行列のできる演出家 岩田達宗さんにお聞きしました。
今年の9月、春秋座で、日本を代表する豪華ソリスト達とオーケストラを迎え
プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』
を上演します。 演出するのは今、人気沸騰中の岩田達宗さん。 サービス精神にあふれ、周りにいる人を明るく楽しい気持ちにさせてくれる、 そんな魅力的な方です。 岩田さんに、演出にかける思いなどを プロデューサーの橘と制作の大嶋が伺いました。
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第1回
大嶋
本日はよろしくお願いたします。 今回の公演は、かなり豪華メンバーですね。
岩田
そうですね。よくみなさんに関西で「このメンバーはすごいなー」と言われますね。
大嶋
そうですよね。
岩田
川越塔子さんや村上敏明さんが出られるのは、もちろんすごいことですが、 ある意味、今の関西のベストメンバーと思いますね。
大嶋
春秋座は普通のオペラやコンサートホールと違うと思うのですが、 やってみたい試みなど、ありますか?
岩田
劇場がこういう歌舞伎、日本の古典芸能を上演する劇場で、花道があって、 通常我々が使う劇場と違いますよね。 僕らは基本的にホームグランウンドになるような劇場があって、 そこでオペラを上演しているんですけれども、 僕は、逆にそうじゃない、色々な制約がある場所の方が とても面白いと思う方なんですよ。 春秋座という、ある意味制約のある劇場で、 どうやって『ボエーム』をやるかと考えたら、 自然と面白いものになるんじゃないかなと思うんですよね、これは。 春秋座の特性をどこまで活かせるか。 そのためにここでの稽古時間もとってもらったので、 色々と活かせるんじゃないかなと思っています。 そのことで、この歌劇が本来持っている「形」が 普通の劇場でやるよりも見えてくるように思えるんですよね。
大嶋
今のところ具体的に何かアイディアはおありなのですか?
岩田
まず合唱を出さない!(笑) 亡くなった三谷礼二(オペラ演出家。1934-91年)さんや、 ルキノ・ヴィスコンティ(イタリアの映画監督、舞台演出家、脚本家。 1906―76年)とかね、 いわゆる大演出家たちが、「『ボエーム』は本当に演出しにくい」って 言っているんですよ。 というのは、この歌劇は「ウワー!!」って大声で演説するのを 聴くんものじゃなくって、本来は顕微鏡で覗き込むようなっていうかね、 人間の非常にミニマムな、繊細な心の動きであるとか、 街の片隅で青年達が若者達がヒソヒソってささやいている、 そういうものの中に、すごい輝きを見つけるという、 言ってみれば室内劇であったり、心理劇であったりという。 そういうものがオペラでできるんだって、 オペラ歴史の中ではモーツァルト以来、初めて立証したという、 すごい作品なんですよ、実は。 だから室内演劇で、心理劇なんですよね。
でも、オペラってすごい約束事がありましてね、 それに莫大なお金がかかったりするものだから、 経済効率も考えなくてはいけない。 特に『ボエーム』が書かれた時代は、オペラの興行形態っていうのは、 「こうでなければならない」って、決まっているわけで、 そうすると、作曲家が「こういうことができるぞ、面白いぞ」と言っても、 興行として成り立たなければダメだから、どうしても合唱が沢山出たり、 ハデなアンサンブルを付けざるをえなかったんですね。 ヴェルディの『アイーダ』もそうですね。 これも、何とも言えない室内劇で、心理劇で、 『ボエーム』の子供みたいなオペラなんですよ。 でも有名なのは凱旋行進のシーン。 サッカーの応援曲にもなっていますけれども、 あれ、ストーリーに何にも関係ないんですよ。 ちょうどスエズ運河の開通記念があって、 付けられたのは、それに関係しているみたいなんです。 興行の事情で派手な合唱が出てきて、派手なスペクタクルが繰り広げられる。 どうしてもそっちの方に目がいっちゃいますが、実は違うんですよね。 西洋音楽の発展の中で、音楽がここまで深く人間の心理であるとか、 感情であるとか、演劇的にいうとセリフ回しみたいなものを 非常に細かく表現できるようになった。 しかも生の声で。 この時代、マイクは無いので当然のことなんですけれども、 映画みたいに顔がアップになって、 声はマイクで採って録音をスピーカーで流す。 それだったら囁き声でも何を言っているのか分かりますよね。 だけど2000人ものお客様全員に、生の声で囁き声を聴かせて、 少し心が動くようなところまで表現できるってことは、 すごいことなんですよ。 言ってみれば演劇の極致みたいなものなんですよ。 ようするにヴェルディ、プッチーニの時代の 『アイーダ』『ボエーム』のすごいところは、 本当はそういうところなんですよ。 生の肉体を使って、舞台から何メートルも離れているお客様に届ける。 それは歌い手の肉体的な技術のすごいところです。 今、オペラ専用劇場もできてきましたけれど、 客席の数が2500席とか3000席とか多いんですね。 そうすると集客するために、それなりのメンバーを集めないといけない。 でも、なかなかそうはいかないんですよね。 そうすると『ボエーム』に近いものをやるしかなくなっちゃう。 だから『ボエーム』っていうと、お客さんは合唱が出てきて、 スペクタクルでっていうハデな印象になっちゃう。 「『ボエーム』ってクリスマスの話で、カルチエ・ラタンですごいのよね」 って、見に来られちゃうんですよね。 いやいや、本当は違うんだよねって思うんですけれどね。 ヴィスコンティとか三谷さんは「『ボエーム』を本当にちゃんとやりたいな」 って言いながら亡くなったんですよね。 『ボエーム』というと、僕の中ではその印象があって。 だから僕はこの小屋のその特性を、客席を観たときに、 これは勝ったと思ったんです。花道もあるしね。 「あっ!これはいけた!」と思ったんです。
大嶋
微小なものを無理に大きくしないで、生の声で届けられる距離感であると。
岩田
そうです。そうです。 だったら付けざるを得なかった、スペクタクルな場面みたいなものも 思いきってゴッソリ外していいじゃん!って。 徹頭徹尾、若者たちの話として上演しようと思ったんですよ。 それにオペラというのは生の肉体で聞かせるっていう 一種、スポーツみたいなものなんですよ。 だからオペラ歌手って芸能人じゃなくて、アスリートなんです。かなり。 俳優とダンサーとどっちに近いといわれたら、ダンサーの方に近いんですね。 で、特にプッチーニみたいな細かいものを表現しようとすると、 相当なテクニックがいるわけですよ。 そのために人によっては飲みたいものも飲まず、食べたいものも食べず、 24時間365日体を鍛えているんですね。 春秋座を見た時、「そういう連中が本当に実力を発揮できる劇場じゃん!」 って思ったんですよね。 だから『ボエーム』は若者たちの繊細な話だから、 本当にそこに絞り込んで、いつか、思い切りやりたいと思っていたものを 春秋座でやろうと思ったんです。 普通、どのプロダクションに行っても 「スペクタクルが無いのなら、いりません」って 絶対、言われちゃうんだけれども、 橘先生に「いいですかね?」って聞いたら、「いいんです」って おっしゃっていただけたんで、嬉しかったんです。
歌劇「ラ・ボエーム」全4幕
次回へつづく