劇作家・演出家でありT factory主宰する川村毅。
同時に京都造形芸術大学 舞台芸術学科教授であり、
舞台芸術研究センターの主任研究員でもあります。
劇場が歩んだこの15年と川村毅が歩んだ15年は
どこかでリンクするところがありそうです。
そんな話を舞台芸術学科教授であり演劇批評の
森山直人が伺いました。
森山
今年、京都芸術劇場は15周年を迎えました。
ふりかえってみると、この15年というのは
川村さんの中でも第三エロチカのまとめの時期に入りつつ、
初期の代表作である『ニッポン・ウォーズ』の再演や
『新宿八犬伝』の完結編を春秋座で上演する
という流れがあり、
一方でティーファクトリーT factoryを立ち上げ、
パゾリーニ戯曲連続上演企画や、
これはティーファクトリー作品ではないけれど、
きわめて興味深いオリジナル戯曲『4』を通過して、
さらに拡大していく時期ですね。
そう考えてみると、京都芸術劇場の歩みと
アーティスト川村毅の歩みには
いくつか接点があったと思うのですが
まず最初に、京都でやる、関西でやる、あるいは、
この劇場でやるというのは川村さんにとって
何かお感じになることはありますか?
川村
80年代の小劇場演劇ブームの時は、
新作は必ず大阪、名古屋で上演していたから
東京と違う空間でやるということについては
格別、新しいことではないんですけれどね。
でも景気の落ち込みによって、
それが不可能になって西への道が途絶えてしまった時、
京都の芸大に劇場ができたってことは
21世紀としての新しい回路だと思いました。
森山
なるほど。
川村
色々な意見があるとは思いますが、
大学が舞台芸術に関わるというのは
欧米では普通の、あたり前のこと。
大学の授業と舞台の現場が密接にあり
商業系の舞台でないものは
大学のパフォーミングアーツ学科が
フォローするというケースは欧米では普通です。
だから、京都造形芸術大学に映像・舞台芸術学科
(現・舞台芸術学科)ができて、
劇場ができたとき、魁という感じはしました。
大学が本気で演劇現場と関わろうとしたということです。
だから東京の舞台が西に来る道が
大学を通してできたということで
もう一回、西のお客さんと出会えた。
それとね、この劇場自体の試行錯誤の歴史を
僕なんかもろに受けたなと思いますね(笑)。
最初は制作がいなかったわけですから。
あるいは、『AOI/KOMACHI』の通しリハーサルを
上(studio21)でやる時、とにかく下の音が入ってきて
リハーサルにならない。
その時下(春秋座)で練習していたのが
大駱駝艦だったんですけど(笑)。
こっちはゲネだけど観客を入れてやっているのに
下の音がとにかくすごいわけです(笑)。
あの時に、この劇場の構造というのは、
下の音が上にこれだけ聞こえるんだって、
初めてみんなが認識したわけです。
森山
そう、あの時は開館3年目ぐらいの時で、
春秋座は大駱駝艦の『魂戯れ(たまざれ)』公演で
Studio21は『AOI/KOMACHI』。
だから川村作品に出演している笠井叡と麻実れいと、
大駱駝艦の麿赤兒が同じ空間の上下階に居るという、
ものすごいことになっていて(笑)
川村
もう、下からワーワーワーって音が入ってきて、
私は頭に血が上った。
森山
大駱駝艦に音を下げろって
言うわけにいかないですからね。
川村
いきません。
そこで初めてみんな春秋座とstudio21は
同時に上演できないものなんだなって認識できた。
あと、春秋座は歌舞伎用にできているわけだから、
正面向いてやる芝居用なんです。
だから舞台上舞台というシステムを考え出したのは
画期的でした。あれは素晴らしい。
僕が最初に舞台上舞台を使ったのはパゾリーニです。
ニューヨークのラ・ママ・シアターの
アネックスみたいな感じでとてもいい。
森山
観客との距離感はいかがですか?
川村
ちょうどいい距離。
あの発明は誰がしたんだか分からないけれど、
画期的なことだと思います。
それによって中劇場構想っていうのが、解消できた。
studio21は興行するには小さいし、春秋座では大きすぎる。
3、400人ぐらいの中劇場を作るべきだったと
言っていたことが解消できた。
だから機構面での試行錯誤も
僕が全部請け負ったという自負はあります。
森山
もしかすると空間的な負荷をかけると
面白くなる劇場なのかもしれませんね。
それは一つの現代演劇の戦略としてありですね。
森山
ちょっと年表的に復習しておくと
オープンの年の年度末に舞台芸術研究センターの
上演実験vol.3として、春秋座とstudio21で
『ニッポン・ウォーズ』の初演と2001年バージョンの
Wバージョンを上演し
2003年に現代能楽集Ⅰ『AOI/KOMACHI』を
studio21で上演しました。
これは世田谷パブリックシアターとの共同制作で、
この作品は、その後、NYにも持っていかれましたよね。
川村
そうでしたね。
森山
それからも『黒いぬ』や『新宿八犬伝』など、
いくつかおやりになっていらっしゃいますが、
最近の作品としては、やはりパゾリーニですね。
川村
そうですね。
森山
パゾリーニ戯曲連続上演企画をスタートしたのが2003年。
それが完結した翌年、2014年には
『荒野のリア』と『神なき国の騎士』を上演している。
この年は、ちょうどシェイクスピアとドン・キホーテという
古典を同時に読み返している時期だったと、
どこかの媒体でおっしゃっていたのが
とても印象的だったのですが、
この2014~16年という東京を中心とした
川村さんの数年間の歩みは、ご自身として、
どのようにご覧になっていらっしゃいますか?
川村
2010年に春秋座でもやった『新宿八犬伝』の第5巻最終章で
第三エロチカという名前も集団も終りにして、
少しの間、演出、劇作を単独でやることはあっても
「作・演出」という演出と劇作を兼ねる作業は
やめようと思った時期と
パゾリーニ企画が重なったんです。
だから、パゾリーニの戯曲の演出だけに、
とにかく専念してみようという3年間になったわけです。
パゾリーニの作品は、20歳代頃からやりたかったんです。
パゾリーニという人を研究すると
演劇にも非常に興味を持っていたということが分かる。
ところが日本じゃ全くパゾリーニの演劇は紹介されていない、
パゾリーニという人の周辺は膨大だから、
戯曲まで手が回る人はいなかったんです。
2010年というと、ちょうど僕が50代になった時です。
人間50歳になると、いろいろと決意するものがある。
とにかくパゾリーニのことが心残りというか、
ずっとやりたかったから、なんとかしてやろうということで、
そこで原書を持っていたので訳す作業から始めようと、
翻訳者を紹介してもらい、
パゾリーニ全集の戯曲バージョンに入っている
戯曲6本全部を訳してもらったんです。
『豚小屋』は映画にもなっているから、
ほぼ内容は分かっていたけれど、
他のやつがもう、いざ日本語になったものを読むと
とんでもないものだとわかった。
森山
『カルデロン』とか。
川村
どれもこれもハッキリ言って難しいわけです。
当時の1960年代からの政治的な問題やら、
パゾリーニ自身の演劇に対する問題まで
全て網羅されていて、ポリフォニーの塊り。
それをとにかく退屈させずに観せようというのが、
自分に課した演出のミッションでした。
森山
上演として成立させると。
川村
そう。言葉はそのままで全くカットしないで、
21世紀の日本人に伝えつつ、いかに知的娯楽作品にするか、
というのが戯曲連続上演企画だったんです。
その作業は大変だけれど刺激的で、
ある意味、健康的な3、4年間だったんですね。
それを経てから、もう一回、作・演出ものを上演しようと。
そこからまた自分の新たな演劇のチャプターを
始めようという計画だったんです。
森山
では「パゾリーニ以後」という意識は
おありになったんですね。
川村
ありました。パゾリーニをやったってことが
今の僕の戯曲の文体に影響しているかは、
自分では分からないけれど、なんていうのかな、
色々な文体を試してみようと思うきっかけにはなりました。
森山
パゾリーニ企画と同時に世田谷パブリックシアターの
企画で、『4four』を作っておられましたね。
あれもパゾリーニと同様に、
何年かかけて持続的に戯曲を作る
という作品だったと思います。
確か世田谷パブリックシアターの学芸の、
小宮山さんの企画でしたけれど。
テキストを読むこととテキストを持続的に書くという、
継続的なプロジェクトが3.11(2011年)の頃に
並行して行われたというのは面白いなと思うのですが、
いかがですか?
川村
そうですね。『4』についても、
何年間かかけて作っていると思われちゃっているんだけれど、
実は1年ちょっとなんですね。
森山
最初にリーディングをやって、
それから本格的な公演に・・・。
川村
そう。一気に書かないで、ピースピースを書いて、
関係者だけを集めて世田谷パブリックシアターの
稽古場でリーディングをやってみて、
その反応で書いていくのが、
非常に面白くて贅沢な体験だった。
それを館長の永井多恵子さんが観て、
テキストを読んでおもしろいから
作品にしようって言ってくれて。
こういうのって日本であまりない制作決定でした。
ヨーロッパ辺りでは、ありそうだけれど。
森山
そうですね。確かに。
川村
それで、作品化としてゴーしたと。
森山
なるほど。
川村
そう、1年後に作品化しようということになって、
では書き進めましょうってなったんです。
それでほぼ、最後まで書いたのをシアタートラムで
リーディング上演をやったんです。
その時のキャストが吉田鋼太郎、扇田拓也、中村崇、
手塚とおるでね、これが実に良かった。
本公演では個人的には、
高橋一生さんと野間口徹さん
(『4 four』本公演。演出は白井晃)が良かった。
高橋一生さんは役者として
非常に大きな仕事になったって言ってます。
うれしいですね。
とにかく本公演前のリーディングが
けっこうな反響となりました。
僕自身が台詞を才能ある俳優から発せられる音として
聞いて、初校を書き直すという贅沢なことをしながら作ったのが
『4four』なんです。
まさにその時に3.11があったという。
森山
そういうタイミングですね。
川村
ある種の日本、東日本が黙示録的状況になった時
僕自身も足元が崩れるような感覚があって。
そういう感覚と共に『4』を書き、
一方でパゾリーニの演出をやっていた。
現実で起きていることと、
自分が書いたり演出したりしていたことが
リアリティを帯びた状況になってしまったことが
大きかったですね。
鋼太郎さんは第三エロチカ時代からの付き合いだし、
手塚さんも古くからの付き合いだから
『4』の戯曲を読んだ時びっくりしてた。
「え!これ、川村の文体?」みたいな。
それぐらい自分の中で意識的、無意識的に変わった…
いや、一人の人間のことなんだから
本質のところは変わらないんだけれど、
今までとは違う文体を創造したという感触はありました。
森山
僕も、川村さん、なんか変わったなという感じがしました。
なにかテイストが違うというか…。
川村
自分では整合性をもった説明はできないのです。
森山
今までとは違う所から攻めてくる感じがして。
川村さんのある種の文体は、
ある種の屈折をはらんでいるんだけれど
今まではそれが割と正攻法で前から来る感じがしたんですね。
でも『4』の文体は足元からじわじわという感じで
色々な方向から攻めてこられるるような…
戯曲を読んだ時にそう感じたのを覚えています。
森山
そういう節目となる作品を作っていた時と
時代の状況が大きく動く時がシンクロしていくわけですね。
その後の作品をみていくと、
2014年の『荒野のリア』の主演が麿赤兒さん。
『生きると生きないのあいだ』が柄本明さん。
今年の春に上演した『愛情の内乱』は、白石加代子さん。
この3年ぐらい実力のある俳優の方々と一緒にされていますが、
『荒野のリア』という作品は、そういう流れの中で
必然的に生まれてくる何かがあったんでしょうか?
川村
うーん、それはね、たまたまというか、
突然思い付いたわけではなくて、
いずれはやりたい人だったんです。
特にこの3人は随分前から色々な所で折々打診していました。
「いずれやろうね」という具合にです。
森山
その話、確か白石加代子さんが
雑誌「シアターガイド」のインタビューで
おっしゃっていました。
川村
うん。白石さんとは利賀村(利賀フェスティバル)からの
いきさつがあります。
でも、ようするに今までご縁がなかったんですね。
スケジュールとか色々ね。
それが上手く合致したのが、その年でというわけで、
こういうのって計画的にやろうとしても
上手くスケジュールが合わないもんです。
でも、柄本さんの場合はね(笑)
柄本さんは、京都造形芸術大学の映画学科の講師で
ちょろちょろ京都に来ていたの。
森山
あぁ、その時に口説いたんですか?
川村
口説いていたというかね、あの人もおかしな人でね(笑)、
僕が居ない時に限って、僕を訪ねて学科に来るんだよ。
あの時は、たまたま僕が居て、その時に決めました。
京都で人と会うとなぜか東京で会うより話が早い。
森山
麿さんともやはり本人と会ってお決めに?
川村
そう。随分前、僕が学科長になり立ての頃に
麿さんが京都に来て、その時に飲んだんです。
それ以前に大駱駝艦の女性の舞踏家に
第三エロチカの『四谷怪談・解剖室』に
出てもらったんだけれど、
麿さん、その時のことを覚えていて、
「なんで俺を誘ってくれないんだ」って言うんです。
「へ~、この人、出てくれるんだ!」って思っていたら
「俺のこと嫌いか?」って言う。
この人出てくれるんだって思って。
それで、いずれ麿さんとって秘かに決意したんです。
ただ、こうなったってことは、
今、僕がやりたいことと
互いのスケジュールが合ったってことですね。
というのは年取った人がバカなことをやるのが
面白いっていうことを最近ひしひしと感じだしたんです。
同じくだらないことを若者がやっても
面白くないんだけれど、
いい年をした老人と言っちゃあ悪いけれど(笑)、
大人がやる方が圧倒的に面白いなと思って。
例えば、バナナの皮で滑るというベタなギャグでも、
これを20代がやっても面白くないんですよ。
森山
(笑)
川村
だけど、これを70代がやると
おかしいってことに気が付いてね、
そういうことに熱中しだしている時期でもあるんですね。
森山
川村さんの作品で昔、『黒いぬ』という
観世榮夫さん、坂上二郎さん、
菅野菜保之さんらが出演というのありましたね。
あの作品なんかともつながっているものがあると?
川村
あります。
年配…って言っちゃいけない(笑)。
いい年をした人がやるっていう、面白さね。
こういうの、これからあると思うんだよね。
自分自身も50代後半になってきて、
同世代のやつが、いい年こいてバカやるっていいんだよね。
そういう感覚は本質的に僕のベースにあるんだな。
僕の中に綿々とある、悪ふざけ好きっていうか、
不真面目をまじめにやるっていうベースメント。
それをやって面白いのが、
いい年こいたジジイとオバハンだって(笑)
今、発見があります。
森山
なるほど。
老人というか、そういったものをテーマにするといえば、
太田省吾さんも「老い」というものを描いていますが
やっぱり太田作品の「老い」へのアプローチ
とは違うという感じはなさいますか?
川村
そうですね。
太田省吾さんという人と僕は
すべてにおいては真逆だと思います。
だからあの人は僕を京都造形芸術大学に
誘ったんだと思います。
森山
川村さんは『荒野のリア』を麿さんとやり、
『AOI/KOMACHI』では笠井叡と組まれました。
この方々と太田省吾が組むというのは、
確かにあまり考えられないというか、イメージできない。
川村
なるほど。
森山
もしかすると川村さんとお2人が持っている、
ある部分がシンクロするのかもしれませんね。
川村
そうですね。
今、笠井さんの名前も出たけれど、
まさしく僕が今や年上の舞台人のなかで尊敬するのは、
この二人です。
劇作家とか演出家とか俳優とか
全部ひっくるめても年上で敬愛するのは、お二人です。
それは一緒に作業してみてもそういえる。
森山
そうですか。
川村
何ていうのかな、自分の老いに非常に客観的に
デフォルメできる人たちっていうか、
僕の中でお爺さんがバカバカしいことをすると
面白いと思っているところと
上手く化学融合していただいて
高貴にして深遠なる世界が生まれているのではないかと思う。
森山
ある意味ね、そのお爺さんが
バカバカしいことをやっていることを引いて観た時に、
割と悲劇として観ることもできると思うんですね。
川村
その通り。
森山
リア王はシェイクスピアの中でも
割りとシリアスなキャラクターであり、
それを麿赤兒さんがなさるということで、
ある意味、「リア王」を「麿赤兒」という
存在感の眼鏡で観るという視点も、
観客の中に生まれてくると思うんです。
ただ、麿赤兒さんと言う人は、
必ずしもその中に納まらない気もするのですが、
その辺りは、演出家として、どのようにお考えですか?
川村
これは社交辞令でもなんでもなくて、
僕のやる、このリアは麿さんでなければ
成立しないなと思って、
最初からお願いに行ったんだ。
いざ稽古でつきあってみると、
麿さんという人は本当に、まじめな方で。
森山
そんな感じがします。
川村
非常に常識的だし、
舞踏の人ではあるけれど、
演劇人としての麿赤兒という人は
非常に真っ当な系譜をたどっていて・・・じゃないな(笑)、
アングラいっちゃったんだけれど、
でも唐十郎氏と出会うまでは新劇に憧れていた。
森山
木下順二とかですよね。
川村
そうです(笑)。
いずれシェイクスピアのタイトルロールを
やりたいもんだなと思っていて、
ずっと憧れていた人なんです。
だから台本を読みながら
「しごくもっともだ、もっともだ」って
「老人のこう…悲しみとか何とかだよな」って言いながら
非常に真っ当に演じているつもりなんだけれど、
やっぱり逸脱するものがある。
その逸脱した部分をいかに
拡大させるかというのが演出の面白さです。
本人は非常にまじめにシェイクスピアの言葉に向き合っているだけで(笑)、
あたりまえだけれど、
ここで見得を切ってやろうとか、
ここでカブいてやろうという意識は
あまりないような気がする。
森山
この大学に映像・舞台芸術学科が出来たとき
川村さんのご紹介で、ジョン・ジェスランを
学科におよびしたと思うのですが
川村さんはたしか1997、8年ぐらいに
NY大学で演出をされた頃から
ジェスランと交流があり
最近も森下スタジオ(東京)で
ジェスランとの共同プロジェクトを行ったりして、
ずっと継続していらっしゃいますよね。
ジェスランと川村さんの作家性がどこかで通じ合うということですか?
川村
そうなんでしょうね。書くものも文体も全然違うし、
この往復書簡の合作もどうなるか
この先全然、分からないんだけれど
どこかでウマがあうんでしょう。
そのウマが合うというのは、単純に時間の感覚、
つまりせっかちさが同じということです。
そういう人間の、アーティスト同士の
合う、合わないっていうのは、
思想のテイストが同類っていうよりも
ある種、その人間の生理や時間の使い方とか
しゃべり方とか、酒の飲み方とか、
そういうことが重要なんじゃないかって最近、思えてきた。
あ、それからジェスランの稽古を見ていると、
僕の稽古とすごく似ている。
森山
どういうところがですか?
川村
あまり細かいことを言わないところ。
ジェスランって結構、言いそうな感じするでしょ?
でも、あんまり言わないんです。
森山
そういえば、昔、川村さんの
稽古を拝見させてもらった時に、
川村さんってこんなに役者にあれこれ言わない人なんだって
びっくりしたんです。
ジェスランもそうなんですか?
川村
言わない。
わーって一気に、コンセプトを語って、
それで違う時は違うとは言うけれど、
あとは「OK、OK、大丈夫」って言うだけ。
だからアメリカの演出家では自分は珍しいって言ってた。
アメリカの演出家って細かいことを年中、褒める。
「グー!!!!」って手を叩いたりさ、
「オーケ、オーケ!」って抱きしめたりさ(笑)。
それを一切いわないわけよ。
だから、たまに役者に文句言われるって言ってた。
森山
もっと褒めてほしいって?(笑)
川村
アメリカの演出家を見ていると
バカじゃないかって思うって言ってたよ。
なんでこんなに褒めるんだって。
森山
ブロードウエイの演出家ってそういう感じなんですか、
川村
わかりませんが、そういう人が多いと話してました。
ジェスランはね、非常にサクサクしてる。
サクサクした作りじゃないと、難しいことはできない。
ジェスランとの共同作業で議論したりとか
細部を指摘しあったりとか、
そういうことは一切していません。
演出家同士、劇作家同士のコラボって、
そんなもんかもしれない。
森山
対役者の相性という点ではどうなんですか?
共同作業と言う面で。
例えば笠井さんとか、麿さん、白石さんとか。
そこはまた違うんでしょうか?
川村
それは違いますよ。
それはまあ3人に限らず、さぐりさぐりです。
この人は、どういう風にすれば、
一番心地よく演技ができるのかっていうのをね。
色々、言った方がいい人もいれば、
言うと困っちゃう人もいるしね。
麿さんは沢山、言って欲しい人です。
森山
もしかして褒めてほしいとか?(笑)
川村
いや、結構、マゾ。
もうちょっとビシビシ言ってもらっちゃってもいいって人。
森山
役者のそういうところを察知すると、
川村さんはS的に振る舞うんですか?
川村
Sを演じる時もあります。
でも、あまり言いすぎると、情けない顔になって、
しょんぼりしちゃってね(笑)。
そういうところも含めて愛されるんです。
共演者がみんな好きになる。
それがそのままリアの構造になっていった。
つまり、リアっていうのはさ、
傲慢な老人が狂って、わめき散らして死んでいく、
傲慢さゆえに死ぬってなるんだけれど、
最後は、リアのことが本当に好きな人が集まって泣くんだよね。
それが麿さんと若い役者の関係性そのままという光景に
昇華していったんです。
森山
それは意図せずそうなった?
川村
意図せずそうなった。
だから麿さんが台詞を間違えると、
みんなが「あああ~」ってオロオロするしさ(笑)
森山
なるほどね。
川村
僕は意識していないけれど、
稽古中麿さんが台詞忘れると、
僕があぁ~(ためいき)って顔するらしいです。
それを見て麿さんが
「あぁ俺のことをかわいそうなって思ってるんだろうな」って
思うらしい(笑)。
森山
麿さんがそうおっしゃるんですか?
川村
そう。
「哀れな老人がまた間違えたみたいな顔をするんだよ。
この人」って言う。
森山
(笑)。失礼な言い方になってしまうかもしれませんが、
なんだかいい年の取り方をなさっている感じがしますね。
川村
かくありたいものです。
森山
実は笠井さんを見ていても、そう思うことがあるんです。
川村
わかります。
演劇人には居ない感じの良い年の取り方をしている。
この『荒野のリア』という作品は老人問題です。
実際、具体的な介護などの問題もあるし、
今の老人がどう生きたらいいかっていう問題も含まれています。
疎外されつつある高齢者の男たちがどう生きるか。
この話の後半が面白いのは、
社会に排斥された男たちが集まってきて
そこでコミューンみたいなのができあがっていくことです。
森山
シェイクスピアは政治劇的な読み方もできるし、
『リア王』のなかの状況を現代の国際社会に重ねて見る
というのもあると思いますが、
川村
僕自身としては真っ当な読みをしていて、
奇を衒うようなことは思っていなくて。
ありていな言い方になるけれど、そこでいかに、
リアルなリアを実現させるかってこと。
その手つきの面白さとか、
単純に色々なスペクタクル性があるかってことを
楽しんでもらえたらと思っていますね。
森山
リアだけじゃなくて、グロスターの方の物語もあるし。
(リアの次女リーガンの領土を受け継いだ婿の
コーンウォル公の領土の伯爵であるグロスター伯家の悲劇)。
川村
グロスターも親子関係がこじれて
頭がおかしくなってしまう老人です。
僕には気の狂ったふりをするエドガーは引きこもりの若者で、
追放されて変装してさまようケントは
職を失ったホームレスに見えます。
そうした社会に疎外された人々がリアを負の中心点として
光に群がる蛾のように集まってくるんです。
その面白さなんだよね。
森山
だから後半を選んだ?
川村
そうです。だから娘たちが出る前半は
この際なくていいのではと思って
リアが狂ったところから始めました。
男は弱いからね、みんな。
その男たちがシッチャカメッチャカ苦悶するという光景が
スラップスティックに近いドタバタさで
見せられたらと思います。
その姿が哀れゆえに面白く、
しかもリアルであればと思っています。