行列のできる演出家 岩田達宗さんにお聞きしました。

今年の9月、春秋座で、日本を代表する豪華ソリスト達とオーケストラを迎え プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』を上演します。 演出するのは今、人気沸騰中の岩田達宗さん。 サービス精神にあふれ、周りにいる人を明るく楽しい気持ちにさせてくれる、 そんな魅力的な方です。 岩田さんに、演出にかける思いなどを プロデューサーの橘と制作の大嶋が伺いました。

第4回 何でもどこかに繋がっている―1

大嶋
裏方一本というと第三舞台の時は、舞台監督だったのですか?
岩田
いえいえ、制作のお手伝いから舞台監督助手、渉外、 弁当の手配から、なんでもやりましたね。 とにかくスタッフはすべて外注ですから、 スタッフ同士が何かあったときに謝りに行くのは全部、僕。 最初にトップの細川さんに、 「とにかくお前の仕事は 弁当を買いにいくのと謝ることだ」って言われて(笑) 「自分が悪かろうが、悪くなかろうが、 とにかくお前の仕事は謝ること」って。ええ。 だから青年座から来ている怖い棟梁に 「なんじゃこれー!」とか「弁当はまだかぁ!」って言われたら 「すいません、すいません」。 「照明がなんでこんなところに機材を置いているんだよ!」 「すいませんー、ごめんなさいー」って謝りに行くのが僕。 鍛えられましたよ。うーん。すごく鍛えられました。
大嶋
何年ぐらい、いらっしゃったんですか?
岩田
うーん。足かけ10年ぐらい。
第三舞台だけをやったのは5年ぐらいですかね。
大嶋
で、ザ・スタッフに?
岩田
移ったというか、大学の時にアルバイトをしていたのが ザ・スタッフなんです。 ザ・スタッフは「オペラやりなよ」って言ってくれていたんですが、 「オペラはやだ。外国語わからないし」って言って ずっと第三舞台でやっていたんです。 92年に第三舞台が解散する時、「お前どうする?」って言われたんですね。 ちょうどその頃、日本のオペラのとても重要な演出家が連続して お二人亡くなったんですよ。 粟国安彦(1941―90年)さんが90年に、 三谷礼二さんが翌年に亡くなったんです。 そのお二人の最後の仕事に僕は両方とも関わっていて、 お二人からオペラに誘われたんですね。 粟国さんは病院から出てきて最後に口を聞いたのは、 どうやら僕らしいんですね。 ご本人はまだ死ぬとは思っていなかっただろうから、 何気ないと思うんですけれども、「後をよろしく」とか言ったんです。 で、そのまま病院に戻って帰らぬ人になっちゃったのですが。 そういうのもあって解散後、自分はどうしようかなって思った時、 「考えてみたら10年間いろんなことをやってきたけれど、 ずーっと関わっているのって考えてみたらオペラだよな」って思ったんです。
 
 
それで一回、仕事を休んで、外国でリセットしようと思ったんですけれど、 気がついたら結局、劇場に通っていたんですよ。 ロンドンへ行ったんですよ。バカでしょ? 時間があって暇だっていうんだったら他の所へ行けばいいじゃないですか。 イギリスへ行ったって、ねえ。観光すればいいじゃないですか。 でも何をするかといったら、 マチネを見てソワレを見ているんですよ。アハハ(笑)。 空いている時間は深夜まで映画見ているし、ロンドン塔なんか登りやしない。 ウエストミンスターもセントピータース寺院も行っていない。 劇場行く時にウォータールー橋を渡るぐらいで、 ずっと劇場に行っていたんですよね。 毎日、ウイモアホールに通って、 ここは音楽の劇場だから、オペラとミュージカルしか見ていないんですよ。 自分でびっくりしたんですけれど、一週間で9本ぐらい見ているんですよね。 それで「あぁ、俺オペラやりたいのかな」と思って。 オペラ歌手って毎日、歌わないんですよね。 3、2時間のプログラムを歌うために、その 前の40何時間は何もしないで調整する。 周りのマネージャーやスタッフたちは、そのために配慮した動きをする。 裏方をちらっとかじっていたから、わかるんですよね。 ロンドンのお客様たちも厳しかったから、そういうのに立ち向かうって、 歌舞伎のいつか見た鳥屋口で「出があるよ!」っていうのをちらっと見た時、 「一人のために、あんなにスタッフがいるんだ」 と思ったのと同じ感動がよみがえっちゃったんですよね。 ミュージカルも面白かったんですけれど、 僕はこっちだなって思っちゃったんですよね。 「僕が大事だと思ってきたものが、 そのまま活かせる仕事があったじゃん、ここに」って。 それで日本に帰って「オペラをやらせてください」って言ったら、 栗山昌良(1926年-)さんという俳優座養成所の最初の先生をしていらした オペラ演出家が僕を拾ってくれて、 「僕のアシスタントやりなさい。 舞台監督助手とか制作ではなくて、演出家をやりなさい」 って言われまして。 周りの人たちが言うには、どうも僕が舞監助手をやっていると 物が壊れるらしい(笑)。
大嶋
えー、ハハハ。
岩田
粗忽らしいんですよね。僕。人に言われてわかったんですけれども、 本番前に100人ぐらいの合唱団が舞台で使うシャンパングラスを 60個全部、割ったんですよね。言われて思い出したんですけれど(笑)。 そういえば茶箱がガラガラガッシャーンってひっくりかえったなって。 本番はプラスチックでやったんですけれどもね、 あとね、一千万ぐらいのシャンデリアの先が、 僕が走っていて当たって割れたとかね。アハハハ(笑)。 結構、粗忽なんですよ。それでクビになるのかなと思ったら、ならない。 なんでかな、と思ったら、そういうヤバイところがあるけれど、 「君は現場で小道具を触る人間じゃないから」って栗山先生に言われて、 そういうわけで演出家のアシスタントになったんです。
大嶋
で、そこから勉強し始めたと。何歳ぐらいのことですか?
岩田
93、4年の頃ですから、30歳からですね。本当に大変でした。

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