行列のできる演出家 岩田達宗さんにお聞きしました。
今年の9月、春秋座で、日本を代表する豪華ソリスト達とオーケストラを迎え
プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』
を上演します。 演出するのは今、人気沸騰中の岩田達宗さん。 サービス精神にあふれ、周りにいる人を明るく楽しい気持ちにさせてくれる、 そんな魅力的な方です。 岩田さんに、演出にかける思いなどを プロデューサーの橘と制作の大嶋が伺いました。
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回
第7回 みんなが幸せに
岩田
お芝居よりもオペラに来た時に、その交渉が面白かったんですよね。 色々な人と関われるっていう、 面倒くさい方が面白いって思っちゃったんですよね。 大体、第三舞台であやまり慣れているし、それに対して抵抗ないし(笑)。 舞台を進めていくことで、みんなが幸せになれたら嬉しいんですよね。 それが上手く転がった時、「これはすごい、みんなが幸せだぞ」ってことに 気がついたんです。 たまにあるでしょ?お客様が「わー」って喜んでくださっているけれど、 楽屋ではみんな仲悪くてギスギスしていて、 二度とやりたくないねって思っている。 でも、お客様が「わー」ってしてもらってるから、まあよかったかなって。 それはね、オペラでは成立しないんです。やっちゃいけないんです。 全員が幸福な気持ちでないと。特に歌い手はね。 生の声で歌おうと思ったら、繊細だから声が出なくなっちゃうから、 ものすごく気をつかっているから、 ちょっと声がかすれるとか、不安な要素があるとね。 プロダクションが上手くいっていても、すぐアウトになっちゃうから。 演出家はある意味、政治家でもあり、アーティストでもある役割ですよ。 歌い手は世代で変わるじゃないですか。 ストラディバリュスは変わらないからいいですよねって思うんですよ(笑)。 彼らは楽器じゃないですか。しかもメンタルなサイケデリックな楽器だから、 世代が変わると楽器の鳴り方が変わるじゃないですか。 面倒くさいけれど、その面倒くささが面白いんです。 そう思うと、周りの人もどんどん恵まれてくるんですよね。 だから周りに恵まれていないと演出家は無理なんですよ。 それは必要な能力かもしれませんね。
大嶋
だから舞台監督をやっているところに目をつけられたんですね。
岩田
そうだと思います。物を壊すけれど、こいつはって。 舞台監督としてはダメだけれど、こっちにしたいと思って、 それが合致したんでしょうね(笑)。 ただ、演出家がちょこちょこあやまっていてもダメで、 それだけの人間の旗にならないとダメでしょ。 「ここに旗があるぞー」って。旗を持って、 「どういう経路を使ってもいいから、ここに上ってこい!」って 指揮者と演出家が言ってあげないとだめでしょ。 そうじゃないと、みんなは目指せないですから。 なんだろうな、そのことで、山がワイワイなっているのが、 お祭りのようで好きなんでしょうね。 人が集まってくる旗じゃないとダメでしょ。旗に魅力がないとダメなわけで。 だから春秋座で、『ラ・ボエーム』で、本当のプッチーニだぜって言うと みんな集まってくれるわけですよ。 オーケストラもそうですよ。 今回はみんな個人参加のオリジナルメンバーですし。 ピアニストの小林さんとか、ね。羨ましいと言われていますよ。
橘
猿之助さんも決して、どなったりなさらないんですよ。 学生にもちゃんと「さん」づけで、呼び捨てにしないし。 外国でやったって、最初のうちは海外スタッフもブーブーいっているけれど、 だんだんね、良い関係になっちゃう。 だから岩田さんと初仕事の人も、一緒にやっているうちに 行列ができてくるんだと思いますよ。
岩田
うーん。そういう意味では演出家は行列ができないと、ダメなんですよね。
面白いのはオペラの演出家という職業ができたのは20世紀からなんですよ。 ヴェルディ、プッチーニの時代は演出家っていなかったんですね。 作曲家が演出家なんです。 彼らは部屋で曲を書いているよりも、外で歌手やデザイナーに、 「僕がここで休符を書いているのは、ここで口を押さえるためだよ」とか、 「このヴァイオリンのポルタメントは、ここで君が立つためだろう」とか。 「ここでヴァイオリンが伸ばしているのは、この間に火を付けてほしいから、 早く火を付けて」とか。ようするに自分が書いた楽譜を説明していたんですね。 特にヴェルディ、プッチーニという人は、 ものすごく細かく書いた人なんですね。 動きが全部決まっているわけですよ。演出しているわけですね。 ただ、ヴェルディ、プッチーニ以降の人で、 それだけ舞台のことを知っている人とか、 セリフを名台詞にできる作曲家がいなくなった…。 だんだん舞台から離れていっちゃったんですよね。 作曲家が、もっと難しい方にいっちゃった。 そういうことができる人は第二次世界大戦でアメリカへ行っちゃったんです。 彼らの後継者はいたんですけれど、何ででしょうね。 ユダヤ人が多かったんでしょうかね? コロンゴルドなんかもそうですね。 我々がよく知っている人ではバーンスタインとかもそうですよね。 ジョンウイリアムス、ニコルスローザ、 ああいう人たちがみんなアメリカへ亡命して、 アメリカでオペラは作れないので、ハリウッドで映画音楽を作るか、 もしくはブロードウエイでミュージカルの曲を作るようになったんですね。 プッチーニの時代は照明はガスだし、大道具だって全部手動ですからね、 彼らでも分かる舞台機構のテクニックだったわけです。 でも、舞台の機構も難しくなってきて、 今や電気が発達して、照明なんかすごいですからね。 道具にしても音響にしても、追いつかないんですね。 そうすると作曲家が演出をできなくなったので、演出家ができたんです。 それに芸大で作曲を勉強している若い人に映画見た?お芝居観た? といっても、見ていないんですよね。これが。 お芝居も見れば映画も見て、文楽もって、そういう知識、教養を持って 作曲していた人って多分、芥川也寸志(作曲家。1925-89年)さんとか 團伊玖磨(作曲家。エッセイスト。1924-01年)さん、 黛敏郎(作曲家。1929―97年)さんの時代までですよね。 それ以降の人たちって、お芝居みていなかったりするの。 セリフの読み方を知らないくせに、 曲を書かないでくれって言いたくなっちゃうの。 そうすると僕らが介在するしかなくなっちゃうの。 だからヴェルディ、プッチーニをやる時には、 彼らはプッチーニの代わりに呼ばれているんです。代理人なんですね。
大嶋
芸大で勉強している若い子達が色々見ていないのって、 学生と身近に接する機会のある僕らスタッフも、感じることですね。 メディアが発達して色々選択の余地があるからなんでしょうけど、 劇場に来て見識を広げて欲しいですよね。 岩田さんのように経験がどこかでつながるかも分からないわけですし。 まだまだお話は尽きないのですが、 本日はお忙しいところ、たくさんためになるお話をありがとうございました。
歌劇「ラ・ボエーム」全4幕
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