行列のできる演出家 岩田達宗さんにお聞きしました。

今年の9月、春秋座で、日本を代表する豪華ソリスト達とオーケストラを迎え プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』を上演します。 演出するのは今、人気沸騰中の岩田達宗さん。 サービス精神にあふれ、周りにいる人を明るく楽しい気持ちにさせてくれる、 そんな魅力的な方です。 岩田さんに、演出にかける思いなどを プロデューサーの橘と制作の大嶋が伺いました。

第5回 何でもどこかに繋がっている―2

大嶋
普通、演出家になる方は、音楽の素養とか、そういう勉強をしていて、 その流れでオペラ演出に行った人が多いと思うのですけれど 岩田さんは違うんですよね。
岩田
僕の場合は、全く違いますねー。どっちかとういと音楽が嫌いでしたから。 それには理由があるんです。 小学校の時にピアノを習ったんですけれど、先生が嫌な人でね。 本当に嫌な人だった。佐藤という名前のソプラノ歌手だったんです。 小学校1年から6年まで習いました。 まあ、いじめられて、嫌われて。 「あんたみたいなバカな子に音楽なんかやってほしくない」って言われて、 「誰がやるか」って。アハハ(笑)。 だから小学校の音楽も大嫌いだったし、 今だにピアノの前に立つと吐き気がするんです。 ある日、「レッスンに遅れたら怒られるー」って自転車を必死でこいでいたら、 バイクにはねられたんですよ。バーンって。で、血が出て。警察も来たし、 「すぐにお医者さんに行きなさい」って言われたんですけれど、 「僕、大丈夫です!!先生に怒られるからー」って急いで行ったら、 案の定10分ぐらい遅刻したんですよ。 そしたら「何やってんの!!」って怒られて。 血が出てるんですよ(笑)。
大嶋
何やってんのじゃないですよね。
岩田
「すいません。バイクにひかれたんです」って言ったら 「また、この子は嘘をつく!! バイクにひかれてレッスンに来れるわけがないでしょ!」 「バイクにひかれたけれど、一生懸命来たんだよ。バカヤロー!」って。 本当に先生が大嫌いになって、お願いだからって 中学に入って辞めさせてもらって、 その後は絶対、音楽は選択でとらなかったんです。 だから声楽家とか嫌いだったんですよ。 けれど6年間もピアノやっていたから楽譜を読めるし、 僕「移動ド」なんですよ。 つまり絶対音感じゃなくって、ようするに、頭の中で移調ができるんです。 例えばハ長調の曲をト長調で弾いてって言われたら僕できるんですね。 っていうのが6年間やったおかげでできちゃったのね。 だから30歳になってオペラやったときに役に立ったのね。 ありゃまー佐藤さんありがとうって。
大嶋
アハハハハ。
岩田
本当に嫌だったけれど、逆に嫌だった反動で、 映画音楽とかシンフォニーばかり聴いていたんですよ。 映画音楽から入ってブラームスとかベートーベンとか マーラーとか聴いていたんですよ。そこから歌の無い物、 オーケストラも聞けるようになっていたんですよね。 格好つけてオーケストラの譜面とか見てるみたいな。 「あ、変奏曲、ここに1個、変奏が隠れているな」とかみたいな、ヤナやつ。 おタクの嫌なやつ(笑)。みたいなことをやっていたんですよね。 それがまさか役に立つとはね。 あとは外大ではフランス文学専攻だったんですが、 フランス語自体は役に立たなかったけれど、 30歳を過ぎてイタリア語だのドイツ語だの始めなきゃいけなくなって、 今だに「おまえよく演出家やっているな」と言われるぐらい、 全くダメですけれども。 でもやっぱり30歳になってからでもイタリア語だの ドイツ語だのを覚えられたのは、外大で一応、外国語を勉強するというのに 慣れていたおかげですね。 よもや自分がオペラの演出家になるなんて思ってもいなかったし、 目指していたわけではないけれど、結果的には良かったですね。
大嶋
何事も無駄なことはないですね。
岩田
びっくりしましたね。声明をやっていたのも結果的には役に立っているし。 声楽を習ったのも、アルバイト時代に利賀村に来ていた ドイツ人で発声を研究している人が「あなた教えてあげるから」 「データをとってみたいから」って、ほとんど無料で教えてくれたんです。 後で聞いたら、ドイツの有名な児童合唱の先生だったんですよね。 カルロス・クライバーの『ばらの騎士』などの、 合唱の指導した人だったって、聞いてびっくりしたんですけれども。 偶然といえば、後で栗山昌良さんに1本任されて、 初めて付いたのが『ボエーム』なんです。 デビューは違いますけれど、僕の出発点なんですよ。 その時の指揮者が大野和士(1960―)って今のリヨンでシェフをやっている、 すごい人なんですよ。すごい可愛がってもらいましたね。 「『ボエーム』はこんなんじゃない、『ボエーム』はこんなんじゃない」って 言いながら、ずっと振っていたんです。 「もっとビビットで繊細なものです。そんな乱暴な声じゃないです」って。 それが残っているんですね。 「あぁー雑音をなくして! そんな乱暴にドタバタ歌うもんじゃなくてっ!!」って。 お客様はまだ、色々なものが熟してなくて、 外国語のテクニックも習得してなくて、浸透してなくて、 オペラを上演する環境が整っていない。 外国のセンスが分かっている歌い手が沢山いても、稽古の回数であるとか、 会場も東京文化会館とかであったり、無理なんですよ。 どんなにプッチーニは繊細だからといっても、それは無理ですよ。 5階のお客様にバーって歌うしかないんです。 けれども大野さんは「ボエームはこうじゃない」ってずっと言っていましたね。 稽古も合唱団が出てくる最初の喧騒のところばかりを稽古するんだけれど、 「違う違う!」って言うんですよ。 「違う!室内の2人きりのところをちゃんとやりましょうよ」って。 歌手はみんなレパートリーだから体に入っているし、 そこはさっさとやって段取りつけたら、もういいから。 歌い手さんも忙しいからっていうんですけれど。 大野さんは違う違うっ!て言い続けたんですよ。
 
 
でも、大野さんが何を違うと言っていたのか、 僕が分かったのはもっと何年も後ですけれどね。 自分が演出をやるようになって、大野さんが言ってたのはこれか、 あの時に「違う!違う!違う!!」って言い続けていたのは、 これかと分かりました。 そこが、さっきの話と通じていて、何が違うかって『ボエーム』は スペクタクルで、ワーッていう派手な舞台じゃなくて、 歌手の生の肉体で、生の息遣いが聞こえるところで、 歌い手の一番すごいところを感じてもらいながら、 すごくビビットで繊細で、 生々しい若者たちの息遣いを見せるんだよっていうことをね、 言っていたわけですよね。 『ボエーム』は僕の出発点なんです。 そして今回の舞台が僕の回答ですね。 大野さんが「違う!」って言っていたことのね。だから見に来てほしいの。 確かにオーケストラの編成は小さくなっていたり、 合唱はなかったりするけれど、大野さんこういうことでしょって。 大野さんだったら分かってくれると思うんですよね。 逆に、違う楽器が入っていても批判はされると思うんですけれども、 何をやろうとしているかわかってくれると思うんです。 そこが僕の出発点でもあるので。大事なプログラムなんですよ。

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