原色衝動

「他者」と生きる作業の現場から 『原色衝動』白井剛+キム・ソンヨンインタビュー

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今公演では先に主催者側による企画があり、 白井さんとキムさんのお二人はそこに招かれる形で制作に入られて、 共同作業もテーマを探すところから始まったのだろうと想像します。 したがって作品で何を訴えたいのですかといった直接的な質問が成り立たず、 企画全体をどう把握していったらいいか思案するところですが、 企画趣旨資料を手掛かりに話を進めていきたいと思います。 まず今回の注目点は長い時間をかけたコラボレーションであることでしょう。 2013年に最初のミーティングを行って以降、 京都、インチョン、東京を行き来され、 今回の京都滞在で8回目のセッションとなりますが、 二人はどのように出会い、 今日までどのように作業を進めてこられたのでしょうか。
キム・ソンヨン (以下、キム) 
8回も会っていると聞いて、 随分少なくない回数会ってきたんだなと思います。 一緒にいる時と離れている時の感覚はちょっと違うんです。 最初は作品をどう作っていこうかということより 白井さん自身がどういうカラーをもったダンサーなのかを 知るところから始まりました。 初めの頃はすごく互いに気を使いながら、 信頼感もまだあまりなく、観察しあう時間が長かったように感じます。 互いにワークショップをやることで理解しようと努めたりもしてきましたが、 それだけで知り尽くすことは難しく、疑問を抱え始めてしまった頃に お互いの国に帰ってしまうという繰り返しだった気がします。 3年近く、作業の時間を得ては、少し分かってきたなと思えたところで、 また離れなくてはいけなくて、次に会った時には よりお互いを理解できたということもありましたが、 「理解しあえてきたな」というところでまた離れてしまったりして、 そうするとまたちょっと距離感ができたりとか、 そういう繰り返しが少なくなかった。 でもだからこそお互いが理解しあっていこうとする 気持ちが見えてきた気がします。
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離れている間にお互いのことを想像したり反芻したり、 熟成させたりする時間になったということもあるのでしょうか。
キム
そのとおりです。
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白井さん、いかがですか。
白井剛 (以下、白井)
出会いとしては山田せつ子さんが 間に入って二人を会わせてくれたんです。 ご理解いただいているように 普通のコラボレーションとは違う形で始まったことに関して、 二人の間で話をしました。 自分たちの企画のはずなのだけど、どうなんだろう、みたいな。 どこまで我々が主体的にできるだろう、とか。 じゃあ僕らにとっての必然性は何なのかということを考えさせられました。 まず、お互いを全然知らなかったわけではないのです。 作品を一緒の場所で演じることがあったりして 少し話をしたことはありました。 けれどよく知っているわけではなく、お互いの国のダンスの状況とか、 ソンヨンさんの中の、ちょっと想像はできるけど、でも未知な部分があって、 スタートとしては、だからこそやりたかった。 「是非、この人とだったらこういう世界ができるから」というより、 きっと何か僕にはないものを持っているだろうと、 そういう相手と当たることが必要だなと自分でも感じていたし、 時代の空気としてもそんなところを予知していた、ということがあります。 同じ場所に一緒にいると、 今まで培ってきたダンス観やダンスのイメージが全然違う。 同じものを見ても感じることが違っていたりする。 その違いが(稽古を)やっているうちにどんどん見えてくる。 共通する部分もものすごくあるけれど違いの部分がすごく見えてくる。 それが簡単ではないですけれど、 この企画の一番大事なところかなと思います。
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お二人は似ていると言われるそうですが。
白井
たぶんお互い自覚できないところで 同じものが出ているのだと思います。 二人ともせつ子さんの存在をすごく尊敬していることは共通していて、 ダンスを見る目がものすごく鋭いせつ子さんの目に 映るものがあるっていうことは、 きっと何かが出ているのだろうとは思っています。 あとは同時代ということ。1976年生まれの同い年なので、 見てきたもの、考えていることが共通する部分があります。 また外側から見て「似ている」と言われる以上に、 二人の中で、この年齢でまだ続けているっていう現実がある。 必ずしも今後が安心なわけではなく、 40歳を間近にして、何ができるんだろう、 何をしなければならないのか、 世の中にとって我々がどういう存在になれるのか、 自分がどうしたいのか…ということを お互いに考えて、サウナで話したり(笑)。
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別々の国で活動しているからこそ、 そうした共通した思いを率直に話し合えるわけですね。
白井
それもあるかもしれません。
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お互いは相手をどう見ているのでしょうか。 どういうダンサーでありアーティストであるか、 紹介する形で聞かせていただけますか。
キム
今言ったような作業をする中で、 白井さんは、これはこれ、これはこうじゃない、といった判断が、 すぐその場でつかない場合があります。 何か表現のポイントとなるものを見ているとき、 いろんな考え、いろんなイメージを持っていて、 その中に深く入ってしまっている状態が結構見られるんです。 深い考えやイメージの中に自分を追い込んでいって、 舞台に立ってそれを自分なりに表現していく人が白井さんだと思います。 私から見ると、こういう部分はどうやって出てきたのかっていう 不思議なところもたくさん見つかる。 そのことに理由もなく感動するし、ものすごく学べる。 本当に不思議な動きをしたり、不思議な状況を舞台に上げたりする。 そういう不思議な人(笑)だと思います。
白井
僕に言わせると、深く入り込んでというより、 わりと表面的に考えているんですけど(笑)。 ただ僕の場合は周りがあって自分があるということが多いです。 周りがあって自分がいると、その間に自分の体があって、 体がどう動きだすのかって想像することが多いので、 周りのことをすごくいろいろ観察しますし、 これはこう見える、こうしたらどうかな、 これとこれ(の組み合わせ)はあるかな、とか、 いろんなところを見ていくうちに体が見つかっていくんです。 彼の場合はキム・ソンヨンという体があって、 そこから周りに何か出たときに、 周りがどういうふうに見えるのかと考える。 体があって周りがある、簡単に言ってしまうと そんな違いがあるなと思っています。
先ほどの、僕がすぐ判断しないというのは、 ソンヨンさんにとっては フラストレーションがたまる部分であったりするのですけど、 僕としては好き嫌いで判断するのが一番苦手で。 自分の中の判断の基準が常に動いているっていうことがあるのです。 今日はトマトパスタを食べたいけど、 明日はもっと辛いのが食べたいかも知れない。 だから「パスタで何が好き?」と言われても 日によって違うよねとしか答えられない、それと同じで(笑)。 ただ、人とやっていく上では直観的にどう自分の気持ちを伝えるかが とても大事なのだということは強く思います。 いいと思ったことじゃなくても、 好きじゃないと思ったことについても話してみると、 そうしているうちに自分がなぜそう思ったのかとか、 自分は好きじゃないと思ったけれど 彼の中ではそういう考え方をしていたのかということが、 ズレとして分かってくる。 ダイレクトに言葉にしてしまうことは恐れずに やらなくてはいけないということも学んできましたし、 彼のように体の中から生まれてくる、 外側がなくても自分がもっているものを信じるっていうことも できるようになったら、 それは僕の一つの成長にもつながるかなと思います。
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白井さんから見たキム・ソンヨンさんは、 自分の中に動きの核心のようなものをもっていて、 それを自然に出してくるダンサーであると。
白井
 まずその核心の部分を掴もうとする努力から始まるということかもしれない。
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それはソンヨンさんが自分の中に…
白井
常に持っているというのではないかも知れないですが・・・ それをみつけると動き出すっていうことですかね。それがあると動く。 逆に言うとそれがないと動く意味がない。 僕の場合はもやもやした状態で動き始めて、 そうしているうちに何かを掴んでいく。
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微細なところを手探りするように話していただきましたが、 ダンサーやコレオグラファーという人たちが どのように体を動かす瞬間の動機を見出しているのか、 ちょっと垣間見えた気がします。 さて、この企画ではもう一つ、 荒木経惟氏による写真が絡むことになります。 これはどのような経緯からでしょうか。
キム
まず、山田せつ子さんはこの企画の10年前から知っている方で、 最初の出会いはせつ子さんが韓国でなさった ワークショップの生徒としてでした。 私が教えている大学にお呼びしてワークショップをやっていただきましたし、 それ以前からせつ子さんの話は聞いていて、講演も受けるなどして、 すごく強烈なイメージが残っていたんです。 知り合ってから10年間、韓国で私の公演があると、 また日本で公演をしたりすると、必ず見てくださったり、 私が教えている授業の内容が どういうものか知りたいということで来てくださったり。 そうしたすべてがあったからこそ、 このような企画が立てられたのだと思うし、 想像ですが、そうした過程の中でせつ子さんの中には 白井さんの存在があったのではないでしょうか。
そんな中、ある時期から突然、せつ子さんが 「日本のダンサーと一緒に何かやったらどうかな」と お会いするたびにおっしゃるようになったんです(笑)。 ある時たまたま日本にいて、せつ子さんの公演があり、 見に行った次の日にいきなり 「白井さんとミーティングがあるから」といわれて、 世田谷パブリックシアターの近くで初めて皆で会いました。 ただそれは突然の出来事ではなく、 せつ子さん自身は長い間考えていらっしゃったのだと思います。 すごく挑戦的でもある反面、面白いだろうと。 そこから二人で作業が始まり、 それからはすべてのことが早く進んでいきました。
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山田せつ子さんの中では、 かなり長い期間あたためられていた企画なのですね。
キム
白井さんと二人でいろんなことを、ワークショップをやったり インチョンでショーケースをやったりしていくのを、 せつ子さんは時間をかけて見て下さいました。 そうする中で何か違う要素が必要なんじゃないかと思われたようでした。 そしてやはり私が日本に来ていた時、 せつ子さんに誘われて白井さんも一緒に、 皆で銀座のギャラリーに展示中の荒木さんの写真を見に行ったんです。 そして写真を見ながら、どう思うか、 どんなイメージをもつかを聞かれました。 で、やっぱり二人とも感じ方、イメージするものが全く違っていて、 今でも少しそういう部分はあるのですけれど、 そうした違いもまたせつ子さんは興味深く思われたようでした。
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二人の作業がもう一段階、作品化に向けて走り出すための 触媒のようなものを探していらしたのでしょうか。
白井
触媒・・・というか、カンフル剤、 あるいは大災害・・・ですかね。 我々にとってこういう圧倒されるものが来たときに、 その危機感の中で二人が何を出すのかが問われるような。 決して生易しくない、簡単には扱えないものとして、 初めから二人とも受け止めていました。
paradise_photos by Nobuyoshi Araki
だからこそ、不安だけどやってみたいと思ったのが正直なところです。 僕の中では、やはり自分にとって簡単には咀嚼できないものを 口に入れてみたいという思いが基本にあって、 それをやったときに何ができるのかという試みでもあります。 それに写真としてすごく好き、共感するという部分もありました。
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キムさんはどうですか、圧倒されたり 危機感を抱いたりする感じはありますか。
キム
率直に言うと、最初に見たときはあまり好きではなかったです。 これは芸術だから見なくてはいけない といった考えにもあまりしたくなかった。
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血や死を思わせるグロテスクなイメージへの違和感でしょうか?
キム
そういう具体的なところより、 初めてギャラリーに入って目にした全体のイメージです。 見た瞬間、心の中で拒否してしまいました。 ただ時間が経つにつれ、それが変わってきてはいます。 自分の内側を変えてみようと 自分でも無意識の努力をしてきたのかしれません。 荒木さんはたぶん写真の中に何かを見ているのではなく、 人に面白いと思わせたり、驚かせたりすることに興味をもって こういう写真を撮ったんじゃないかと思います。
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圧倒されるという白井さんにせよ、 最初は拒否してしまったというキムさんにせよ、 写真と格闘されている様子が伺えます。 内容というより力やインパクトで 二人の関係を揺さぶってくる存在といった気がしますね、 いみじくも『原色衝動』とタイトルがついていますが。
キム
作業を進めながら強く思うようになったのは、 写真がメインになってはいけない、 写真から感じ取るものを我々が何かの形に作っていくという課題があり、 お客さんには写真をストレートに見るのでなく、 ダンサーを通して写真を感じ取ってほしいということです。 このあたりについては白井さんとたくさん意見交換していますが、 感じ方、作り方の違いが出るところです。
白井
僕の場合は、ダンサーが一人いて、 ここにも一人いて、もう一つ荒木さんの世界があって それらの間にあるもの、共存した時に見えてくるものを 探したいという思いがあります。 ダンサーの主観があり、写真の主観があり、 観客の主観がその全体を捉える。 その時、写真とどう対等に立てるかということが 課題になってくると思っています。
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ここでそれぞれのアーティストとしての歩みを伺います。 まずキム・ソンヨンさん、You-Tubeで幾つか振付作品を拝見しました。 ミニマムな振付ながら動きが非常にしなやかで、 相当の訓練を積んでこられたダンサーだとお見受けします。 舞踊は大学で学んだのですか。
キム
そうです。韓国には芸術高等学校があり、 高校はそこの舞踊科を出ました。 大学も舞踊科で、現代舞踊を専攻しました。
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韓国の充実した舞踊教育の制度は日本でも紹介されています。 40以上の国立大学に舞踊学科があること、 大きくは伝統舞踊、バレエ、現代舞踊があり、 学生はすべてを履修すること、 その中でとりわけグレアム・メソッドを軸に アメリカのモダンダンスの受容があること、 一方で韓国の伝統舞踊を現代の中に 再解釈する動きが活発であることなどが伝えられています。 そうした中、動画を拝見する限り、 キムさんは西洋のダンスの語彙と作舞法に習熟した振付家・ダンサーであり、 また資料の文章からもダンスというものを 普遍的でユニバーサルな言語として捉えていらっしゃるように拝察します。
キム
まず動画をたくさん見て下さって有難うございます。 言われるとおり、韓国の舞踊教育は 下積みから一段一段上がっていく英才教育的なものです。 外国からきた舞踊関係者は韓国の教育現場を一目見るだけで、 高校生でも大学生でもハイレベルなテクニックで踊り、 感情表現もできることに大変驚かれます。 韓国はこんなことをやっている、すごいな、と。 それはすぐれた面でありますが、 反面それだけでは足りないものがある。 私が一番必要を感じたのは、国内で満足するのでなく ――そういう人はたくさんいますが―― 国の外に出ていろいろなものを見ること、 自らその中に入って実感したり勉強したい、 そこから自分を変えてみたいということでした。 そして外国から共同作業のオファーが来たり、 ワークショップを依頼されたり、 自分でお金を貯めて国外へ出ていろいろなものを 短期間で見てこようと計画したりしてきました。 実際に外に出てみると、本当に新しい世界が こんなにたくさんあるのだということに気が付きました。 外で感じたもの、それがたった一つだけ見たものだったとしても、 それをもとに韓国に戻って作品にしてみたとき、 そこに現れてくるものが10倍にも100倍にも、 すごい力になっているのは確かでした。 ときにはすごく衝撃的で、 自分の中からは生まれてこないようなものを見てしまうと、 正直傷つくというか、自分の世界は何なんだろうという 悩みに入り込んでしまった時期もあります。 外で見たものを真似するのでなく、 そこにあるイメージや考えを解釈し、 自分の作品につなげていこうと葛藤しながら活動していくうちに、 自分の名が韓国で定着してきたように思います。 こうして誰かの素晴らしい作品を参考にしたり インスピレーションを得たりしてきたわけですが、 そういう作品の中に 本当の自分がなかったということが分かった瞬間がありました。
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影響を受けたり感銘を受けたりして作ったものは、借りてきた手法だったと?
キム
影響や刺激を受けて作ることは、 すべて自分自身への実験だったのだと思います。 しかしそれによって自分が大きく変わることはなかった。 ひとつ深く思ったのは、ウソをつかないこと。 すべての決断は自分がやらなくてはいけない。 自分が考えたものが自分の中でベストだと自分を信じること。 今はどういうやり方であれ、自分を信頼し、 自分の考えが強く深いものであるということを確信しはじめているので、 自分なりに成長したと思います。
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外に出たことでむしろ自分の中にあるものが確かになったということですね。
キム
そうです。
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日本では伝統舞踊と近代以降の舞踊は現在ほとんど交流がなく、 またドイツのノイエ・タンツに由来する近代舞踊は 「現代舞踊協会」のもとで発展しながら今日まで継続してきています。 これに対して80年代半ば、ほとんど突然といっていいように 別の場所から出てきた若い人たちがダンスをするようになった。 それが現在のコンテンポラリーダンスで、 白井さんもそのコンテンポラリーダンスシーンで活躍する一人です。 こうした舞踊界の構図は韓国ではどのようになっているのでしょうか。
キム
韓国では現代舞踊とコンテンポラリーダンスとの区別は はっきりしていない状態です。 私自身はどう呼ばれてもあまり関係ない。 昔からトータルに現代舞踊として始まっているので、 現代舞踊からコンテンポラリーに入った時期とか、 誰がどのような形で始めたといったことははっきりしていないです。 言葉のニュアンスとして「コンテンポラリー」といった方が 現代的なイメージがあるから使うようになってきたという気がします。 そのような意味で作品を見ていくと、 これは現代舞踊かな、これはコンテンポラリーと言うべきかな、 という違いは確かにありますが。
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一方、白井さんは大学の工学部ご出身で、 アーティスト・グループ「発条ト」を結成され、 伊藤キムさんのカンパニーにダンサーとして参加するなど、 舞踊教育や師弟制度の枠には属さない形で活動され、 独自の思考をもった作品を発表してこられました。 とりわけ『質量,slide,&.』や 『静物画―still life』といった振付作品には、 対象に対するサイエンスにも近いような知的で客観的な、 なおかつ繊細きわまりないアプローチが見られて、 多くの人の記憶に残っていると思います。 今回の資料に白井さんが書かれた言葉 「(他者に対する)距離や触れ方、捉え方によって、 そこで起きているかすかな震えに耳をすますような内省的な態度を、 ダンスという表現に結ぼうとする」 には、これらの作品に通じる姿勢があるように思われます。
白井
自分にできることは今まで培ってきたものしかないので。 以前の作品で扱ったいろいろなモノ、 たとえばガラスとか水とか、が、 今回はこちら(キム氏を示して)ということで。 彼の体に近づいたり触れたりするときの自分が どうなるかということが僕にとって のこの企画(の意味)だという思いがあります。 ただ、ここに書いているほどナイーブな状況ではないかも知れない。 『質量・・・』などで扱ったモノは自分の好きなように扱えるけれども、 (キム氏を示して)こちらのような対象は 自分の好きに解釈できるものではないです。
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相手にも意思があり、さらにそこには…
白井
荒木さんという意思がある。 荒木さんの写真の中には、 僕の中ですごくシンパシーを感じる部分を見出してもいるのです。
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ここまでお話いただいたことは すべて稽古場から発したものと言っていいと思いますが、 ここで少し視点を変えて、今の時代に日韓の同世代、 同い年のダンサーがコラボレーションすることの意味へと 話を向けたいと思います。 戦後70年のまさに8月、一か月の制作期間を ともに過ごされているわけですが、 政治や外交の上では日韓のぎくしゃくした関係があり、 社会の中にも喧噪があります。 その中で何かを二人で作り上げていくことや、 時代や社会の状況と表現の関係をどう意識されていますか。
白井
おそらくソンヨンも、僕より多くの国外での経験を積む中で、 国の違いというより人の考え方の違いがあるのだ ということを感じているだろうし、 実際我々の作業でも、国の違いがあろうと 感覚的に共感できないことなどないと感じています。 昨今の情勢ということでいえば、 もともと僕の中で日韓の政治的な関係が気になっていた時期がありましたし、 今でもそれは変わりなく頭の片隅にあります。 ただ、もともと政治的な問題を作品の中で表現するということは 敢えて選ばない、というか好きじゃなかった。 フクシマの後、たとえば「あいちトリエンナーレ」で 展示されたものが全部フクシマ関係であったりするのを見ると、 正直、息苦しさを感じました。 自分のフラストレーションを作品にぶつけている、 あるいはそこに縛られてしまっていると感じましたし、 自分の作品を作るときくらい 政治家の顔など忘れたいという思いがありました。
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逆にそうすることが芸術の可能性を担保することになる?
白井
一時期、政治を扱うという雰囲気が強かったからこそ、 震災とかフクシマだけではなく、いろいろな情勢が明るみになったり、 皆が興味を持ち始めていろんなところで いろんな問題がピックアップされたりしている。 そうした時代に揉まれながら、影響されながらも、 ものを作る人が自分の中の聖域として、 神聖な場所として持っているピュアな部分というものは 確保されないといけないと思っています。 もちろん情勢が不安定だったり、島がどうしたとか、街 を見回すとヘイトスピーチが始まったりすると、 どうしてこんなにケンカしなくちゃいけないんだと思ったりはします。 そういう国際間や社会でのざわざわ感というのは、たしかにあるけれど、 しかし現実に(キム・ソンヨンという)未知な隣人がいたときに、 もっと直接的な出会いをしている感覚があるのです。 国家間のことなどを話題にはしないのですけれども、 個人対個人でやっていると、それぞれ培ってきた作品性とか ダンスのヴィジョン、極端な言い方をすると ダンスの信仰のしかたに動かしがたいズレを感じるわけです。 でも願っていることは一緒だったりする。 リアルな感覚や表現を見つけ出したい、正直でありたい、 こうすれば人々に何か希望を届けられるのではないか・・・ そうしたところでは共通しているのです。 が、やはり、宗教になぞらえて言えば神様が違うので、 そうなってくると自分が自分でいるための“領土”が必要で、 表現者としての自分が立っていられる場所を確保する必要があるし、 二人が同時に立てる場所を探さなくてはいけない。 そこにはやはり闘いが、主張の投げ合いがある。 でも救われるのはお互いが お互いのことを嫌いになってないというところですね。
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具体的な「他者」との力関係を生きることが、政治的な経験であるのですね。希望もそこから見出すことができるのかもしれません。 時間になってしまいました。 おふたり、そして通訳の方、長時間にわたり有難うございました。(了)