの方に前の方に座っていただいていますので、随時ご意見・ご発言を頂戴しながら進めていきたいと思います。
まずは、オーディエンスの皆さんのほうから、もし安藤さん、宇野さんのレクチャーに関してご質問とか、問いただしておきたいというようなことがあれば、最初にお聞きしておきたいと思うのですが、いかがでしょうか。
- 質問者1
- 昨日のレクチャーを聞いていて、『病める舞姫』のインターテキストを知りたいなと。それを何人かの方に個人的に聞いてたんですけども、今日のお2人の発表でかなり道筋がついたかなって気がします。
安藤さんが明確に出版、フランスでの出版年代のことで10年単位でお話して下さいました。宇野さんは『ヘリオガバルス』のことと宇野さんの論文を土方が読んでたということはご説明下さったんですけれども、『ナジャ』も自分で読んだ時の印象がそんなに強くないんです。『病める舞姫』を読んだ時にどうも繋がらない。アルトーのテキストは僕も集めようとしてたんですが、宇野先生の論文なり、言葉として伝えられたアルトーだったのか、それとも日本語の活字となったテキストからどの程度影響を受けたのかっていうことも興味があるので、『ナジャ』も含めて二人の方でお考えお聞きできたら嬉しいなと思います。
- 安藤
- じゃあまずあの、「あんま」って何年でした?
- 八角
- 63年だったと。
- 安藤
- 「あんま」の中に澁澤さんがアルトーの冒頭を訳してるんですね。『ヘリオガバルス』の冒頭を訳して収録してるんです。恐らくここもまた難しいとこで、土方さんの『病める舞姫』って読むとわかると思うんですけど、全く引用がないんですよね、つまり自分の言葉だけで書いていて果たして読んだことがそのまま影響になったのかどうかっていうことが非常に難しい問題で。恐らく、僕が言ったブルトンの『ナジャ』とかオブジェという考えというのは恐らく竹内さん、澁澤さんからかなり早い段階で土方さんは咀嚼してたんじゃないかなと思います。
それからアルトーに関しても恐らくその宇野さんのような形のアルトーではないですけども、60年代から「あんま」の中に『ヘリオガバルス』の冒頭をわざわざ選んでいて、多田智満子さんの訳とかなり違う訳なんですね。もうちょっと学生運動っぽい訳なんですよ。つまり学生運動っぽいというか、要するに機動隊に囲まれているアルトーみたいな感じの訳し方を、澁澤さんはあえてそうしてるんだと思うんですね。
そういったいうような意味では色々な人が土方さんの周りにいて、色々なことを土方さんに伝えてくれてると思うんですけども、この『病める舞姫』に関していくつかの対比できるような本を今日出しましたけども、そこがどこまで読んでるのかっていうなことを、どこまで読んでどこまで果たして影響を与えているのかということは、ちょっと分からないんです。
少なくとも77年に『病める舞姫』を書き始めますから、それまでにはアルトーそれからブルトンについてはかなりの知識があって、それから種村さんから聞いた話なんですけども、例えば民俗学系統の本は本当に全集揃えていて読んでいたということはお聞きしたことがあります。それがこの『病める舞姫』にどこまで影響を与えているのかというようなところは分からないです。
ただブルトンにしろ、アルトーにしろ、それから民俗学者、折口にしろ、柳田國男にしろ、非常にある部分は土方さんに近いメンタリティを持ってたんじゃないか。だから相互に惹き合って、多分それを総合したような形になったんじゃないかなという風に思います。
宇野さんが今日、ちらっとおっしゃいましたけども受動性ですよね。自分から能動的っていうよりは、なんか知らないけれどオブジェに働きかけられたりとか、なんか知らないけれど向こうから来ちゃうとか、柳田とか折口っていうのは濃厚にそういう感覚を持ってる人なんですよ。そういったようなかたちでオブジェとか、それからボヤーっとしているようなものとか、そういったような感覚としてそういったような人たちだから相互に惹かれ合って民俗学作ったり本をやったりしたんじゃないかなという風に思いますけども。
- 宇野
- 影響関係とかテキストの年代とかっていうのは、割と僕も少し薄々分かっていることもあるんですけども、しばしば不正確であったり、また新事実が出てくる可能性もあるので、極めてあいまいな部分が多いんです。
アルトーのことでは、渋澤さんが部分的に訳されたものを土方さんが読んでとても衝撃を受けたということを言っていましたね。それ以来なんだっていうようなことが、つまりアルトーのことなどを、もう一度、晩年に考え始めたというようなことがあったというわけです。
ところが僕はその1971年の「アルトーのスリッパ」が現代思潮社からですね、アルトー全集の予告の冊子に書いた文章でありました。これは土方さんが亡くなってからあの全集の中に収録されたものを読んで、僕はおったまげたっていう感じですよね。つまり、ここまでアルトーに触れて、初期の作品がまとめて読めるようになったというチャンスであり、土方さんはそれを読んだ感想文でもあったわけです。
土方さんの初期の頃、特にフランス文学から入る面白い情報は全部吸収したという時期があって、その代表的な人物はサドでありジャン・ジュネでありその他ロートレアモン、ランボーと。あの時代の多くの若者が読んだ書物なわけですけども。そのようなものが全部入っていて、例えばアルトーはシュールリアリズムの一員でもあって、シュールリアリズムという一つの大きな流れのなかでアルトーが読まれていたわけです。
ですから、アルトーの研究者っていうような人っていうのは、正確にあまりいなかったと思うし、そういうシュールリアリズムが一因として重要視されて訳されてもいた。土方さんはそれを敏感に察知してアルトーの特異性ってものをものすごく素早く察知したってことが「アルトーのスリッパ」という現象で、よく分かるわけです。
このアルトーの理解ってことでいえば、その後さっき言ったような哲学者たちのアルトーの読解、特にアルトーの晩年の精神病院のノートの中にある世界っていうのは、ニーチェの草稿群みたいな膨大なもので、もう一つの一人のアルトーがここに居たというようなものなわけです。そういうものが読まれるようになったのは70年代くらいですから、僕はアルトーをテーマにしてそういう空気に当然触れることになって、そういう僕の頭にあるアルトーをお話しするということで、一晩明け方あるいは明くる日の夕方まで続くという酒盛りを続けたわけです。
土方さんは、6、70年代のアルトーの理解と違うアルトーがここにいるということが、やっぱりまざまざと感じたと思います。僕はラジオドラマのテープなども、その当時カセットテープですけども持って帰ってきてコピーして聞いてもらいました。それをパフォーマンスのなかで土方さんが使ったりもしているわけです。でも、これは僕がそういうアルトーを土方さんに持っていったという意味も少しはあるんだけど、あの「アルトーのスリッパ」って本を読めば、いかに土方さん敏感にアルトーの一番中心のところを、シュールリアリズムの一員というアルトーをはるかに超えて、鷲掴みにするということを、土方さんはどっかでよく使うと思うんです。そういう掴み方をまさにしていたという感じがするわけです。
もう一つは、土方さんとアルトーって、とっても面白い問題ですけど、一番重要な問題でもないと思っていて、『病める舞姫』はやはりそれまでの影響関係とか一切消してしまった。土方巽と日本人というタイトルで問題になりましたけども、(土方巽と日本語)っていうサブタイトルにしても良かったんじゃないかという。そういう日本語で考えますっていう姿勢をはっきり示して、同時に70年代これも伝記に詳しい方がコメントして下さると思いますけども、かなり交友関係整理しているはずです、土方さんは。その(土方巽と日本語)をやるためにかなり交友関係まで整理してですね、『病める舞姫』の出版記念のときにはそうそうたるメンバーが集まってきてましたけども、しかしそういうことをした土方さんがいるわけです。そういう実験をせざるを得なかった土方さん、その実験が終わって『病める舞姫』が出版された頃に僕は出会ったんですけども、アルトーの晩年のアルトーのなかにある大きな問題、身体の問題、器官なき身体の問題が土方さんが『病める舞姫』を書いた後にやっぱりそうとう気になっていて、それをあれだけ日本語の世界に回帰した後でもまだまだアルトーもやるぞっていう姿勢を持っていた土方さんいいなって思ってますけどね。
- 安藤
- そうですね、だからやっぱりアルトーの受容にしても層があると思うんですよね。僕は『肉体の叛乱』とかって、完全に『ヘリオガバルス』だと思うんですけども、だからつまり自分で『ヘリオガバルス』を68年に演じちゃったんでそれで『ヘリオガバルス』的なアルトーとはやっぱりこうちょっと違うところにいこうとしたんじゃないかなという気がして仕様がないんですよね。
だから『病める舞姫』とかを読むと、実は『ヘリオガバルス』の世界って凄く遠いですよね。あぁいう強烈な両性具有の王者とか全然出てこなくて、少年たちが男の子たちが夢見てるみたいな感じの、そういった様な世界が広がっていて、これはおっと思うんですよね。
例えば、宇野さんがおっしゃたように、土方巽とアルトーというとすごい大問題のようにみえるんだけれども、そこ注意しとかないと実はちょっと『病める舞姫』位相が違うんじゃないかなぁって感じがすごいしていて。宇野さんは「明るい」っていう風に言いましたけど、明るいって言うのも一義的にパーっと明るいだけじゃなくて、闇のなかに、薄ぼんやりと明るい、それから変な、何かね、男の子たちが、夢見る男の子たちが飛び回ってるという様なそういったようなところもありますし、ともかく『ヘリオガバルス』の修練されていく一つの凄い力に向かっていくというのは、実は『病める舞姫』にほとんどみられないんですよね。
だから、ある種のアルトーの需要っていうのは土方さんの中でも何層もあって、恐らく一番アルトー的『ヘリオガバルス』的に生きちゃったのが『肉体の叛乱』で、以降はやっぱりまた違った位相に変わってくるんじゃないかなっていう感じがします。
- 八角
- 『病める舞姫』のインターテクストということで言えば、おそらく細かく調べれば色々あるのでしょうけれども、単純にいわゆる影響という形で語れるようなものではないだろうということはあるかと思います。
他に先ほどのレクチャーに関していかがですか?
それでは私の方からいくつか質問するようなかたちで進めたいと思います。
まず安藤さんにですが、ブルトンやアルトーが生まれたころに映画も生まれたんだという話を強調されていましたけれども、例えばアルトーは1920年代に映画に深く関わって、俳優としていろいろな映画に出演したり、シナリオを書いたりしているわけですね。それはアルトーにとって重要な経験だったし、その後の「残酷演劇」の提唱にもつながっていく。そこで、土方巽と映画という問題についても少し話していただければと思うんですが。
- 安藤
- そうなんですね、実はちいつもですね、準備しすぎて空回りするんですね。映画のこと一生懸命言おう言おうと思って、結局一言も言わなかったんで、ありがとうございます。
実はアルトーと土方巽を比較するのは、テクストも重要なんですけども、やっぱり映像に写って、変なものを書いた2人っていうのを自分自身が被写体になって、尚かつものすごく他に誰も書けないようなテクストを書いた2人っていうようなことで、アルトーと土方を比較するとすごく何か見えてくるんじゃないかというような感じが非常にするんですね。
みなさんもよく経験あると思うんですけど、例えば鏡で自分の顔見たりとか、今、喋ってる自分の声を自分で聞いたりとか、そういったものを機械を一回通すと全く別人になっちゃう経験ってありますよね。恐らく映画ってかなり大規模に他者の経験っていうのを導き出してきたんですね。
土方巽、アルトーもそうなんですけども、やっぱり名作ですよね『裁かるるジャンヌ』とか、そういったかたちで非常にやっぱり映画監督がですね、アルトーを使いたいとか、そういった風な形で非常に特徴ある映画に出ていて、実は土方巽のフィルモグラフィーってのも非常に面白くてですね。本当に両極端なんですよ。
もう一つ、ブルトンとアルトーが生まれた1896年に日本で誰が生まれてるかというと、江戸川乱歩が生まれてるんですよ。全く同じ年に。そうすると、なんとなく見えてくるんじゃないかなと思うんですね。乱歩的な世界って言うのもおどろおどろしいんですけど、非常に鏡とか迷宮とかそういった様な部分で非常にある一部分すっごいマシンの世界。それからレンズの世界。そういったような世界が、平行してるんですね。それなんかとアルトー、ブルトン、江戸川乱歩という3人がこう一緒の年を経てると考えていくと、とても面白いことが見えてくるんじゃないかなと思って。
そして尚かつ必然的に1968年で『ヘリオガバルス』を演じた土方さんをそのままフィーチャーして、1969年に江戸川乱歩の『パノラマ島奇譚』と『孤島の鬼』っていう乱歩の小説の中でも一番強烈な世界を一緒にした石井輝男監督の『恐怖奇形人形』の主役に土方、主役じゃないんですけども一番その奇形人間たちを生み出す総元締めみたいなかたちで土方巽をフィーチャーされるんですね。
僕、これ非常に面白くてですね。もう一つ本当に晩年ですけど、小川紳介っていうドキュメンタリー作家が『千年刻みの日時計』っていう映画を撮るんですけど、ドキュメンタリーというとみなさんフィクションと別物と思うじゃないですか、完全にフィクションなんですね。
そのドキュメンタリーなんだけども、最初生物の成長が描かれると思ったら民話の世界が入ってきて、何故かそこに突然、土方巽が出て来るんですよ。なんだこれっていう様な形の作品で。
小川紳介は最晩年、ロバート・フラハティーっていうドキュメンタリー作家の本を翻訳しながら撮ってて。つまり現実と虚構、真実とフィクションみたいなものが、なんか映像で一体化してその写ってる自分の映像と演じている自分、要するに分身みたいに分裂してくっていうか、そういったような感覚っていうのは恐らく私は実証出来るかどうかわからないんですけども、土方巽にとって映画体験というのは非常に重要だったんではないのかなと思ってるんですね。
何処までその重要性を客観的に明らかに出来るかというのはほとんど自信がないんですけども、ただやっぱりアルトーも写ってることによって『裁かるるジャンヌ』に出てるアルトーとかをみてアルトーの晩年とかを考えると、映画でやってることが生きちゃってるなみたいな感じがしないでもないんですね。
つまりなんかそうやって機械にとらわれちゃって、自分が分身を演じることによって分身そのものになっちゃうというか、なんかそういった世界も土方さんを考える上で、非常に重要なんじゃないないかなと思います。
それと、宇野さんは土方さんと直接お会いしている世代なんですけども、私とかになると、お亡くなりになってから土方巽をどう考えていくかというようなところで、やはり言葉と映像っていうのが私にとっては一つの大きい手がかりになるんですね。
例えば、今ちょうど土方さんの直接お会いして、そして直接教えを受けた方々、一緒に踊った方々、それから土方さんと言葉を交わした人たちの土方論とそれ以降の映像、イメージと言葉だけから土方巽を論じるということが果たして、どこまで整合してどこまで不整合になってくるのか、そこからどういう解釈が生まれて来るのかというようなところが私は非常に興味を持っているんですね。
土方巽はもちろん舞踏家ですので身体の人なんですけど、身体という様なものが果たして滅び去った後も身体という考えることが出来るのか。言葉とイメージから身体というのは復元出来るのか、それとも身体という概念を全く新しく変えていった方が良いのか、そこらへんはまだ全然答えがでないんですけども、そういったようなかたちで映画とアルトー、映画と土方巽みたいなことを考えたんですけど。
- 八角
- 映画の話をしたのはですね、今、安藤さんがおっしゃったようなこともあるんですけど、今回、3日間映像をみて改めて思ったことが幾つかあったんです。
まず昨日も稲田さんの話でフラグメンテーションということが出てましたが、映画というのは基本的に断片化の装置ですよね。身体を断片化してしまうというのが映画装置の初期の大きな驚きの一つで、最初期の映画は基本的に人間を映すと全身が写っている、あるいは少なくとも全身を前提としたものが写っているんだけれども、だんだん身体の部分を部分として容赦なく映し出すようになるわけです。そうすると当時の観客は、映画というものは人の体をバラバラにしてしまう非常に残酷な装置だというふうに感じたと言われています。そのバラバラにしたものをまたつなぎ合わせてトータルな身体のようなものに見せるということを映画はやっているんですけども、そういった映画という表象の基本的な原理と、土方巽のコレオグラフィーを重ねて考えることが出来るだろうということが一つです。
それから、今回上映している映像の中で、初期の『肉体の叛乱』とか『バラ色ダンス』はフィルムで撮られていたので、サイレントの映像に音楽が後から付けられているものが上映されていたわけですね。その後にビデオで同時録音で撮られたものを見ていて思ったのは、昨日も話題になっていた土方の音楽の使い方に関して、無声映画に音楽を付けているみたいな使い方だなというふうに思ったんですね。
つまり、音楽に合わせて踊りを作っているわけではなくて、音楽以前に踊りは踊りとしてもう成立していて、そこになにか別の要素をさらに付け加えているような印象を受けたわけです。これも映画の基本的な原理というか、最初の驚きの一つは、声や音が奪われているということだったわけですね。リュミエールの映画に最初に接した観客の中には、そこに音も色彩もない灰色の死の世界が現れていると感じた人もいた。そういう死の世界をずっと観ているということが耐えられないというところから、すぐに映画に音楽が付けられるようになったのかもしれない。つまり無声映画と言っても、完全にサイレントの状態で観ていたわけではなくて、最初期からすぐに音楽の生演奏が付け加えられていったわけですね。さらに言えば、映画というのはいわば身体と声を分離してしまう装置でもあったわけで、そのことを昨日話題に出ていた声の問題とつなげて考えてみることもできるはずですけれども、そんなことをもふまえていかがでしょうか。
- 安藤
- まさにサイレント、映画ってサイレント長いですもんね。あと、本当にみんな映画に狂ってくるじゃないですか、だからブルトンにしろ、アルトーにしろ、乱歩にしろ、みんな。日本でいうと谷崎潤一郎もそうですし、折口信夫も古代人だ、古代人だ言いながら映画を観てるんですよね。それで、自分の『死者の書』ってのは、要するに映画を作りたかったんだというようなことも言ってるんですよ。だから何か、僕だと大きい問題として答えられないので宇野さんに何か一言お願いしたいなと。
- 宇野
- ややこしくなってきたね。
映画の問題であると土方さんが、かなり遠ざかってしまいそうなんですけど。土方さんの『恐怖奇形人間』っていう映画は、僕はすっごく困ります。神話化する訳じゃないけど、とても高く高く評価して、これからも読み続けようと思っているのですが、『恐怖奇形人間』の中で、台詞を結構言ってるよね。怨念の固まりの様な男が女房に裏切られたんでね、それでもう自分が奇形で生まれたから、それで裏切られたという話ですよね。世界中に奇形人間を増殖させる、この世の世界を奇形人間で一杯にしてやるというような、すごい発想。まぁこれ、江戸川乱歩の発想なんですけど。さっき部分対称ということでバラバラっていう事の意味が全然違っているね。
これは僕が飽きるくらいに言って、ドゥルーズ、ガタリを紹介する文脈でも「器官なき身体」をずっと使ってきました。アレンジメントという言葉と同じように「器官なき身体」を応用するわけじゃないと、いつも言うようにしてます。つまり、「器官なき身体」っていう、一つの身体に対する等位であって、その無数のケースがあり得るという。
スラヴォイ・ジジェクという人が『身体なき器官』とい本を書いて、ドゥルーズ、ガタリを評価しながらも、批判してるんですけど、「身体なき器官」というのはドゥルーズ、ガタリもちょっとは言ってるわけですよ。「器官なき身体」がひっくり返って「身体なき器官」になっちゃったケースが『恐怖奇形人間』じゃないかなて思ったりもするんだけど。
今回、映像を観てますから映像の問題というのは触らないで済ませるわけにはたぶんいかないと思うし、「風の景色」というのはビシっとカメラを据えてモンタージュのある映像作品なわけで、他ではない土方さんの表情が見えます。生きてる土方さんが、映像とどういう関係を持ったのかというのは研究に値することだと思いますけども。当時の映像技術の問題もあるけど映像を残すことに関して、かなりルーズであった土方さん、自分が出ているのにもね。パフォーマンス映像を残そうと思えば残せたでしょうけど、かなりルーズであった。
一方で『鎌鼬』という写真の非常にフォトジェニックな土方巽を見て、昨日、イメージという言葉が出ましたがイメージの問題として絵画が大好きなんですね。絵画無しの土方巽表現ってのは無かったと言ってもいいでしょう。そういう土方さんのイメージの関わりということを考える。
でも『病める舞姫』さっきと同じこと繰り返しますけど、ほとんど風景以前の風景。つまりイメージ以前の世界が延々と繰り広げられ、土方巽の知覚の世界では、捏造された子供の世界ではイメージでイメージでないというかね。そういう遅い世界ではないというところがあって、土方さんの体質の中にはイメージはいらない、イメージを拒否するような土方巽がいる。映像とかも、写真とかもどっかでそりが合わないようなものを持っている。映画に出る時は自分でモンタージュまで全然コントロールしてないはずですから。かなり無造作な付き合いを、一生懸命演じてはいますけども、していた土方巽がいたように思うんです。
つまり土方巽の中でイメージというのは非常にパラドクサルな問題として存在して、しかも例えば『正面の衣装』という昨日観た作品のなんか、タブローですよね。ひとつひとつタブローを作り上げてる土方巽がいるわけですから、表現者の中にはそういうパラドクサルな緊張というのはあって、むしろパラドクサルなものが想像力になっていくということがあるはずですから。
土方巽のイメージの問題ってそういう感じがするわけです。映像になっている身体というのは、今はそれしか無いわけですから、たとえばニジンスキーの『牧神の午後』、そのほぼ大体を再現したというオペラ座のダンサーの映像なんかも観ることできますけど、ニジンスキーはこんなんではないだろうって思うわけですよね。オペラ座としてはいろんな資料に基づいて再現している非常に技量のあるダンサーがやっているわけですけども、ニジンスキーのは、やっぱり文章、日記というのがとてつもない素晴らしい表現で、かなり手がかりになるんですよね。
僕は最初、土方さんと出会った頃、ジンスキーにもとても興味がでてきて文章を書きましたけども、もちろん手記だけに頼って書いたものなんですね。映像しか無いわけですから、その映像から我々映像を観ながらパフォーマンスだと思ってそれを再現するわけですけども、もちろん映画、映像と演劇、映像とダンスというのは、仲良くなることもあり得るけど、非常に対立するもので、たとえば太田省吾さんの『水の駅』の映像なんかもありますけども、じーっとゆるやかな歩行を集中してる時に、やっぱり舞台の感じを与えようとしてカメラをモンタージュする、こう写ったものを横から映すと、もうパーッとその緊張感が全部無くなってしまうわけ。そういう映像の操作って実に危険な、肉体に対して非常に無自覚な操作をやってしまうことがあり得るんですけど、今度はやっぱり映像が、映画が作り出してきた新体制という限りなく面白い問題があって、アルトーもそのなかにアルトーの映画論というものがありますけども、それをやると、あと2時間くらい…。
- 安藤
- 土方の全集を作った時に面白かったんですね。今慶応にある舞踏譜とかって、あれ資料になっちゃうと、なかなかちょっと大変じゃないですか。
だけどもスクラップブックがぼそっとあるような感じで、ベタベタベタいろんなシュールリアリズム関係の気に入った画家たちの写真が新聞のスクラップみたいに貼ってあるんですね。これ面白いなと思って。こういう様な形で、日常性と複製性はおかしいですけど、要するにオリジナルの画っていうよりは、気に入った画集からペラッと剥がしてきてポンと貼っちゃうていう。今、宇野さんがパラドクサルとおっしゃいましたけど、なんかすごい安っぽい複製からものすごい身体が出来上がってくるっていう、あれはすごく舞踏スクラップ、設計図みたいなスクラップは非常に面白かったなぁていう感覚があるんですね。
その問題と映像の問題っていうのは繋がってきて、あとまたちょっと話がずれちゃうかもしれないんですけど、『病める舞姫』をどう読んでくか。今日、宇野さんがアンチ回想っていうようなことをおっしゃいました。で、私も例えばこれ自伝的な幻想風景って言われてるんですけども、確かにそういう面はあるんですけども、恐らく自伝的な幻想風景を完結させる為だけに『病める舞姫』を読んでっちゃうと、重要なものを逃れてしまうんじゃないかというような感じがするんです。
記憶、自身の記憶を思い返すというよりは、一旦、自分の固有の記憶を忘れちゃって、そこから新しいものをどうやって作れるのかっていうそういうようなところにたけている様な所もある様な気がするんですね。それで全体の大きい問題である言葉と身体ということからすると、この『病める舞姫』は、すごい緩やかなスピードで動いてたり、突然断絶したりとか、そういうスピードを読んでると、確かにここから土方の舞踏があることは確かなんだけども、踊る身体と言葉の列っていうのはそんなに簡単には結びつけられないなっていうようなことを感じて仕様がないんですね。
だから、土方の人生を再構築する様なかたちで舞姫を読まないほうが良いと思うし、「舞姫」というのを直接土方の身体に結びつけると非常に危険なんじゃないか、という感覚がすごくあって。それでは土方の言葉をどうやって捉えていったら良いのかというようなことで、今日、宇野さんがアンチ回想の子供がそのまま物語とか風景を作る以前のものを観るっていうことは、私にとっては刺激で、そういう風に読み解いていけば、確かに見える風景というのがあるなという風に思いました。
- 宇野
- アンチ回想ですか、回想じゃない回想って言いましたけど。でも子供がこんなことと考えるなんてあり得ないということがいっぱい書いてあるわけですよね。そういう言葉を使うこともあり得ないだろうっていう、もう一度、やっぱり大人が書いたものなんだけども、大人が子供を回想するという構造は完全には厳密に退けられているっていうね。そういう不思議なもので、初めてなんとか説明を試みたんですけども、まだまだ言葉が足りないと思っています。
土方巽の『病める舞姫』を一生懸命読んでこれから演劇作った人がいるわけです。まぁ演劇の様なパフォーマンスですよね。これからまた何かする人が出てくるでしょう。僕の知り合いのカナダのモンプチさんという、土方さん大野さん、田中泯さんらからかなりいろんなことを学んだ人が『病める舞姫』をやりたいと言ってます。でも、『病める舞姫』が訳されてないから読んだこと無いんだと思うんですね。どうもそういう人がでて、これからも出て来るんじゃないかと思うんだけど、『病める舞姫』をダンスにすることなんて出来ないと思うわけですね。
じゃあ土方巽がしたのかというと、あの時代の芦川さんが踊るパフォーマンスは、読めば読むほど、なんか浮かんでくる、浮かんでこないっていうのがあるんだけど、浮かんでこないというそこからあれだけ正確な、ある種厳密に組み立てられたイメージが出てくる。イメージとあえて言いますけど、映像で観たらその間の関係でどうなってるのか、『病める舞姫』から全然別のものが出てきても良かったんじゃないかと。だけど土方さんの中ではちょっと矛盾するような、『病める舞姫』をずーっと読んでいくと、あんな踊りになるわけが無いじゃないかって思うこともあるんですよ。
だけど、土方さんと身体と思考とダンスと全部一緒ではないと思う。それぞれ少しづつ、ずれがあると思うので、バラバラなことを前提として追求していってもいいんじゃないかと思いますけどね。
- 安藤
- それともう一つ『病める舞姫』は基本的に複数の手が入ったテクストですよね。ここらへんっていうのはすごいアクチュアルな問題を突きつけられてると思うんです。我々、土方巽、土方巽って言ってますけど、この成立には、稲田さんとかが明らかにしていただきましたけども、完全に複数の手が入ってるんですね。
土方さんは口実筆記したりいろいろな人が切り貼りしたりとかそういった様なかたちで非常に複数の手が入っているこのテクストっていうようなものと、どうしても我々は土方巽っていう作家性に修練させてしまうんですけど、実はものすごくそういったようなことを拒否するようなテクストでもあるわけですよね。
正に断片性であり、自己と他者がなくなっちゃてるような、そういったようなテクストをどう相対的に評価していくかっていうことは、すごい突きつけられるなっていうような感じが、この作家性って『病める舞姫』の中のどこにあるんだろうかっていうようなことで、それをどうやって考えてったらいいのかというようなところが文学の世界なんてまだ作家信仰がすごい高いので、作家という個人にどうしても修練させてしまいがちなんです。そういったものに非常にアクチュアルな問いを突きつけられるなっていう様な感じがしました。
- 宇野
- それもとても重要な問題と思いますけど、土方さんは大変ユニークで特異であり、大変協同的でものすごく評説家である人であった。詩人たちの詩を暗記していましたし、彼はものを書く人が大好きで、しょっちゅう周りに居てもらいたかったって、いうそういう人でもあって、ものすごく物書きの友人を大事にした人なんですよね。普通の作家と詩人たちはたくさんいましたけど、かなり違うテキスト生成の形ってものがあって、それが矛盾してはいなかったっていう。
土方さんの声っていうものが複数の声であるってことと、どう『病める舞姫』を最終的に土方さんが見届けるか。三好豊一郎さんが手を入れたとしても、ゆだねてしまったわけじゃなくて、最後やっぱりみてるわけで本の完成も。生きているうちにきちっと見届けてるわけですから、全体としてはきちっとコントロールされたものとも思いますけどね。
- 八角
- 今日は3日間の締めくくりでもありますし、6月からの研究会の締めくくりでもあるので、研究会のタイトルにもなっている「言葉と身体をめぐって」というところになるべく話を戻していこうと思います。
今おっしゃたように、土方巽の言葉とダンスがストレートには繋がらない、あるいは完全に重なり合ったりはしないということは前提としても、にもかかわらず何かしらの関係をしているとすると、それはどういうことなのかということですね。何度かこれまでも話題に出ながら、もう一つよくわからないところもあるのは、たとえば舞踏譜の問題にしても、具体的な創造の場で土方巽が発した言葉が、どのようなプロセスを通して舞踏作品になっていったのか。それは実証的な課題であると同時に、そこに言葉と身体の関係をめぐるどういう土方の思考や方法を見出せるかということでもありますけれども、宇野さん、そのことでお考えになっていらっしゃることがあれば。
- 宇野
- 難しいから、国吉さん答えて。
- 八角
- もちろんそんなストレートに答えられるような問題ではないでしょうけれども、素朴な話でいうと、例えば『病める舞姫』を読みにくいというときに、あるいは昨日の森山さんの言い方だと、どう読んでいいかが明示されていないテクストだという時に、そのこと自体が、まず何を意味しているのかということですね。
確かに読みにくいかもしれませんけどちゃんと日本語で書かれているし、おおむね構文的におかしいわけでもないのだけれども、それが読みにくいというのは、例えばその言葉が意味するものが何かしら一つの像を再現するようなものではないということなんですね、たぶん。
しかしそれは読めるように書かれているし、「意味」はあるのだということです。それをふまえて、土方がダンサーに言葉を与えるというプロセスを考えてみると、これは具体的なこともお聞きした方がいいんだと思いますけども、そこでは一体、言葉によって何が伝えられているのだろうか。改めてそれを問い直してみたいということがあります。
さっきの映画の話をそれにちょっと繋げておくと、映画に出演するというのは非常に奇妙な経験で、舞台とはまったく違う。一応シナリオはありますけど自分が全体の中でどういう役割を果たし、最終的に作品がどうなるかというのが分からないわけですね。つまり、決定の主体みたいなものが完全に外側にあって、自分は単なる素材になってしまう、あるいは物になってしまう。おそらく土方巽にとっての映画出演というのはそういう経験だったと思うのです。昨日か一昨日か、芦川羊子さんはすぐ人形みたいになっちゃってすごいというような話が出ていましたけど、人形になってしまえるという身体のあり方と、言葉がそこに外側から与えられていくことの関係を、そういうところからも考えてみたいのですがどうでしょうね。
- 安藤
- 純粋にですね、土方巽が舞踏家であるということを捨象して『病める舞姫』だけ読んだとして、僕が最初に読んだ経験はそれに近かったんですけど、具体的に知らないわけですからね。『病める舞姫』を純粋にテクストとして差し出されて読んだとすると、実は僕はそんなに読みにくいテキストじゃないんですね。
つまり、ここにはなにが描かれているかというと、とても奇麗なことが描かれている、奇麗っていうと語弊がありますけれど、例えば虫の生態でアルトーか、宇野さんおっしゃたような少年たちの回想でアルトーか、それからおびただしい小さい鳥がですね中空で蜜を吸っているとか、シーンシーンってのは実は非常に鮮やかなんです。ただ、それが繋がってないだけで、シーンシーンとしては非常に鮮やかでありますし、それがまた、ぶつ切りでもないんですよ。徐々に徐々に言葉によって変容してくる。まさに言葉をオブジェのように使いながら、固定したオブジェじゃなくて、それが変容していったりして純粋に書き手、土方巽を全く知らなくて『病める舞姫』だけを読んだとしたらどういうことになるかというと、意外とちゃんと読める。
逆に最後が余計に感じるんですよね。黒マント白マントのところが。これはちょっと作り過ぎだろうって。つまりそれまでの持続と全然違う感じがすごいするんですんね。黒と白があって歌を歌ったりとか、これはちょっと余計じゃないかっていう様な感じが、僕なんかはすごいするんですね。その前までの方がやっぱり全然いい、いいって言ったらおかしいんですけど、どういう評価を下されるのかと言ったらば、例えば文学の新人賞に応募してきたとするじゃないですか。そしたら最終選考まで絶対残ると思うんですね。この言葉の使い方はただ者じゃないと。でも最後が余計だよねっとかですね、そういったようなかたちの評価が恐らく下されるんじゃないかな。「誰もこんなの書けないよね」とか言って選考委員たちは「最後が無きゃこりゃ天才だな」っていう様な感じの評価に恐らく落ち着くんじゃないかと思うんですよ。分からないですけども。
そういった意味で純粋にこの言葉の持続、それからその言葉で描こうとしたもの、このイメージは非常に明確だと思うんですね。そこに描かれてることも明確です。少年たちであって、そして虫への変容、人間じゃない物へ知覚の変容であって、そういときのどういう光景がみえてくるのか、それは非常にある種絵画では描けない光景なんですね。非常にどっかなんかわかんないような場所に、それこそさっきの一説じゃないですけど中空に花が浮かんでて、そこに鳥とか蝶とか蜜を吸ってるみたいな、つまりなんかにどっかに浮遊してて、徐々に変容してくっていうそういったような世界がここに描かれてるんじゃないかなぁと感じがするんですね。
これもまた微妙な比喩になってくると思うんですけども、例えば折口は『死者の書』しか一冊しか残してないんですよね。折口信夫の業績全部無くして『死者の書』だけ読んだら、どういう評価ができるかというと非常に似た評価になると思うんですよ。所々にはすごいイメージがあるけど、なんかその繋ぎ方が素人っぽいっていうか、詰め方というか最後の落とし方が素人っぽいというか、何か恐らくそういう様な評価に非常に似てくる評価になってくるんじゃないかなという感じで、素人っぽい繋ぎも含めて、多分恐らく通常の書き手には書けないものなんだと思うんですよ。折口信夫が『死者の書』しか残してないのと同じ様なかたちで、土方巽はひょっとしたら僕は『犬の静脈に嫉妬すること』っていうのも大変好きですけども、この『病める舞姫』っていうのを唯一の作品として読解していくのかって。
それでその時は恐らく、変に作り込んでる部分を全部そぎ落としちゃって、近くの物語、世界を把握する一つの方法としての記憶、それから変身、そして人間じゃないものに変わること、そして中空にかかっているオブジェ、そのオブジェがどう変容していくかそういったようなことで純粋言語作品として読み解けるんじゃないかなというふうに思います。
言葉、僕の専門である言葉の、専門でもないんですけども、言葉からどう読み解いていくかというと恐らくそういう評価が下されるんじゃないかというふうに思われます。
- 八角
- 実際、テーマ的にも、方法的にも、現代文学のいろいろな作品と通じるところがありますね。もし『病める舞姫』を一つの小説として手渡されたとしたら、ある意味で現代小説にはもっと読みにくいものが他にもあるわけだし、そんなに読みにくいとは感じないかもしれないですね。
- 宇野
- 選考委員としての立場でなくて話しますけども、『病める舞姫』のかなり多くの部分がいわゆる稽古ノートと言いますか、舞踏譜と言われているものとかなり合致しているものがあるんだと思います。『病める舞姫』全体がそういうものだ、という風に考えても良いと思うんですけれども。
いずれにせよ、最初のですね、煙虫とか、そげた腰とか、そげた腰やってみるとかね。一つ一つ全部やってみるというのは、心もあるでしょ。それ一つ一つイメージを与えてるものというふうに。
しかしこれ、実際にはほとんど無理なはずですし、遠くから動きのヒントになるというような手がかりにはなりうるだろうけれども、これはまぁ踊る方が、答えた方が良い問題でもありますけれども。そうすると、この言葉というのはむしろ、土方さんの子供を捏造して、探求した世界の、あるスピードとか、異様な速度で、計れない速度と言いました、
計れない、モノになら無い、イメージにならない、モノ。モノで充填された世界というのを、身体で、動きで実現するということになると思う。だから、その時やっぱり一つのパフォーマンスが出てくるってことは、今では考えにくい事だと思うんですね。
ですから、やっぱ言葉と身体という事の関係をめぐっても、『病める舞姫』の中でどういう事が起きてるかってことは、これは批評するものとしては、言葉を尽くしてね、もうすこし。稲田さんも心得ておられますけども、まだ、いろいろ考えるところがあるんですよね。僕自身も思ってるんですけれども。
今度は土方さんの『禁色』とかですね、そのあと『バラ色ダンス』とかって世界で、その当時に書いてた、かなり革命的な文章、二人の反乱ですから、労働する身体、批判を書いてる訳です。ジャン•ジュネの犯罪舞踏なんて言ってる訳です。犯罪、悪へのオマージュとかがある訳ですけども、そこでもやっぱり土方さんその言葉から、その言葉とダンスがはっきり繋がる回路を持っていたと思うんです。やっぱり土方さんが子供として、異様な子供として持っている世界に届くような言葉っていうのは、『病める舞姫』で実現されたもので、それまでは、土方さんまだ、なんて言うのでしょう、見事な評論が書ける人なんですね。だからある見事な評論、非常にユニークな勢いのある言葉で、屈折の多い言葉で、書いてありますけども、そういう意味ではまだ、言葉と身体というものが、遊離している、そういう世界を生きていた。それが、その厳密さを求めれば求める程、『病める舞姫』のようなものになり、引用を辞め、肉体とか身体とか言わないで体という言葉を使い、というふうなそういう言葉と身体の距離が見事に、やっぱりそこで変質していったのかなという。
- 八角
- 『病める舞姫』の言葉の使い方の特異性というのは、一つには言葉が喚起するイメージがユニークだというレベルがありますね。例えば最初の方で「煙虫」といわれると、「煙虫」という虫が本当にいるのかどうか分かりませんけど、なんかそれなりにイメージが浮かぶかもしれない。ところがそういうレベルだけではなくて、さっき宇野さんがお読みになったところで、例えば「私の少年は――」という言い方が出てきます。これはかなり引っかかる言葉で、つまり一般的な回想録であれば、「少年時代の私は」というふうに言いそうなところなんですけど、これはおそらく「私の少年」でなくてはいけないはずなんですね。したがって、例えばその「少年時代の私」ではなく「私の少年」というのが一体なんだろうということを読んでいくのが、『病める舞姫』を読むということの重要なところになるわけですし、例えばそういうことが身体の問題とどう関わるのか、関わらないのかというようなことも考えてみたいのですけれども、他のメンバーの方もぜひご発言ください。
- 森山
- 今の『病める舞姫』のところでちょっとなんか触発されるところがあって、また読み返しながらお話を伺っていたんですけれども、まさに「私の少年」みたいな言い方でもそうですけれども、言葉自体が凄く即物的なものを持っていて、たとえば、『病める舞姫』というテクストで、「・・・のような」という言い方が凄くたくさん出て来る。あまりにたくさん出て来るので、全部数えてみた事があるんですけど、この全集版の河出の全集版の第1巻の58ページから59ページの見開きにかけては27回、56ページから57ページにかけては22回、・・・という感じです。
昨日、私の発表のなかで、正確なイメージ、という言葉を使ったところがあります。その言い方自体が、正確に事態を言い当てているかどうかはわからないのですが、とりあえず土方の「正確さ」って言葉の使い方に注目してみた。そこに自分が引っ掛かったのはなんだったのか、と思いながら、いまあらためて『病める舞姫』をめくっていたら、例えば、これは本当に一例にすぎませんけど、「四」の冒頭の文章に、「焦げた煙のようになって私たちは歩いていた」、っていうフレーズがありますね。まさに「・・・のような」が使われているんですけれども、なぜかそれが非常に鮮明なイメージを結ぶな、って言う風に私は思うんです。
何故それが鮮明なイメージに結ぶのかって考えた時に、普通の比喩の場合だと、「AのようなB」というときは、AとBの関係が安定する、というか、調和している訳ですよね。でも、土方の「焦げた煙の様な私たち」っていうのは、明らかに「焦げた煙」の方が強い、って感じがする訳です。
ですから、「焦げた煙のような私たち」って言っているけど、実は「私たちは焦げた煙だ」っていう断定している感覚のほうが強く出てきている。普通は「・・・のような」というのは一種のクッションなんですが、『病める舞姫』の場合は、クッションがあるにもかかわらず、クッションがとっぱらわれているかのような、ほとんど直喩に近い響きがある。イコールでいきなりガチャッと結んだような、感じ。そうすると、「焦げた煙のようになって私たちは歩いていた」っていうフレーズが、読んでいる意識のなかでどのように見えてくるかというと、いってみれば、「私たちは焦げた煙だ」というひとつのショットと「私たちは歩いていた」というもうひとつのショットのモンタージュの様に見えてきて、そのモンタージュの効果とリズムの効果を担っているのが、「ような」という一語なのではないか、と思いました。
だから「繋ぎ」っていう事ですよね。さっき安藤さんもちょっとおっしゃっていたように思いますけど、そのことと、踊ることが、どう関係しているのかってところが面白いなあ、と思います。動くという事、つまり、AからBに移り変わるっていうのは、実際にAというのがあってBというのがあり、その間を繋ぐっていう場合もあるし、もっと連続的な移り変わっていくという場合もありますから、両者はいつでも同じように扱えるわけではないですが、しかし「イメージの繋がり」っていうところは、当然映画の編集っていう問題とも関わってきます。その辺りのところから、いつでもいろいろなことを私自身も読んでいて何度も何度も触発されているのではないか、ということを、今の話を伺いながら思いました。
- 田中
- 例を挙げて分かりやすくしようと思っているんですけど、僕は土方さんから直接教えを受けた事がある。今、安藤さんのカテゴリで言えば、そういう立場から言いますと、やっぱり『病める舞姫』と「舞踏譜」っていうのは、直接関係ない。
例えばこの、焦げた煙のようになって私たちは歩いていたと、今、森山さんの話にもあったけど、例えば舞踏譜を振り付ける時にですね、歩いていてみて下さいと、焦げた煙の様に歩いてみて下さいとまず言いますね。焦げた煙の様に歩いて下さい。これはイメージとして分からないけど、これやってみてくれって言うと体が反応するものです。なんかやってみようと、そうすると何か見えてくる。そうすると次にお前は必ず死ぬのだからと、指導言語が来る訳です。振りつける側と振りつけられる側っていうのは、例えば振りつける側とは、ある言葉を提示しますと、振りつけられる側は体が反応しますね。そのとき振りつける人が、先ほど、宇野さんの言葉で言えば観察してる訳です。振りつけられた側の反応を観察します。よく観察します。すると次に最初に反応した事から二次的にアレンジメントとして見えてくるものがあるのですね。するとアレンジメントを材料にして、次のその指示を与える、そういう風にしてアレンジメントを展開さしていく訳です。そのときアレンジメントを展開させるのは、確かに実現してるのは、振りつけられる側ですけど、それを見てですね、実現の展開を自分で見てるのが振りつける側です。振りつける側というのはその、そこに自分が思った指導言語が実現するのも見るし、なんか引きつけられてそれから展開するものも自分で見る訳ですね。そこに2つの視線が働いている気がします。自分はいわゆる振りつけられた内容を実現するのを自分で見るって言う事と、その次の展開を自分の中で見るって事です。で、もう一方振りつけられる側の方は、まず自分で反応を示します。その次に振りつける側の次の指導がある訳ですから、振りつけられる側の意図もそのとき見る訳ですね。そういう風に2種類の視線が交わって次のアレンジメントが展開するというようなやり方で舞踏譜っていうのは働いていく訳です。つまり2人の人間がいて、2人の人間がいないと舞踏譜っていうのは展開できないんじゃないかと。
先ほどの『病める舞姫』の、少年とは何かって事なんですけど、これは僕の独自の読み方なんですけど、ここには土方の少年と言われる人がいる。どっちかというと土方が語るときに、土方の少年の方が優位に立つ時があるかもしれない。すると土方は土方の少年の何かしら姿から指示を与えられている。というような気がする訳ですね。そうするとそれに反応して土方が反応しますと、土方がまた少年の方に指示を与えるという、そういう呼応関係があって、『病める舞姫』って文章が展開していってる気がしてくっていうような気がしてる訳です。
というのも、これ読んでみると、私の少年だけでなくて、主語が私の少年なのか土方なのか分からないところが出てくる訳です。意図的に曖昧にしている部分もありますね。だけどその1つの段落で、私の少年が主語になっているものが、なんかいつの間にか土方になっていたという、そういう展開もあります。そこではやっぱり意図的に何かこう、振りつける振りつけられるみたいな関係で文書が展開されているんじゃないかなという風に考えたんですね。そういう仕方で、春夏秋冬と季節という背景の中で、土方の中で何かが展開しているという風に読める訳です。
で、不思議な事は、さっき安藤さんも言ってらした最後の部分なんですけど、その前に少年は雪の中に埋まってしまう訳ですね。少年は雪の中に埋まってしまうって、いわゆる埋没してしまって、見えなくなると同時に母親の姿と黒マント、白マントが一気に浮上してきます。これは何かというのは僕も非常に唐突だなと思います。何か果たしてるんじゃないかなと考えますけど、でも何かやっぱり、土方さんがこうしなきゃいけなかったんじゃないかという意図を感じますね。いわゆる少年という、まあ今まで使われてる言葉で言いますと分身ですか、少年という分身が優位に立つという展開から一気に女性的なものが優位に立っている展開というのに何かこうそうしなければいけなかったという理由が、土方さんの中で何かあったのかもしれない、という風に考えられる訳です。
まあ、これは土方が何故、『病める舞姫』を書いたのかって言う問題と繋げて考えないとちょっと、分からないかもしれないですね。とりあえずそれだけお話しておきます。
- 安藤
- 確かに分身、出て来るんですよね。はい。僕も読んでてこれなんなんだろうなと、あのツインというか、自分と鏡像みたいな感じで、そういう様な関係性の中で確かに書かれているなというような感じは凄いしましたね。必ず私と少年みたいな感じの部分は、それは凄い思いました。
で、最後の部分は本当に、ただこれ最後赤マント白マント出なかったらこれどこで一体終わらせたら良いんだっていう、恐らくそういう問題も素朴にあったんじゃないかなという感じがするんですよね。これがいつまでたっても、少年、分身の少年との戯れがいつまでたっても終わんないんじゃないかっていう、そういった様な部分もあったんじゃないかなと思います。そういうところも含めてなんか構造を見ていけるとなんか面白いなと思いました。
- 宇野
- 今の田中さんの振り付けの時にどういう対話が進行するのかという話とても面白く思いました。森山さんが「ような」って、このようなってこと。僕が最初に『病める舞姫』についてエッセイを書いた時に凄く気になった事のひとつです。この、「ような」ってなんなんだろうと。そして、森山さんは直喩とおっしゃいましたけども、一応僕はむしろこれを比喩というものじゃ無いという言い方をしたと思います。
で、僕のメモの中に特に体という言葉を使って気になる文章をいっぱいメモしてあるんですけれども、例えば、「体の中で奪い合いをしているような思いを、体を遅らせる事で守るやり方を知らなかったので」とかですね。「体に漂着したものを解読している様な時間が」とか。「私の体が私と重なって模倣しているような」。「ような」を直喩であるとすれば、「ような」を取っちゃっても良い訳ですよね。
で、やっぱり詩人であれ小説であれ、文学を用い比喩というのは、ある意味イメージをしっかり固定するというか、力強く固定する、もちろんそこには飛躍っていうのがある訳ですよね。花の「ような」とか、Aの「ような」Bというような、シュールリアリズムには、なるべく予想外な、「ような」は使わないで飛躍していく技法はあったと思うんですけど、この「ような」というのはむしろ土方さんの、凄まじい速度で、むしろここでは少し遅らせて、「ような」がたくさんある。で、これやっぱり、「ような」が、比喩になっているというより、やっぱり転換していくと言いますかね、別のステージで言うと、クルクルこうやって動いてる、視線が、主体が、移ってくという、そういうなんか移行の装置というようなものでは無いかと、いう風に思うんです。直喩という言い方で良いのかなと、ちょっと思います。
それから、田中さんがおっしゃったその、これはある種対話であるという『病める舞姫』の書き方の中に、「ような」という事じゃ、それも対話の装置と言うような面を持っていて、さっき読んだとこで、私の体が私と重なって模倣しているような、チラチラとしたサインに捉えられていた。つまりこの私の体が私と、あるいは私の子供が私ととか、私の体と私の子供が、と重なって模倣して、チラチラしたサインを出し続けているのが、この『病める舞姫』という本なので、まあそういう意味では、いたるところにね、この本はどう書いてあるのかっという事のね、自己言及も含まれているという感じがします。
- 稲田
- 先程の「ような」というのは、私にとっては間のようなもの、間、あいだのようなものです。私、舞踏はとってないですけど、あらゆる踊りを今までやってきて、イメージに対して体では遅いんです。『病める舞姫』を読んでる時に、私の中でも凄くイメージというのがどんどん飛躍して、それについて体の知覚っていうか感覚がどんどんどんどんムズムズムズムズ、こう展開していくんですけど、それがやっぱ体の方が遅いんですね。付いていくのが。そこで、「ような」っていうのが入ると、間が出来るという感じがします。
先ほどのイメージという事で、昨日の質問がありましたが、例えば私にとっては、実際の体がリアルにあるものが、はみ出るというイメージが、そこで展開するスピード感のある、身体のイメージのようなものなんですけれども、もう一つ、やっぱり気になるのがシーンとしての、イメージというのがあると思って、それはその本にも出てくると思うんです。
『東北歌舞伎計画』を見ていつも思うのは、あれってやはりシーンを作ろうとしている部分がいろいろあると思うんですけれども、そこにやはり体が追いついていかないという、遅さを思うんです。シーンがなんかパッと出てきて、その次に展開するよという時に、生な体が現れるんですね、何か例えば、凧を上げていて、凧を下ろすっていうときに、イメージの中では、下ろした次の瞬間に次の像に移るかもしれないけど、やはり生な舞台の体だと、下ろすというところで、凄く時間が空いてしまってしかもその下ろすという作業は生の身体になってしまうという、それでイメージという事を、シーンとして表現する事の難しさっていうのを、私はいつもあれを見て思うので、私はイメージという事で言えば、体としてのイメージと、シーンとしてのイメージっていうのが、両方合わされているのではないかなと。
- 安藤
- あと、あれですよね、先ほど森山さんの仰って頂いたような形で、「ような」が無ければ本当に詩になってしまいますよね。詩の形体になってしまって、「ような」で繋がって展開していくからこそ、散文作品になってく訳であって、詩って言うのはイメージを鮮やかに展開していく事だったら、散文ってやっぱ時間の中で変容していくっていう問題だと思うんですね。だから比喩であり繋ぎであり、変容である、っていうような形で、「ような」っていうのが非常に印象的に使われているんじゃないかなと。
この「ような」を取っちゃうと、本当にもの凄いイメージが詩的に、詩と散文どっちが優れているのか、どっちが劣っているとかって問題じゃなくて、土方さんは、あえて詩の様な書き方は絶対してないですよね。「ような」って、下手するともの凄い素人が使う文章なんだけど、それを逆にこう繋ぎであり、変心であり、変容であるっていうような形で、もの凄く巧く使って、何かやっぱり散文でしか表現できない時間の持続の中でしか表現出来ない様な、変心のあり方を使ってるのかなという感じはする。漠然と思っていたのが、ちょっと皆さんの話で見えてきたなと。
- 八角
- 一般的な文章作法から言うと、ああいう「ような」っていうのがたくさん出てくるのは、あまりよろしくない訳ですけれども。さっき宇野さんがおっしゃったように、直喩として機能していないような使い方をあえてしているということですね。
それともう一つは、われわれもいま日本語でこうやって喋っていると、たぶん無意識のうちに「ような」という言葉を頻繁に使っているはずなんです。話した言葉を文字に起こしたりすると、すぐに気がつくことですけど、おそらく言葉の接続しないところ、接続しにくいところを「ような」でつなげようとしているんですね。それは文章を書くときには別の論理や方法がはたらくから出さないようにしますけど、日本語の無意識のところに「ような」という言葉が働いているような気がしていて、それを土方は掘り起こしているんだと思います。
- 質問者1
- 今、森山先生がおっしゃって下さった、「ような」っていうのはとっても大事で、繋いでいく、繋の言葉っていうか展開していく言葉だと思います。
ロートレアモンは「の」って、フランス語で「ドゥ」というのを非常によく使っていて、それも文法的には許されるんですよ。それで思い出すのは安藤先生が、詩とおっしゃったんですけど、なんで詩じゃ駄目なのかなっていう、詩の読み方だと思います。
有名な詩の定義の仕方いろいろあるんですけど、昔読んだローマン・ヤーコブソンは詩というのは、言語の軸、顕在化している横の軸、サンタグマチックな軸と、それからその後の現れてないアソシアティックなものを、ヤーコブソンはパラディグマチックと言ったんですけども、詩というのはパラディグマチックな軸をサンタグマチックな軸に投影していくものなんだという事で、僕は凄く巧い説明だなと思ったんです。文法的に成立しているので、やっぱり翻訳、ある意味では翻訳は可能だと思うんです。
問題はやっぱりイメージというというところなんですけれど、昨日も質問したかったんですけど、森山先生のおっしゃった正確なイメージというのが、とてもずっと引っ掛かってるんです。で、踊りの時に回想した父親が母親に暴力を加える時の歩幅っていう、そのまさに正確なイメージだけど、やっぱり歩幅って言う象徴的な言葉だと思うんですよ。踊りの振り付けの時に、やっぱりまず身体が動こうとする時に言葉として与えられないと、イメージも浮かばないと思うし、動けないので、そういう点で、正確なイメージというのは、そういう言葉の事から発生するのかなと思ったんです。
また今日のお二人の対談で、新たな疑問が浮かんだのは、映画の時に土方は、非常にルーズな撮影において、非常にルーズなイメージの撮り方、つまり心象イメージにおいては、言葉によって喚起される厳しさがあったのに、被写体として自分が撮られるものにおいては非常にその注意を払わなかったのではないかというような感想がありました。その違いは言葉による心象イメージと、それからカメラによって映し出されるもう1つの同じイメージという言葉を使いますよね、その違いなのかなと思ったんです。一応感想と、まだ考えてるところをちょっとどうしても言いたかったんで、述べさせてもらいました。
- 八角
- 映画に関しては、一番端的なレベルで言えば、土方はあくまで出演者として映画に出演していますので、それを作品として作る立場ではないですから、そこは文章を書くというのとは全然違う経験だろうということはまず確認しておくべきだと思います。それから、心象イメージとおっしゃったんですけれども、例えば「歩幅」という言葉が出てきたときに、ある具体的なシュチュエーションにおける文字通りの歩幅を思い浮かべるとして、しかしそこで思い浮かべているのは実は歩幅そのものではないですよね、言ってみれば。つまり少なくとも例えば歩幅を形成する足を除いたところで「歩幅」だけをイメージするということは基本的にはできないので、そうすると歩幅という言葉が指しているもの、イメージさせるものが何なのかということは単純ではないはずです。なおかつ「ホハバ」という言葉の音もあれば、そのリズムもある。少なくとも言葉が直接的にイメージに結びつくということでは済まないだろうということです。
- 質問者2
- 最初の方で話題になっていた映画の事なんですけれども。私は土方さんの、まあ土方さんは東京中心に公演を行って、京都では京大の西武講堂でしか公演してないんですけれども、まず観客であって、次に手伝ったりして、それから舞台にもちょこっと上がらされた事もあります。それからいろいろお話も伺った事もありますけど。
映画の事についてなんですが、私はその、京大の西武講堂で、何十年間も実験映像の上映会をやり続けていて、土方さんと一番最初にお会いした時に、映画の話をしたんです。映画、絶対たくさん見てるだろうなって思ったもんですから。お好きだろうなとも思ったんですが、はっきり言葉尻を覚えていないのですが、映画に関して非常に警戒していらっしゃいました。でもよく見てらっしゃいました。凄いお好きだったと思いました。だって、言う事がイメージをはっきりと、古い映画の話なんかもしたのですけど、わぁっと思い出されるので、いっぱい蓄積をしてらっしゃるなと思いました。が、つまり映画というものに対して、曖昧なんかじゃ全然無くってですね、非常にシビアに考えておられたと思っております。
今日の映画の中で、『風の景色』というのが最後にありまして、あれ縮刷版でしたけれども、あれを撮った監督は大内田圭弥さんという人なんですが、はっきり言ってね、土方さんは映画に撮られるのを嫌がってらっしゃいました。映画好きなのによく見てらっしゃるのに、なんで映画に撮られるのが嫌なんですか、って聞いたんですね。そしたらですね、自分は舞踏家で、一瞬一瞬を命がけで生きてる、それをいつまでも残されるってのは我慢ならないっていうふうな、土方さんの言葉通りではありませんけれど、そういう言い方をなさって、とにかく撮られるってことは、ちょっと許さんぞっていうぐらいの迫力だったんです。
でも、その前に彼は何回も商業映画には出てる訳ですね、それで出てるじゃないですかって言ったら、あ、それはまあいろいろ頼まれてねぇとか言って、そっちは軽く考えてらっしゃいましたね。実に。でも、自分が自分の作品を撮られるって事に関しては、ま、写真は一応オッケイだけど、動いてその存在の時間を残すやつについては、もう非常にデリケートでうるさくって、大変だったと思います。
で、何故、大内田さんが土方さんを撮れたかという事なんですけど、これはもうなかなか大変だったそうです。つまり、映画を撮る話をしに行った訳じゃないんですよ。土方さんと飲んでて、それはその前にも、一昨日やった映画ですね、『四季のための二十七晩』の舞台を、大内田さんが記録として残したいって言うんで、それを必死で大内田さんが撮られて、それを見て土方さんは非常に気に入った訳ですね。それで意気投合して飲み友達になったそうです。で、喋っているうちに、映画でも撮ろうかって言う事になった時に、土方さんは一応オッケイしたそうです。
だけど撮る間に、非常に紆余曲折があって、スムーズにいった訳ではなかったようです。トラブルがいっぱいあって、でも、とにかく一応完成した。それについて土方さんはあんまり満足はして無かったような感じを、大内田さんから伺いました。
で、先ほどの映画の事なんですが、映画が最初が白黒でですね、そしてもちろんサイレントです。それで部分的にバラバラに写したとおっしゃいましたけれども、映画の一番最初は、絶対、部分的に写しておりません。かなり引いてですね、登場人物の全身もしくは後ろの背景までばっちり入れて撮ってたのがリュミエールです。
1895年にリュミエールが装置を発明して、ドキュメンタリーとして撮り始めた訳ですけど、まるで映画そのものが死の臭いがするというふうな言い方もされましたが。それも1つの側面としてあると思いますが、もう1つ全く違う側面もあると思います。
それはですね、これは私は見た訳じゃないのですが、語り継がれてますが、リュミエールの列車の到着というのがあるんですよ。で、向こうからバァーっと列車が真正面向かって走って来るんですね。それを見てですね、観客がハーッて、そういう視点っていうのはカメラだからこそ出来るんで、人がそこに立っては危ないので出来ない視点で、動いてる映像がですね、スクリーンだからデカい訳ですよ。それが向こうからカーッとこちらへ向かって走ってくる時に、パリの住民たちは皆ワァーッて、キャーッていう感じで、避けたっていうふうに言われてますね。それが本当かどうかは私は知りませんが、今の3D映画みたいにもの凄くリアルだったろうという事は想像がつくと思うんです。
その証拠っていったら何ですけれども、映画史の中でドキュメンタリー映画の中で、凄く残る映画で、ロバート・フラハティって人の『極北のナヌーク』って映画があります。これは、ナヌークのエスキモーのカナダの原住民の人たちを何ヶ月も一緒に住んで、撮った映画なんですけど、普通文化人類学者というのは、行ってそれで撮って、モノでも資料でもなんでもですね、撮って来るだけ。そして自分達が考える。相手がどう思おうが、相手の気持ちがどうか、相手の文化的水準の中での言語の中で、自分達の行為はどうかって事を一切考えないで、やってきた歴史があると思います。でもロバート・フラハティはそうじゃない、それだったら全然生き生きとした映像が撮れないので、彼はエスキモーの氷の家の中に、大変苦労をしてですね、現像装置も作ってですね、出来た順番に住民達にスクリーンで写して見せていたんですよ。
そうしましたら、今まで見た事が無かった、自分達の客観的映像というのが、普通はどういうふうに受け取られるのかすら、エスキモーの人たちから聞いた訳ではないし、資料も私は分かりませんけれども、凄く受けたんですね。自分が映っているのにも関わらず、セイウチなんかを仕留めてですね、凄く必死で、氷の上に引っ張り上げて、皆で一生懸命凄い力を合わせてやる時にはですね、もう皆が一緒になってその場で映画を見ながらかけ声をかけて、よいしょよいしょと言いながらやったというふうな事が言われてます。それでもって、映画というのがこんな感じって言う事で、それから凄いフラハティは、住民の人たち、エスキモーのナヌークの人たちの協力を得られて、非常に生き生きとした作品が、これ1920年代の終わりか30年代の終わりだと思いますけど、残っております。ですから、死のイメージというよりもむしろ生きてる、そのモノを共感するというのですか、それを肯定する様なところも凄くある訳ですよ。それでなかったらどうしてたくさんの人達が面白いと思って、心を躍らしてみるでしょうか、って私は思います。
そういう事で、土方さんは非常に映像に関して、動く映像に関しては非常に神経質でシビアで、でも自分は今踊っている事はこの瞬間を主体となって、もう死んでも、私の言葉で言うのも変ですけれども、とにかくかけてるんだから、映画なんかで残してもらって、だらだら後から見られるのは困る、というふうな事をはっきりと私は聞いております。で最初ガーンとやられたんですけど、あとはだから、こちらはいろいろ舞台を手伝ったりとして、話もよくいたしました。
大内田さんの映画に、これは舞台ではなくて2人で考えながら作って行った希有の作品なんですけれども、つまりですね、土方さんの踊りというのは、いや、土方さんじゃなくても、踊りっていうものそのものがね、演劇もそうかもしれないんですけれど、アントナン・アルトーもそうですけど、つまりその場で終わってしまっているんですよ。後でいくら映像で見ても、それはですね、その事が考えるよすがにはなるが、舞台そのものでは無い訳ですね。絶対に。今日写した映像は確かにいろいろ感じさせるものありましたが、残念ながら、元の16ミリだったり、それも全部ビデオでやってるんで、もうはっきり言って非常にクリアでない映像だったと思うんですね。
それを見てですね、私が聞きたいのは、これを具体的に見て、どう思われたかなというのがむしろ聞きたくて。まあはっきり言わして頂ければ、もちろん土方さんの、土方さんにだけに限らずですね、大野さんもそうですけれど、暗黒舞踏というのは必ず、イメージというか、言葉でイメージを発して、それを受け止める人の一人一人のイメージによって形にしていく、という事で、言葉というのは非常に1つの体を持っていく、振りを作るというよりは、体を持って行く上で非常に重要なものだと思います。『病める舞姫』の事がもちろん話題になって、もちろんあれなんでしょうけど、つまり、この集まりはですね、『病める舞姫』の解説をやる会なのでしょうか。
それとも、映画もいろいろ上映してましたので、思わず言わせて頂きましたけれど、決してですね、『病める舞姫』の中にですね、全てがある訳ではないと私は思います。映像も、はっきり言って本当にね、ちゃんと残しておこうと思ったらいくらでもちゃんと残せたはずなんだけど、あるときを境に、自分の70年代から、それまではいろんな人に気軽にパパッと写させていたそうです。でもそれは自分から撮ってくれって言った訳じゃなくて、友達関係の中で良いよって、撮った人からも聞きました。飯村さんとかも聞いたんですけど、良いよって感じで、自分からに望んでやった訳では決して無い訳でして、つまり映像が今だとこれしか資料が無いので、こんな感じっていうしか無い訳ですけど、もちろん1番あれなのは消えてしまっているっていう風に私は凄く感じております。失礼いたしました。
- 八角
- はい。かなりいろいろなことをおっしゃったので、どこから応答すれば良いのか分からないのですけれども、とりあえず映画の話に関してお断りしておくと、最初から身体を断片的に撮ったと言ったつもりはなくて、おっしゃる通りリュミエールの頃は全身を撮っていたのに、あるいはそう撮るのが当然だという意識であったものが、編集の技法とともに次第に断片を撮るようになっていったということを強調したつもりです。
それから、そのリュミエール映画の反応をめぐるエピソードで、列車が走ってくる映像に驚いて観客が逃げ出したというのは嘘か本当かはよく分からない伝説的な話ですが、おそらく後になっての作り話だと思いますけれども、きわめてリアルに事物の動きが再現される、そのことへの驚きは確かにあったわけです。しかし一方で、そこに現実とは似ても似つかないような灰色の世界を見て取った当時の観客の言葉も残っていて、その両面が映画の根源的な性質としてあることは間違いありません。むしろそういう死のイメージを抱えているからこそ逆に生き生きと見せるために映画はいろいろな技法や技術を開発してきたわけですね。
それから、別にこの研究会は映像で土方巽を見たらそれで分かるというつもりで映像を見ていただいているわけではありませんし、『病める舞姫』さえ読めばそれでいいんだというふうに言っているわけでも、もちろんありません。いろいろな角度から土方巽という存在を考えていく、あるいはそこに関わる言葉と身体という問題を考えていくというなかで、実際に土方巽の作品は映像や言葉の形でしか残っていないわけですから、そこから何を考えていけるかということです。当然のことではありますが、ひとまずそのようにご承知頂ければと思います。
- 山田
- この研究会を企画しました山田です。今いただいたご質問に関連してなのですが、企画者であり、さらに踊っているものとして感想を述べます。
今回上映させていただいた、『四季のための二十七晩』も当時、観ていますし、白桃房の作品も多分全部観てると思います。
私は土方さんの弟子ではありませんで、笠井叡という舞踏家、土方さんと『バラ色ダンス』の中で共演していますけれど、その後、まあ変な言い方ですけれど、道が別れた舞踏家のところで学びました。ですから土方さんの舞踏譜はまったく学んでいません。そういう私が今回映像を見て、改めてとても良かったと感じました。それはどういうふうに良かったかなと思うと、昨日の森山さんの話にもあったように、まずはこれは多くの人たちにね、こういう見るという機会をプレゼントしていく事が重要じゃないかって事が、大前提であります。
映像を見る人が、これが現実の舞台と同じというふうに思う人は多分いないと思います。これは記録ですから。敢えて言えば、土方さんはすでに死んでいます。ただ記録の中から何を読み取って、自分にとって大切なものにしていくかっていう事が、私達の記録されたものと対面する時の態度だろうと思います。実際に、昔観た時とは昨日、少し違う印象を持ちました。『疱瘡譚』の初めとか、それから最初の群舞のシーンですね。それとは違って土方さんのソロとそれから芦川さんに関しては、私にとって実際に観た印象とかなり近かったです。特に今日は『鯨線上の奥方』を見まして、何度か映像も見てるんですけれど、やっぱり芦川さんの舞踏に凄く胸打たれました。
そこで思ったのが、じゃあ何で他の舞踏家達があまりインパクトが無いのかっていう事を思いました。それはただ技術が下手っていう事ではなくて、今日お二人の話を伺って、やっぱり『病める舞姫』と土方さんの舞踏譜の言葉は、はっきり分けて考えなければいけないんではないのか、っていうような感想を持ちました。それは、全然関係ないっていう意味ではなくて、さっき田中さんがおっしゃった事にとても共感するんですけれども、踊る相手の前で土方さんが座られて、言葉を発信していった時の速度と転換、右手上げろって言った後に、次に土の中に足を埋めろっていう、この転換ですね。全く脈絡の無いところで、どんどん言葉が体と対話されていくこういう時間っていうのは、やっぱり舞踏譜の作られてる状況の時にはあったんだと思います。舞踏譜そのものがそこで生成していくような時間。それが舞踏譜そのものとして、その言葉だけが文字になって残っていったときに、その熱っていうものが、はたして舞踏譜自体の中で持てるんだろうか。舞踏譜の言葉で持てるんだろうか。
逆に『病める舞姫』のなかには稽古で言葉を発信していった速度・熱っていうものが、言葉の断片性、舞踏譜だったからこそ生まれた速度と断片というものが、なだれ込んでるんじゃないか、降り積もっているんじゃないかという事を今日の話を聞いて思いました。けれど、『病める舞姫』から言葉をただピックアップして、次の世代が舞踏を作ろうというような事は、まずありえないだろうなと。このような言葉を前にしながら震えだすからだがもし現れてきたら何か始まるかもしれない。ただ、感応するということじゃなくて、何か置き換える装置の発見がなければならないんじゃないかということを思いました。あるいは『病める舞姫』の言葉と対話していっているうちに別の種が突然誕生してしまうようなことだろうかな、という感想を持ちました。なので、映像を見た事も、『病める舞姫』について皆さんの話を伺ったことも、私の中ではとってもシンクロしていて、そういうものの中で単なる記録から記録でないものに、自分達が、それぞれが、どういうふうに変換していくのかという、この企画をやろうと思ったことの、最初の契機だったんですが、今日終わりの時間を間近にして、やっぱりそれで良かったというふうに思っています。
- 三上
- 土方さんはやっぱり生きている。赤瀬川さんがインタビューに書いております。アスベストで、ボトンと階段から落ちて、また悪戯しにきたな、ちょっかい出してる土方さんがいるという言い方をしているんですけれども、今日安藤さんのお話とリンクするんですけれど、本当に出てきちゃったんです。これは言うまいと思ってたんですけれど、電話がかかってきたんですね、先生から。それは私の知り合いのところ、全く私の踊りも見た事の無い、私の娘の、お友達のお母さん、引っ越してったんですけれど、突然に私の父が亡くなった2週間後に電話がかかってきて、なんかあった?って、それも何年ぶりかに、そして体中の穴から虫出してる、汚いへらへら笑ってる四角い顔の親父と、潔癖な美少年だった男が、河原で遊んでて、あれに電話しろって言って、あんたしか浮かばないよって、私は父が亡くなって、ショックでイタコに会いに行くとかって言ってたんですね、会えなかったから。でもそれ聞いた途端に、ああ父と先生だと言うのが、まあ長くなるから簡単にします。それで、また私のあれになっちゃう。だから今でも生きてるんです。きっとだから、いるんだと思うんです。
で、先生のこの言葉の問題、私はそのイメージと言語と身体、舞踏譜の事を自分で踊りたい為にやってきました。自分の稽古場と78年のワークショップと、先生の死の直前のワークショップが、最後に残されたんですけれど、やっぱり自分の踊りを実況放送するような舞台をやりたいんだという先生の方法論が、この『病める舞姫』の中にもあるんじゃないか。今私も、もう無理だ無理だと思って、こうやっぱり遠くにいるから削げた虫のように、皆さんが今日お読みになっている時に自分の体でやってみようとしたんですね、それこそ田中さんがおっしゃるように。その時にそこだろって、こういう感じ、切断していかないといけない、その繋ぎの事を、間の事は教えられないという言い方をしてるんだけれど、でもそれで、その時に自分の中リアリティ、どのリアリティを持ってくるかってことが勝負である。で、先生のリアリティが自分の体の中で、果たしてリアリティとしてねつ造出来るのか、それは子供の様に騙されやすい注意力で、大野先生の凄いところは、本当に月でもとってこないと駄目だって思えちゃうところが奇跡だと思うんですよね。
だからそういう事を土方さんはもっとメカニックに肉迫出来る様に芦川羊子は出来ちゃった訳です。その網の目を、神経の網の目を微細にして自分を見つめる目玉の距離を、もう遠くまで宇宙まで飛ばしたり、自分の中にいれたり、もの凄い距離の、それを正確に出来る事で、あの芦川羊子が憑依から人形までの肉体を、獲得出来たんだと思います。それがイメージと言語と身体の土方さんの在り方ではないかと思います。何を言おうとしたかと言うと、分析するとか解釈するっていうことの、やっぱり負い目、危険性、それは常に触れにいくっていう時に、やっぱり触れる時はどう触れるんだ、ていう事がやっぱり問われてるのかなっていう気がします。ご迷惑をかけましたけれど。
- 安藤
- とっても生きた言葉で、なかなか本当に難しいなという風に、いろいろな事を考えて読むっていうのは難しいなという風に思います。ですから、その時に出来るだけ、読む身体というのをどう自分達で組織していくのかという事を、この3日間で考えました。あと、別に最後に挑発でも喧嘩を売ってる訳でもなんでもないんですけども、こういうことも言えると思うんですね。本当に身近に居たからって、その人の事を本当に分かってるんだろうか。そうじゃなくて、最も遠い地点から見て初めて分かる事も絶対あるんじゃないかという風に思います。おそらく土方巽が、今僕らに突きつけてくるのは、最も遠い地点から土方巽を読むという事は、どういう事なんだという、そういったような事だと思うんですね。ですから、もちろん直接的なお話というのは非常に尊重しますが、おそらくそれだけでは読み解けないと思います。そうでは無くて、全く別の視点から、読み解いていくことこそが次の、読んだり踊ったり作ったりすることのステージに向かっていくんじゃないかなという風に思います。それがこういう没後でしかも映像と言葉を読む事によって、じゃあ何を作るのかという、そういったようなところに求められているものなのではないのかなという風に思います。力不足ですけども、今日を機会にしてそういったような形で、最も遠いところから、じゃあどう読んでどう形にしていくのかという、そういうようなことに集中していければなという風に思います。
- 三上
- 生きているのに何故出来ないっていうのが、最後の言葉ですよね。先生が、皆に対して。
- 八角
- ほとんど安藤さんがまとめてくださったので、そろそろ終わりという感じになってますけど、どなたかご発言がありましたら。
- 三上
- すみません。読み解くっておっしゃいましたけども、私、ですからもちろん、前例の残されたものを、今日の集まりみたいなものは、もちろん、いろいろ言いましたけどね。ありがたいと思います。けど、その読み解くっておっしゃるけど、言葉で読み解くのですかっていう疑問があります。感じるって言うこともあるんじゃないんですか?分かって言葉で分からなくても、言葉で理解しなくとももっと違う他の五感を働かして感じるっていうことの力ってのはすごくあると思います。
- 八角
- もちろんそれはあるとは思いますけれども、われわれは「言葉と身体」ということをテーマにするなかで、それを必ずしも対立したものだとは考えていません。
今も安藤さんがちょっとおっしゃったと思いますが、言葉を書く身体というのもあれば、言葉を読む身体というのもあれば、言葉を話す身体というのもあるわけですし、感じること、五感と呼ばれるものと言葉は深く関係しています。少なくとも言葉を問題にするときに、何か抽象的な所に存在する言葉というものだけを考えている訳ではないということは、お断りするまでもないと思いますが。
- 安藤
- そうですね、それと読むことと感覚することを二分法で考える方が僕は違ってると思います。読むことの中に感覚を働かせて読むからこそ読み解けるものがありますので、それを二分法で考えるのはおかしいと思います。私は、そういう読み方はしていないつもりです。
- 八角
- はい、他の方いかがでしょうか。
- 國吉
- ここに座っていながら、ちっとも発言する機会を逸して、回転が遅いもんですからどこで何を言おうかと考えているうちに終わってしまいそうなので、『病める舞姫』は、舞踏の技法書としても読めるという面もあるということだけちょっと言っておきたいと思います。
私は、それこそ舞踏をやっていないので具体的には、今説明できませんけれども、この中の幾つかの章をですね、幾つかの章の中の幾つかのパラグラフの中に、そのままエチュードとして晩年の土方さんのワークショップの中で行われていたものが散見できるそうです。
それから、関連して十三章、十四章、最後の二章に関しては、確かに取って付けたような二章になっていまして、ただこれは白マントを芦川羊子として読むっていう見方も実はできない訳ではなくてって言うものもあって、これが全くこのまま十三章、十四章に関しては、何かものすごく舞台での具体的な動きを想定して書いたのではないかという風に考えられる様なフシもあると言うことが、考えられています。なので、すごく具体的な言葉の意味とか、それから、そこから感じ取られる様々な感覚、知覚的な領域の問題と、それから、この『病める舞姫』という、一冊の本としての世界、その中でなにが起こっているのかって言うことの、何か二つの層にいつも挟まれながら読み続けなければいけないと言う、スリリングな、まぁそこが面白いところでもあるんですけれども、読書体験をさせてくれる本だと思います。
で、それからもう一つごめんなさい、バラバラですが、言ってしまいますが、映画と土方さんの関係で色々議論がありました。『病める舞姫』の中に、映画と土方さんと『病める舞姫』という三大話を結ぶものがあるんですね。というのは、少年たちが遊びの中で色々な、台詞が入ったりするところなんかありましたよね、あれは、どうも昔のサイレント映画、日本映画のサイレント映画で、例えば鞍馬天狗だとか、多くは仇討ち物が多かったんですけども、土方さんは小さい時、そういうもの恐らく見ていただろうという。まぁ、これも推測にすぎませんが、サイレント映画、幼少期に見たサイレント映画の、それこそ画像の記憶というものが、こういった子供の遊び、しかも子供って言っても只の子供ではないので、幻想の子供ですけども、その幻想の子供たちが遊びの中でこの1シーンをやっているんじゃないかって。演じている子供たち、演技少年と言うのが出てきますけども、そんな者たちがどうも映画のシーンを、子供たちがよく見た映画を真似する様にやっているところが、この中にもちゃんと入っていると言うことですね。それだけちょっとすみません、付け加えさせて下さい。
- 八角
- さっき『病める舞姫』について、仮に小説として読めば、という言い方をしましたけれども、つまり逆に言うと、小説として読むということに躊躇を感じるところもあって、今の國吉さんのお話とも関係するかなと思いました。
- 三浦
- 今日のお話は非常に面白く聞きました。山田せつ子さんの総括もあり、みなさんの総括もあり、ほとんど、なにも言うことはないんです。本当に。ただ、私事ですが、私は演劇をやって、演出をやっています。昨日、レクチャーやらせてもらったんですけど、土方巽は死んでいるって言うことですね。先ほどのでパクらせて戴くと。
だから僕は、演出家ですから、普通作家の何かの作品やりますね、その人は死んでいる方が良いんですね。生きている人がいると、うるさくて、うるさくて、上手く行く事は稀にしかないんです。で、これは、半分冗談ですけど半分本気で、今回これに加わってみて感じた事は、やっぱり土方巽っていうのは、まだ死んで間もなかったんだなと、象徴的なんですけど昨日どなたかが質問されて土方巽は翻訳できないって、まぁ、いろんな文脈で言われたと思うんですね。
もし、これがフランス、私たちがですよ、フランスで例えば、シンポジウムをやってて、アルトーは翻訳できないって、もしフランス人が言ってるのを想像したら、何てナンセンスな事を言っているんだっていうふうに思えるんですよね。今日はアルトーがいっぱい出てきましたけども、残念ながらというか、まぁ、ようやくこういう時期になって、今こういうふうに土方の事をああでもない、こうでもない、と言える時期になったので、と思って私は『病める舞姫』っていうテキストがちょっと異常なテキストであるということは聞いていたし、何度か眺めたり、読んだりしていて今日の解説を聞いて、まぁここで初めて立場的なことを言いますけど、どうやったらこれを舞台にのせられるんだと言う事ですね。
正に先ほどの説明の通り、短くしますけど、もしこれが新人賞で来たらという制度の問題も考えたんです。つまり小説だったらと、で僕も最後のところは無しだろうと思ってるんです。でもこういう制度の見方を、恐らく土方巽っていうのは跳ね返してきたし、舞踏って言うジャンルであったり、映画の事もそうですね。で、あらゆることをやっぱり跳ね返してきて制度と戦ってきたっていうか、制度を疑いね。で、そういう表現者であることは、まぁ、偉大である事は、もう絶対的に確かだと思うんです。その割には、資料が充分すぎるくらい残ってると思います。なので、まぁ、今後の、可能性について考えて行きたいなとしみじみ思いました。
- 八角
- それでは、よろしいでしょうか。この三日間の研究会はこれで終わるわけですけれども、せっかく六月から三回にわたって、その間の諸々も含めて続けてきましたので、ぜひ出版物の形にもしたいと考えています。もちろん、ここで喋ったことをそのまま採録するのではなくて、それはWebサイトの方でご覧頂けるようにしていきますので、新たに出版物としてどういう形がいいのか、探っていきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。